「だが――」と孔子は語をつづけた。
「君にとっては、貧乏はたしかに一つの大きな災いだったね。」
子貢は返事に窮した。
彼は、今日途々「貧乏はそれ自体悪だ」とさえ考えて来たのであるが、孔子に真正面からそんな問をかけられると、妙に自分の考えどおりを述べることが出来なくなった。
「君は、貧乏なころは、人にへつらうまいとして随分骨を折っていたようじゃな。そして、今では人に驕るまいとして、かなり気を使っている。」
「そうです。そして自分だけでは、そのいずれにも成功していると信じていますが……」
「たしかに成功している。それはさっきも云った通りじゃ。しかし、へつらうまい驕るまいと気を使うのは、まだ君の心のどこかに、へつらう心や驕る心が残っているからではあるまいかの。」
子貢は、その明敏な頭脳に、研ぎすました刃を刺しこまれたような気がした。
孔子はたたみかけて云った。
「むろん、君の云うような道を悪いとは云わない。しかし、それはまだ最高の道ではないのじゃ。貧富に処する最高の道は、結局貧富を超越するところにある。君がへつらうまいとか驕るまいとか苦心するのも、つまりは貧富を気にし過ぎるからのことじゃ。貧富を気にし過ぎると、自然それによって、他人と自分とを比べて見たくなる。比べた結果がへつらい心や驕り心を生み出す。だからこそ、その気持ちに打ち勝つために苦労しなくてはならない、ということになるのじゃ。
子貢は、すっかり緊張して話を聞いているより仕方がなかった。
「3だから、貧富を超越するということじゃが、それは結局、貧富のあり方をすべて天にお任せして、ただひたすらに道を楽しみ、礼を愛する、ということなのじゃ。
もともと、道というものは、何か利益を求めたり、消極的であったりするものではない。
したがって、貧しいか豊かであるかというような境遇によって、道に対する姿勢を変えてはならないのだ。
道は道であるからこそ心から楽しみ、礼は礼であるからこそ愛するのだというような、一点の曇りもない積極的な求道心があってこそ、どんな境遇にあっても自由自在にすっきりと善処することができるのじゃ。
顔回にはそれができる。
彼はさすがに賢者じゃ。
そこまで境地が高まると、貧しくてもへりくだりすぎないとか、豊かであっても威張らないとかいうことは、もはや問題ですらなくなるのじゃ。」
「先生、よくわかりました。」
と、子貢は、自分の未熟な考えをみんなの前でうっかり発表してしまった軽率さを恥じる心と、孔子の言葉から得た新たな感動とを、胸の中でごちゃまぜにしながら、そっと頭を垂れた。
しばらく静けさが続いた。
どこからか、詩を吟じる声がかすかに流れてきた。
子貢は、みんなの視線がまだ自分に集まっているのを感じて少し息苦しかったが、詩吟の声にじっと耳を澄ましているうちに、ふと一つの記憶が頭の中にパッとよみがえってきた。
それは『詩経』の衛風篇に出ている、「切するが如く、磋するが如く、琢するが如く、磨するが如し」という一節であった。
彼はこれまで、この一節を、職人が象牙や宝石をノミで削り磨き上げる時の苦労にたとえて、人間の立派な性格や心をみがき上げるための苦心をうたったものだと理解していた。
もちろん、その解釈が間違っているわけではない。
しかし彼は、この詩の中に含まれているもっと大切な一点を見落としていたのである。
それは、職人のもっている芸術への情熱であった。
仕事を心から楽しむこころであった。
苦労の中に、いや、苦労することそのものの中に、命の躍動と素晴らしい喜びを見出す心であった。
芸術とは、何か別の目的を達成するための手段ではない。
それと同じように、道を求めること(求道)も、世渡りのための技術などではないのだ。
職人が芸術に生きる喜びを感じているように、道を求める人は、道そのものを楽しむ心に生きなければならないのだ。
彼はこれまで、この詩の中の、職人の苦労という側面からしか教訓を受け取っていなかった。
なんて自分は浅はかだったのだろう。
そう考えると、彼は思わず顔を上げて孔子を見た。
そして何の計算もなく、この詩の一節が、すらすらと彼の喉からこぼれ出た。
彼はこの時、過去の自分の未熟さを恥じるよりも、新しい真理を発見できた喜びのために、心を大きく躍らせていたのである。
詩を吟じ終えて、彼は言いました。
「先生のさきほどからのお話は、まさにこの詩の心そのものではございませんか。」
孔子は満面に優しい微笑みを浮かべながら答えた。
「子貢、いいところに気がついた。
それでこそ、一緒に詩について語り合うことができるというものじゃ。
詩の心というものは、奥へ奥へと深い意味が隠されているのだから、あくまでも掘り下げていこうという熱意のある人でなければ、その本当のすばらしさにたどり着くことはできない。だが、君ならそれができそうじゃ。」
子貢は、思わず誇らしい気持ちになって、うっかりまわりの人々を見回しそうになったが、ギリギリのところでグッと我慢した。
1 子曰く、回やそれ庶(ちか)からんか、屡空し。
賜(し)は命を受けずして貨殖す、億(おもんばか)れば則ち屡中(あた)ると。
(先進篇)
2 子曰く、貧にして怨むこと無きは難く、富みて驕(おご)ること無きは易しと。
(憲問篇)
3 子曰く、賢なるかな回や。
一箪(たん)の食(し)、一瓢(ぴよう)の飲(いん)、陋巷(ろうこう)にあり、人はその憂に堪えず。
回やその楽を改めず。
賢なるかな回やと。
(雍也篇)
瑚※
子、子賤を謂う。
君子なるかな、かくのごときの人。
魯に君子者無くんば、斯れ焉んぞ斯を取らんと。
――公冶長篇――
子貢問いて曰く、賜や如何と。
子曰く、汝は器なりと。
曰く、何の器ぞやと。
曰く、瑚※なりと。
――公冶長篇――
「子賤は君子じゃ、あの方こそ真の君子と言えるのじゃ。」
孔子は、子貢の目の前で、しきりに子賤を褒めちぎり始めた。
子賤は子貢より十八歳年下の後輩である。
このごろ魯の単父(たんぷ)という地方の代官になったが、いつも琴を優雅に弾いていて、高い役所の建物から下りてくることもない。
それなのに、政治は驚くほど見事に治まっているのだ。
子賤の前に代官をしていた巫馬期(ふばき)は、夜の星が出ているうちに出発し、夜の星が出ているうちに帰ってくるというほど身を粉にして働いたが、子賤ほどにはうまく政治を治めることができなかった。
そこで巫馬期が、ある日子賤に、
「いったいどこにあなたの政治の秘訣があるのですか。」
と尋ねると、子賤は、
「私は人を生かして仕事をするが、あなたは自分の力ばかり使っている。だからそんなに骨ばかり折れるのだよ。」
と答えた。
この答えが世間の評判になり、孔子の耳にも入ってきたのだ。
孔子は、子賤が若いのに似合えず、しっかりと徳の力によって国を治め、自分が特別にがんばらなくても自然に人々を良い方向へ導いている(無為にして化している)のを知って、心から喜んだのである。
しかし、子貢からしてみれば、自分の目の前で若造の子賤がそんなふうに褒めちぎられるのは、あまりいい気持ちがしなかった。
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