当時の貴族やエリートの子どもたちは、十三歳になると詩を学び、音楽を習うのが当たり前だったからです。
孔子がいくら子どものころ貧しかったとはいえ、十五歳になるまで何の教育も受けていなかったというのは、どうにも信じられない話だったのです。
「なるほど、それまでだって師匠についていろいろと教えは受けていた。
だが、学問の本当の素晴らしさに気づき、自分で進んで学びたいという熱い気持ちを持ちはじめたのは、十五歳のときなんじゃ。
恥ずかしい話だが、それまでは夢うつつで、何の自覚もなく、言われるがままにただの物真似をしていたに過ぎなかった。物真似は学問とは言えない。
本当の学問は、自分で『学びたい』と強く求め、懸命に努力するところからはじまるのじゃ。」
弟子たちの多くは、深くうなずきました。
中には、思わず目を伏せたり、恥ずかしそうに顔を赤らめたりする者もいました。
「やっと自分というものに目覚めて学問を志したものの、例の貧乏のせいで、一つのことに一心不乱に打ち込むというわけにはなかなかいかなかったものじゃ。
しかし、よく考えてみると、貧乏だったおおかげで、生きるためのさまざまな仕事を次から次へと覚えることができた。
おかげで、今でもお金の計算ができるし、穀物の倉庫番や、家畜の世話を任されても、一通りのことはこなせる自信があるのじゃ。ははは!」
「先生、それで思い出しました!」
と、子貢が突然話を割り込みました。
「呉(ご)の大宰(だいさい)が、先生のことを『聖人』だとおっしゃっていましたよ!」
「ほう、呉の大宰が?」
「はい!
先生は詩や書物、礼儀や音楽のことから、ふだん庶民がやるような仕事まで、何一つ知らないことがない。大宰はそれにすっかり驚嘆して、『このような方こそ聖人というのだろう。本当に多能な方だ』と言っていました。」
「ふむ。で、そのときお前は何と答えたのかね?」
「私は、『先生は天の心にかなった、素晴らしい徳をお持ちです。その意味ではもちろん聖人と言えますし、また、言うまでもなく多芸多能でもいらっしゃいます』と、そのようにお答えしておきました。
私は、聖人と『多芸多能』というのは、まったく別のことだと考えていたものですから。」
「ふむ。だが、大宰がわしを『多能』だと言ったのは当たっている。
さっき言ったとおり、若いころに生活に追い詰められて、さまざまな仕事を覚えたからな。
だが、大宰には『君子の志』までは分かっていない。
多能であることは、君子の目指す道ではないのじゃ。
君子の道は、そんな技術や器用さの枠の外にある。」
孔子は、自分が「聖人」と呼ばれたことについては何も言いませんでした。
しかし子貢は、大宰に対して自分が答えたことは決して間違いではなかったという確信を得て、とても嬉しそうでした。
「先生は、世の中に政治家として登用されなかったために、かえっていろいろな芸や技術に詳しくなられたのだと、いつぞや子張(しちょう)におっしゃったそうですが……」
と、一人の若い弟子が言いました。
「そうじゃ。世間に用いられないと、貧乏はするし、時間はたっぷりあるしで、ついついさまざまな技術を覚えてしまうものじゃ。
それは何もわしの若いころに限ったことではない。
だが、十五歳のときから、わしは学問の本筋からわき道にそれたことはないつもりだ。
十六歳のとき、ふとしたきっかけで、礼儀作法の知識がない自分が恥ずかしくなり、三十歳になるまでは、一日たりともその研究を怠ったことはなかった。
そのおかげで、二十二、三歳の頃には一通りのことは人に教える自信もつき、同時に自分が世の中にどうやって立っていくべきかという生き方も、いよいよはっきりしてきたのじゃ。
わしの進む道は、そのころから今日に至るまで、少しも変わってはいない。
わしはただ忠実に、はるか昔の聖人たちの道をそのまま語り継ぐことに専念してきたばかりじゃ。
わしの道には、わし自身の勝手なオリジナリティ(創意工夫)などはない。
大昔の聖人たちの道は完全無欠だからこそ、ただそれを信じ、ただそれを愛し、そしてそのままの形で世の中に伝えていけばいいのだ。
殷(いん)の時代の賢い大臣であった老彭(ろうほう)がまさにそうだった。
わしは遠く及ばないが、そんな老彭のようになりたいと思ってきたのじゃ。」
「先生!」
このとき、一人の若い弟子が大声で叫びました。
「僕たちは、先生のご指導が、単に大昔の聖人の言葉をそのまま伝え直しているだけだなんて、どうしても信じたくありません!」それは先生のご謙遜ではありませんか。
第一、もし古いものを伝えて行くだけが人間の道だとしますと、世の中には何の進歩もないわけであります。
だからこそ、殷の湯王の盤の銘にも、「苟に日に新たに、日日に新たに、日に又新たなり」とあるではありませんか。
私共は、幾度となくその言葉を先生に教えていただいたと記憶していますが……
孔子は微笑しながらそれを聴いていたが、言葉が終ると、急にきっとなって、
「お前のいうことは、まるで見当ちがいじゃ。
古聖人の道をこの泰山にたとえて見よう。
お互にこの泰山の頂をきわめないで、一寸一分でもそれを高くすることが出来ると思うのか。
聖人の道にただ一つでも創意を加えようとするには、先ず古聖人の道を完全に理解しなければならない。
頭で理解しただけではいかぬ。
心で、体で、つまり実験の道に於て自由自在に自分のものとしなければならない。
わしは今日までそれを努めて来たのじゃ。
努めて来た結果、いよいよ古聖人の道の完全無欠なことに驚くばかりじゃ。
お前は、世の中の進歩を望んでいるようじゃが、世の中を進歩させるには、先ずお前自身が進歩するのが、一番の近道じゃ。
どうじゃ、古聖人の道がほんとうにわかったかの。
古聖人以上の道をわしに求めるほどに、お前自身の準備はもうととのったかの。
もしまだととのっていないとすれば、湯王の盤の銘にあるように、毎日自分の垢を落して、日に、日に新たになることじゃ。」
門人は首をたれた。
孔子は再び微笑しながら、
「では話を先にすすめよう。
わしが音楽のゆるがせにすべからざることを真に痛感したのも、その頃のことであった。
で、丁度三十の歳に、楽師の襄子について琴を習ったのじゃ。
無論子供の頃から音楽の稽古はずっと続けていた。
しかし、襄子は、当時音楽にかけて第一人者だったので、一度その人について、教えをうけて見たかったのじゃ。」
「襄子の音楽は如何でございました? 随分名高かった人のように聞いて居りますが。」
と、一人の門人がいった。
「それはめったに聴かれない立派なものであった。
尤もあとで考えると、もう一息というところもあったが……」
「もう一息といいますと?」
「やはり最後は人じゃな。
こんな話をするのはどうかと思うが、何も学問じゃ。
わしが稽古をした時の話をして見よう。
それはこうじゃ。
わしが訪ねて行くと、すぐ今までわしの聞いたことのない一曲を教わった。
十日ほどもその曲を稽古したころ、襄子は、『もういい、今度は次の曲にしよう。』と云い出した。
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