」
孔子は、子路の心を落ち着かせるように、ゆったりと言った。
「そうです! 隠者でした。とてつもなく偉い隠者でした!」
子路は爆発するような声でそう言い放つと、孔子の顔をまともに見た。
しかし、孔子の顔は驚くほど静かで、晴れやかだった。
それは子路がまったく予想していなかった表情だった。
彼は、車の中に、もっとみじめで落ち込んだ顔を見出すはずだと思い込んでいたのだ。
彼はなんだか肩透かしをくらったような気がした。
「ほう、それはよかった。それで、どんな話をしてきたのかね。」
孔子にそう言われて、子路はすっかり出鼻をくじかれてしまった。
自分の意見をまくし立てて、孔子に反省を促すつもりでいたのだが、もうそんな気力はどこかへ吹っ飛んでしまっていた。
やっとの思いで、向こうで起きた事実をありのままに報告するのが、今の彼には精一杯だった。
孔子は目を閉じ、門人たちは目を見張りながら、子路の話をじっと聴いた。
一通り話が終わると、門人たちは示し合わせたように顔を見合わせた。
そして、いかにも不安そうな目つきをしながら、めいめいにそっと孔子の顔を覗き込んだ。
孔子はやはり目を閉じたまま、しばらく考え込んでいるようだったが、やがて深い溜息を一つもらすと、子路の方を向いて言った。
「それで、渡し場に行く道は、結局どちらにするかね。」」
子路は、はっと胸を突かれたように身を縮こまらせた。
まるで厳かな大きなお殿様の中で、神様の前で厳しい取り調べを受けているような気持ちになり、そのまま木の棒のようにまっすぐ突っ立ったまま動けなくなった。
「わしは、人間の歩くべき普通の道を歩きたいのだ。
人間同士の中で生きていかないと、わしの心はちっとも落ち着かないのじゃ。」
と、孔子は子路から他の弟子たちへ視線を移しながら言った。
「山や野原で自由に歌を歌い、鳥や獣を友達にして暮らすのも、確かに一つの立派な生き方なのかもしれん。
しかし、わしにはそんな真似は到底できないことじゃ。
わしには、そういう生き方が、臆病者のすることか、あるいは自分のことしか考えない自分勝手な人間が進む道のように思えてならないのじゃ。
わしはただ、あたりまえの人間としての道を、あたりまえに歩いてみたいのだ。
つまり、人間同士で悩み、苦しみ抜くだけ苦しんでみたい、というのがわしの心からの願いなのじゃ。
そこにこそ、わしの本当の喜びもあれば、心のやすらぎもある。
子路の話では、あの隠者たちは、こんなドロドロに濁った世の中になんて未練はないと言っているそうじゃが、わしに言わせれば、世の中が濁っているからこそ、その真っ只中で一緒に苦しんでみたいと思うのじゃ。
正しい教えがちゃんと行われているすばらしい世の中なら、今頃わしも、こんな風にあくせくと旅を続けたりはしていまいよ。」
弟子たちはみんな静まりかえって、孔子の力強い言葉にじっと耳を傾けた。
子路の目には、いつの間にか大粒の涙がいっぱいたまっていた。
彼はその目を何度もパチパチさせながら、孔子の顔をじいっと見つめた。
日が暮れかかった薄明かりの中に、人生のすべての苦しみをすべて受け止めて、どこまでも澄み切っている聖者の姿を、彼は今こそはっきりと見ることができたのである。
「先生……私は先生に対して、とんでもない失礼なことを考えておりました。」
子路は、顔をまっすぐに孔子に向けたまま、ぽろぽろと涙をこぼした。
孔子は、言葉で答える代わりに、馬車の窓から手綱を子路に手渡した。
そしてみんなの方を振り返りながら、明るく晴れやかな声で言ったさ。
「それじゃあ、子路の好きな方に行ってもらうとしよう。
もし道が間違っていたって、またもう一度引き返せばいいだけの話さ。」
みんなは思わずクスッと笑い出した。
子路も、目を真っ赤にしながら笑った。
ちょうどその時、二人の隠者は、クワを杖の代わりにして、じっとこちらを見つめていた。
子路には、その二人がまるで畑にぽつんと立っている二つの案山子(かかし)のように思えてならなかった。
彼は、なんだか嬉しいような、ちょっぴり寂しいような不思議な気持ちになりながら、孔子の馬車を動かし始めた。
どこかでカラスが、からかうようにカーッと鳴いた。
(陳蔡の野)
衞の霊公が陣立てについて孔子に尋ねた。
孔子はこう答えて言った。
「お祭りの時のお供え物の並べ方や儀式については、かつて見聞きしたことがございます。
しかし、軍隊や戦のやり方については、まだ一度も学んだことがございません。」
次の日、孔子はすぐにその国を去った。
陳の国にいたとき、食べるものが全くなくなってしまった。
従っていた弟子たちは病気になり、誰も立ち上がることができないほど衰弱した。
子路は怒りと悔しさでいっぱいになり、孔子の前に進み出て言った。
「りっぱな君子であっても、こんなふうに追い詰められて困り果てることがあるものなのですか?」
孔子は言った。
「君子はもともとこういう苦境に直面するものだ。
しかし、心の小さい小人は、追い詰められるとすぐにやけを起こして悪いことをしてしまうものなのだ。」
――『論語』衛霊公篇――
孔子は言った。
「子よ、お前は私のことを、たくさんのことを広く学び、その一つひとつをただ物知りとして覚えている人間だと思っているのか?」
子路(あるいは子貢)は答えて言った。
「はい、その通りだと思います。違いますでしょうか?」
孔子は言った。
「いや、違う。
私の学問は、一つの根本的な真理を貫いて、すべてをそれで結んでいるのだ。」
――『論語』衛霊公篇――
孔子は、長いさすらいの旅から一度自分の国である魯へ帰り、約二年の間、昔の詩や書物、礼儀や音楽の研究と、弟子たちの教育に専念していた。しかし、だからといって、実際の政治の世界で世の中を良くすることへの希望をすっかり捨てていたわけでは決してなかった。
そのため、哀公が国の王様になった年、彼は六十歳のおじいさんとなっていたが、その体に鞭打って、三たび衞の国を訪れた。
それはちょうど、彼の孫にあたる汲(子思)が生まれて間もない頃のことだった。
しかし、衞の国は、孔子が正しい政治を行うには、あまりにも乱れすぎていた。
霊公はもうおじいさんになっていたが、自分の息子である※※のために、可愛がっていた夫人である南子を追い出そうとしたりして、心をすっかり狂わせていた。
しかも、その息子は晉の国へ逃げ込み、そこの力を借りて霊公の王位を奪おうとしているという噂もあったため、父親と息子の間でいつ醜い戦争が始まるか分からない不穏な空気が、国中に立ちこめていた。
霊公は、孔子が自分の国に来たことを知ると、これまで彼を真面目に対応しなかったことなどすっかり忘れ、すぐに彼を宮廷へ招いた。
そして、まず最初に彼に尋ねたのは、なんと戦争の作戦に関することだったのだ。
しかし、孔子はきっぱりとこう答えた。
「不肖ながら、礼儀作法については、これまでいくらか見聞きしたこともございます。
しかし、軍事や戦のことに関しては、まだ一度も学んだことがございません。」
もちろん、孔子に軍事の知識が全くなかったわけではなかった。
コメント