君等がわしに学ぼうとするなら、わしの生活を見ればいい。
言葉は道ではない。
わしが口で言わないからといって、何も君等に隠してはいないのじゃ。
孔丘という人間は、そんな人間だと思ってくれ。
――どうだ、ぎゃふんと参るじゃないか。」
みんなは默って考えこんだ。
曾参は相変らず微笑していた。
「それで君等はどうしたい。」
と、しばらくして、また一人が言い出した。
「みんなきまりが悪くなって、默って立っていたさ。」
「それっきり先生は何も云われなかったのかい。」
「いや云われた。恐ろしく沈痛な口調でね。
……今はっきり云われた通りには覚えていないが、何でもこんな意味だった。
――3言葉というものは、それ自身では無力なものだ。
受身で学問をしている人に、千万言を費して教えても、何の役にも立つものではない。
だからわしは、君等が求めに求めて憤りを発するほどに熱して来ない限り、君等の蒙を啓いてやる気にはなれない。
君等は、自分でわかってもいないくせに、とかく気の利いた言葉だけを求めたがるが、わしは、君等が一通り道理を会得した上で、それを表現しようとして苦しんでいるのを見なければ、的確な言葉を与えたくないのじゃ。
無論わしは君等に道理の一隅だけを示してやりたい。
君等はその一隅を手がかりに、他の三隅を自分で発見すべきじゃ。
もしそれが出来なければ、わしはもう君等にそれ以上教えようとは思わない。
――と、まあ大体こんな風だった。」
「なるほどね、それで先生のお心持も大よそわかる。」
「すると叱言でも云われる方は、まだいい方かも知れないね、默っていられるよりか。」
「叱言も叱言ぶりさ。」
「それは無論そうだ。
……ところで、抗議団はそれっきりで引きさがったのかい。」
「引きさがるより仕方がないじゃないか。」
「それは意気地がなかったね。僕だったら、もっと云うことがあったんだ。」
「へえ、それは偉い。一つそれを聞こうじゃないか。」
みんなが膝を乗り出した。
曾参も眼をかがやかして、その方を見た。
「4なるほど、先生が実行を以てわれわれを導いて下さる御精神は、よくわかる。
また、ある人には諄々と説かれ、ある人にはあまりものを言われない理由も、ほぼ見当がつく。
しかし先生が、同じ質問に対して、人によって返事をちがえられるのは、どういうわけだか、僕には理解出来ないんだ。」
「そりゃ当り前じゃないか。尋ねる人の頭の程度がちがっているんだから。」
緊張しかけたみんなの気分が、すぐゆるんだ。
曾参もすぐに微笑をとり戻していた。
「頭の程度でお答えがちがうぐらいのことは、僕だってわかっている。」「しかし、先生はどうかすると、まるで矛盾したことを云われるんだからね。」
「たとえば、どんな事だい。」
「ある人が、道理がわかったら、すぐ実行に移したものかどうかと尋ねると、『いけない、一応親兄弟に相談してからにせよ』と云われるそうだ。ところが、他の場合に他の人が同じ事を尋ねると、『無論即座に実行するのだ』ときっぱり答えられたということだ。」
「誰だね、それを尋ねた本人は。」
「はっきりしないが、何でも、子路さんとか、冉有さんとかいう、先輩組らしい。公西華君がその事を聞きこんで、一度先生にその矛盾を突っこんで見るとか云っていたが、僕も折があったら尋ねて見たいと思っている。」
「それも、やはり子路さんや、冉有さんの人柄次第で、返事をされたんではないかね。」
「或はそうかも知れない。しかし人柄によるのも程度問題だよ。根本がぐらついたんでは、全くわれわれの拠りどころが無くなるわけだからね。元来われわれが先生の門にはいって学問をしているのも、不動の原理を掴むためじゃないか。その不動の原理が、親兄弟の意見で左右されてもいいとなると、それは不動の原理でも何でもないわけだ。われわれはそんな心細いものを求めているんではない。時処を問わず、何人にも通ずる普遍の真理がほしいんだ。」
「賛成、賛成。」
と数名の者が思わず叫んだ。
そしてその中の一人が、みんなの顔色を窺いながら云った。
「そういうと、われわれはこれまで末梢的なことばかり教わって来たんではないかね。」
「末梢的は少しひどい。」
「しかし、道徳の技巧に関することが非常に多いようじゃないか。」
「技巧もいいが、少しばらばらなようだね。」
「ばらばらだか何だか知らないが、個人的であることはたしかだ。」
「曾君、君默っているが、どう思う。」
曾参は、さっきから心配そうな顔をして、みんなのいうことを聴いていた。
彼は自分の仲間の、あまりにも浅墓な態度に、一人で心をいためていた。
で、問われるままに、自分の考えを述べて見ようかとも思った。
しかし彼は、孔子がこの話をきいて、彼等をどうあしらって行くのか、その点の見当がつきかねた。
今すぐ自分の考えを述べて、表面だけの解決をつけるのは何でもないことだが、それでは本当の解決にはならないだろう。
或は却って孔子の教育方針をぶち壊すことになってしまうかも知れない。
孔子はさっきからの話にもある通り、言葉の先だけでの解決には満足されない方だ。
それに自分としては、あらゆる機会を最高度に生かして行かれる孔子の態度が、この場合どんな形になって現われるか、それが見たくもある。
――そう思って彼はそれとなく答えた。
「今に先生がお見えになるだろう。大切なことだから、じきじき先生に伺って見ることにしようじゃないか。」
「むろん先生にも伺うさ。しかし、君に意見があるなら、一応聞いて置きたいものだね。」
それは何だか皮肉な口ぶりだった。
曾参は、しかし、あっさりと、
「いや、僕にも無論はっきりした意見はないんだ。」
と答えた。
みんなは、それからも同じような事を、とめどなく喋った。
いつまで経っても要点にはふれなかった。
そして、ともすると、孔子の権威を傷けるような言葉が、平気で述べられた。
曾参は、これではならぬと思った。
やむなくば、自分の考えを述べて、一先ず決着をつけようかとも考えた。
しかし、孔子がとうとうやって来た。
「えらい賑やかなようじゃのう。」
孔子はそう云って、礼儀正しく彼を迎えているみんなの前を通って、正面の席についた。
そこで子游が年長の故を以て、挨拶を述べ、且つ、今日のみんなの話題を遠慮がちに話した。
孔子は、水のように澄んだ眼をして、それを聴いていたが、子游が自分の席につくと、頭数を数えるように、みんなの顔を見まわした。
それから、あらためて曾参の顔を見て、静かな、しかし力のこもった声で云った。
「曾参、わしの道はただ一つのもので貫いているのじゃ。」
曾参は恭しく頭を下げた。
そして確信あるもののごとく答えた。
「さようでございます。」
すると孔子は、すっと立上った。
そしてあっけにとられているみんなを残して、そのまましずしずと、室を出てしまった。
孔子の足音が消えると、みんなは狐につまったように、きょとんとして顔を見合せた。
誰もしばらくは何ともいう者がなかった。
その間に曾参は、みんなにお辞儀をして室を出ようとした。
それに気づくと、みんなは急に思い出したように方々から彼を呼びとめた。
曾参は立止まって彼等を見た。
初級翻訳・論語物語 第46話
下村 湖人
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