「今のは一たい何のことだい。」と、一人がたずねた。
「ただ一つのものって云っただけじゃ、まるで見当がつかないね。」と、他の一人が云った。「曾君はいかにも解ったような返事をしていたが、ほんとうに自信があったのかい。」
と、また他の一人が突ッかかるように云った。
みんなは、いつの間にか曾参を取りかこんでいた。
そして恐ろしく緊張した顔をして、彼の返事を待った。
曾参は彼等を見まわしながら、静かに答えた。
「先生の道は、誠をつくして人の心を推しはかってやること以外にはないのだ。」
みんなはまだ解せないような顔をしていた。
曾参はつづけていった。
「君等はさっきから、先生の教えが末梢的だの、道徳の技巧に過ぎないの、ばらばらだの、個人的だのと、勝手なことを云っているが、よく考えたら、すべてが今云った一つの原理の具体的な発展だということがわかるだろう。
先生は、原理を抽象的には決して説かれない。
いつも現実当面の事物に即して、われわれを導かれるのだ。
だから、見ようでは、個人的とも、ばらばらとも見えるだろう。
しかし、僕の経験では、先生の片言隻句と雖も、未だ曾て原理に根ざさないものはない。
僕はこのごろその事に気がついて、日に日に驚きを増すばかりだ。
考えれば考えるほど、一切の教えが、実にぴったりと一つのものにまとまっている。
日常の礼儀作法から、救世済民といったような大きなことまで、寸分の隙もないのだ。」
みんなは、どうなりうなずいた。
曾参は、しかし、まだ不安そうな顔をして、特に念を押すように力をこめて云った。
「だが、それは先生が頭で組織立てられたものではないのだ。
頭だけがどんなに緻密でも、すべてがあんなにぴったりとまとまるものではない。
先生にとっては、原理は理窟ではなくて、衷心の願望なんだ。
体験に体験を重ねて得られた、謂わば生命の傾向なんだ。
もうそれなしには先生は一刻も生きられない。
無論楽みもない。
だから何の作為もなしに、一切の言動が節に当り、玲瓏として全一の姿にまとまるのだ。」
ここまで云って、曾参ははっとした。
彼は、いつの間にか、自分が演説口調で同輩に説教をしているのに気づいたのである。
彼は急に口をつぐんで、顔を赧らめた。
そして逃げるように室を出て行ってしまった。
みんなは、また呆気にとられて、彼のあとを見送った。
彼等が解ったような解らないような顔をして解散したのは、それからしばらくたってからのことであった。
1 柴や愚、参や魯、師や辟、由や※(かん)。
(先進篇)
曾子曰く、吾日に吾身を三省す。
(学而篇)
2 子曰く、二三子我を以て隱せりと爲すか。
吾爾に隱すなし。
吾行うとして二三子に与(しめ)さざる者なし。
是れ丘なりと。
(述而篇)
3 子曰く、憤せずんば啓せず。
※(ひ)せずんば発せず。
一隅を擧げて三隅を以て反せずんば、則ち、復(ふたた)びせざるなりと。
(述而篇)
4 子路問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。
子曰く、父兄在すあり、之を如何ぞ其れ聞くままに斯れ之を行わんやと。
冉有問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。
子曰く、聞くままに斯れ之を行えと。
公西華曰く、由や問う、聞くままに斯れ諸を行わんかと。
子曰く、父兄在すありと。
求や問う、聞くままに斯れ之を行わんかと。
子曰く、聞くままに斯れ之を行えと。
赤や惑う、敢て問うと。
子曰く、求や退く、故に之を進む。
由や人を兼ぬ、故に退くと。
(先進篇)
行蔵の弁
子|漆雕開をして仕えしめんとす。
対えて曰く、吾斯を之未だ信ずる能わずと。
子|説ぶ。
――公冶長篇――
季氏、閔子騫をして費の宰たらしめんとす。
閔子騫曰く。
善く我が為めに辞せよ。
如し我を復びする者あらば、則わち吾必ず※の上に在らんと。
――雍也篇――
子貢曰く、斯に美玉あり。
※に※めて諸を蔵せんか。
善賈を求めて諸を沽らんかと。
子曰く、之を沽らんかな。
我は賈を待つ者なりと。
――子罕篇――
子顔渕に謂いて曰く、之を用うるときは則ち行い、之を舎つるときは則ち蔵す。
惟我と爾と是れあるかなと。
子路曰く、子三軍を行らば、即ち誰と与にせんかと。
子曰く、暴虎|馮河し、死して悔ゆることなき者は、吾与にせざるなり。
必ずや事に臨みて懼れ、謀を好みて成さん者なりと。
――述而篇――
子曰く、道行われず。
桴に乗りて海に浮ばん。
我に従う者は其れ由なるかと。
子路之を聞きて喜ぶ。
子曰く、由や勇を好むこと我に過ぎたり。
取り材る所なしと。
――公冶長篇――
その日は、ふとしたことから、仕官のことが話題に上って、非常に賑やかだった。
座には顔渕、子路、子貢、閔子騫など高弟の外に、このごろ蔡からやって来た漆雕開が顔を出していた。
孔子は、永いこと默って、みんなのいうことに耳を傾けていたが、急に思い出したように、漆雕開にいった。
「それはそうと、こないだの話はどうじゃ。よく考えて見たかの。
」
「はい、十分考えては見ました。
しかし――」
と、漆雕開(しつちょうかい)は少し顔を赤くして、みんなの顔を見ながら、
「どうもまだお役人などになる自信が、私にはありません。
自分をコントロールする力もないのに、人さまを導くなんて、何だかとても恐ろしいのです。
先生のお言葉にそむくようで本当に申し訳ありませんが、今回は、ほかのもっとふさわしい方を推薦していただけないでしょうか。」
孔子はまるで嬉しそうな顔をして、大きくうなずきました。
すると子路(しろ)が、かわいそうに見守るように漆雕開を見ながら、口をはさみました。
「そうやって遠慮ばかりしていたって、いつまでたっても自分の力を試すチャンスなんてやって来ないさ。
何事もまずぶつかってみることだ!
実際に現場で苦労しているうちに、自然と自信もついてくるものなんだから。」
「そんなことばかりとも言えないだろう。
――」
今度は子貢(しこう)が口を出しました。
「やっぱり、ある程度の自信がないと、最初から失敗してしまうことだってあるからね。
お役人としての第一歩で、まわりの人たちの信用を失うことになったら、それこそ一番恐ろしいことだよ。」
「だけど漆雕開くんは、それほど世間知らずの初心者ってわけでもないだろ。
俺なんか年齢を忘れて、いつもあべこべに彼から教えられているくらいなんだからさ。」
子貢は、子路のこの言葉をなんだか皮肉っぽく受け取ったようでした。
彼は少し顔をしかめながら、
「僕が言っているのは一般的な話さ。
漆雕開くんがどうこうだと言っているわけじゃないよ。」
「一般論だろうが何だろうが、こういうときに本人のやる気や勇気をくじくようなことは言わないほうがいい。
……どうでしょう先生、僕としては漆雕開くんにそれだけの力があれば、あのくらいの役目は十分に務め上げられると思いますがね。」
「それは心配いらないじゃろう。
だが、問題はそこではないのじゃ。
――」
孔子は子路と子貢の顔を見比べながら、こう言いました。
「わしは漆雕開の慎重な考えや、自分を振り返る謙虚な心、そして高くて立派な志を、いまこそ大切にしてやりたいと思うのじゃ。
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