初級翻訳・透明怪人 第33話

江戸川 乱歩

黒川はあのとき、奇術師のはやわざで、真珠塔をガラス箱の中から、ぬきとっておいたのだよ。
だから、夜中に、みんなが金庫の前に、がんばって、賊をまっていたときには、とっくに金庫はからっぽになっていたのさ。
そのとき、怪人がしのびこんだように、感じられたのは、やっぱり、黒川の腹話術だった。
いつのばあいも、腹話術というべんりなものが、人間わざではできないような、ふしぎを、つくりだしたわけだね。
もうひとつの、道化師が公衆電話から消えた事件は、いま聞いたばかりで、まだたしかめてみたわけではないが、おそらく、こういうじゅんじょだろう。
道化師が公衆電話にはいるのを見とどけた運転手が、きみたちに知らせるために、電話のそばをはなれた。
そのすきに、道化師は、よういしていた、べつのろう仮面と道化服を、電話室の天井から、つるしておいて、そとに出ると、ドアがひらかないような、さいくをして、そのまま、やみにまぎれて、逃げさってしまった。
電話室の中にぶらさがっている、仮面と道化服を、きみたちは、さっきの道化師だと、思いこんでいたので、それに、なかみがないことがわかると、ひどくおどろいたわけだよ。
あとは例によって腹話術だ。
そのときも、黒川がきみたちといっしょにいたのだから、腹話術で、どんな手品だって、できたわけだからね。」

明智の説明が終わると、そのときまでだまっていた捜査課長が、こらえきれずに口を開きました。
「明智さん、じつにおどろいた明察です。
あなたの知恵にかかると、どんなふしぎでも、まるで知恵の輪をはずすように、スラスラと解けてしまいますね。
いまのお話で、もうわからないことは何もなくなってしまいました。
だが、明智さん、手品のタネは明らかになりましたが、まだまるで検討のつかないことがひとつ残っていますよ。
それは、黒川がなぜそんな大がかりな奇術をやって、透明怪人をほんとうらしく見せなければならなかったかということです。
これも、あなたにはもちろんわかっているのでしょうね。」

「わかっています。
そこがこの事件のいちばんおもしろいところですよ。」

明智はやっぱりニコニコ笑いながら、その説明をはじめるのでした。

真犯人

明智の話はつづきます。
「いったいなんのために、ありもしない透明人間をあるようにみせかけたか。
それはひとつには、宝石だとかいろいろの高価なものをぬすむためです。
透明怪人というお化けのようなやつが犯人だと思わせておけば、ほんとうの犯人は疑われないですむからです。
しかし、それだけではありません。
この犯人は世間の人をびっくりさせたかったのです。
子どもが障子のかげにかくれていて、むこうから来た人を『バア』とおどかす、あの気持ちを大きくしたようなものです。
東京じゅう、日本じゅうの人を『バア』とおどかしたかったのですね。
透明怪人という化けものがほんとうにこの世にあらわれ、それが何十人、何百人とだんだんふえていくぞと、みんなをビクビクさせてよろこんでいたのですね。
それからもうひとつは、ぼくを――この明智小五郎をアッと言わせたかったのです。
ぼくと文代と小林君までも透明人間にしてしまうぞとおどかしたうえ、ほんとうにぼくたちをさらっていって、世間の人に、さすがの名探偵もとうとう透明人間にされてしまったと思わせたかったのです。
怪老人がぼくの事務所へ電話をかけてきたときに、ぼくはあいつのおそろしい決心をさとりました。
そこでぼくのとっておきの手をもちいたのです。
それは、ぼくと文代の身代わりを偵事務所にすまわせ、ほんもののぼくと文代は世間から姿をかくしてしまうという方法でした。
中村君はよく知っていますが、ぼくはずっとまえの事件で自分の身代わりをつかったことがあります。
そのころからぼくと顔かたちがソックリの人をさがしだして、ひみつの場所にすまわせてあったのです。
こんどもおなじ人をつかいました。まえの事件のときには、文代のかえだまは、まだ、なかったのですが、そののち、たえず気をつけていて、とうとう、文代とソックリの人を見つけました。
この女も、やはり、ひみつの場所に、やしなってあったのです。
ぼくの探偵事務所の、いちばんおくの部屋に、ひみつの通路があります。
かべのいちぶぶんが、電気じかけのガンドウがえしになっているのです。
ぼくと文代は、怪老人のおどかしの電話をきいたあとで、そのひみつの通路から、ぬけだし、ふたりのかえだまと、いれかわってしまいました。
ですから、自動車でさらわれた明智は、そのかえだまのほうだったのです。
また、ゆうべ黒川と、にせの中村係長に、つれだされた文代も、かえだまのほうでした。
小林君にたすけられて、いまここにいる文代は、ほんとうの文代ではありません。
ぼくの妻の文代は、だれも知らない、安全な場所にかくれているのです。
明智の話は、聞けばきくほど、いがいなことばかりで、部屋にいる人々は、息をつくひまもありません。
あまりのことに、あきれはてて、ポカンと口をあけて、明智の顔を、みつめているばかりです。
「そうしておいて、ほんとうのぼくは、怪老人のすみかを、さがしあて、コックに化けて、すみこんでいたのです。
かえだまをさらっていって、安心した犯人には、そこに大きなゆだんがありました。
犯人は、人もあろうに、このぼくに、自分のかえだまになれと、命じたのです。
犯人も、さるものです。
やっぱり、ぼくとおなじようなことを、考え、かえだまをつかって、警察をあざむこうとしたのです。
ぼくを怪老人に化けさせ、わざと、とらえられて警察を安心させたうえ、いよいよ、おそろしいことをたくらもうとしたのです。
では、かえだまのぼくと、いれかわった、ほんとうの怪老人はどうしたのでしょう。
もとの黒川記者にもどったのでしょうか。
いや、そうではありません。
世界じゅうで、いちばんうたがわれない人物、すなわち、探偵に化けたのです。
明智はとりこにしてしまったと、思いこんでいる犯人は、自分が明智に化けて、警察に、ひとあわ、ふかせようとしたのです。
つまり、ゆうべ、焼けビルの樋をつたいおりて、わざとパトロールの警官に発見された明智こそ、犯人が化けたものです。」
それをきくと、人々の目が、いっせいに、一方のイスにしばられている明智を、にらみつけました。
ほんとうの明智小五郎のために、おまえが犯人だと、きめつけられた、にせ明智は、まっさおになって、うなだれていました。
かれが真犯人であることは、それを見ただけでも、あきらかです。
ほんとうの明智は、にせ明智の、しおれたようすを、こきみよげに、ながめながら、さらに、ことばをつづけました。
「黒川記者になり、怪老人に化け、いまはまた、明智に化け、しかも、このぼくと、どこから見ても、くべつができないほど、うまく化けています。
この犯人は、じつに変装の大名人ではありませんか。
明智をアッと言わせ、明智をとりこにして、よろこぶ犯人、この明智に、それほど、ふかいうらみを、いだいているやつ――、いくつ顔を持っているのだろうと、あやしまれるほどの、変装の名人。
みなさん、この二つのことから、何者かを、思いだされはしないでしょうか。

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