その庭を裏の方へとまわってみると、立派な牛小屋があって沢山の牛がおり、馬小屋にもたくさんの馬が入っていました。でも、不思議なことに、まわりには人間の姿がまったく見当たりません。
ついに玄関から中へ上がってみると、そのすぐ隣の部屋には、朱色と黒色のとてもきれいなお膳やお椀がたくさん並べて出してありました。
さらに奥の座敷をのぞいてみると、大きな火鉢が置いてあり、鉄瓶のお湯がシューシューと勢いよく沸騰しているのが見えました。
それでもやっぱり、どこにも人の気配や影はありません。「もしかしてここは、人間ではなく山男のおうちなんじゃないか?」と急に怖くなり、奥さんは慌てて逃げ出すように自分の家へと帰っていきました。
この出来事をまわりの人たちに話してみたのですが、誰も本当のことだと思ってくれませんでした。
それからまたある日、奥さんが家の「カド」に出て洗い物をしていると、川の上流から赤いお椀が一つポツンと流れてきました。
あまりにも見事ですてきなお椀だったので思わず拾い上げたものの、「これを普段の食器として使ったりしたら、『人のものを勝手に使って汚した』って誰かに叱られるんじゃないだろうか」と心配になり、穀物を入れておく「ケセネギツ」という箱の中にそのお椀をしまい、穀物の量をはかるためのお道具として使うことにしました。
ところが、不思議なことに、このお椀をはかりとして使い始めてからというもの、いくら使ってもいつまで経ってもケセネ(穀物)が減らず、尽きる事がありませんでした。
おうちの人たちも「どうしてこんなに減らないんだろう?」と怪しんで、奥さんに「いったいどうなっているんだい?」と尋ねたところ、奥さんははじめて川からあの赤いお椀を拾い上げたときのことをすべて語ったのです。
この三浦家は、この出来事からだんだんと幸運に恵まれるようになり、ついに今の村一番の大長者である三浦家になったということです。
遠野の地方では、山の中にあるこうした不思議なおうちのことを「マヨイガ(迷い家)」と呼んでいます。
もしこのマヨイガに偶然たどり着いた人は、必ずそのおうちの中にある家財道具や家畜など、何でも好きなものを持ち帰るべきだといわれています。
なぜなら、山のエライ神様が、その人に幸運と宝物を授けようとしてわざわざあのようなおうちを見せてくれるのだからです。
あの奥さんは欲がまったくなかったので、おうちの中から何も盗んでこなかった。だからこそ、あの不思議なお椀のほうから自ら進んで川を流れてやってきたのだろう、と人々は語り継いでいるのです。
○この「カド」とは、おうちの門のことではありません。川戸(かわと)といって、門の前を流れる川の岸辺に、水を汲んだり洗濯をしたりするために、家ごとに作られた場所のことです。
○「ケセネ」とは、お米や稗(ひえ)、その他の穀物のことをいいます。
「キツ」とは、その穀物を入れる木製の箱のことです。大きさも形もさまざまな種類のキツがあります。
六四 金沢村(かなざわむら)の白望(しろみ)のふもとは、上閉伊郡(かみへいぐん)のなかでもとくに深い山奥にあって、ふだん人が行き来することはめったにありません。
今から六十七年前のこと、この村から栃内村(とちないむら)の山崎(やまざき)という家へ、一人の娘のお婿さんがやって来ました。
ある日、このお婿さんが自分の実家へ帰ろうとして山道で迷ってしまい、なんとこの「マヨイガ」に偶然行き当たりました。
おうちの様子や、牛や馬がものすごくたくさんいたこと、赤や白の花が咲き乱れていたことなど、何もかもがさきほどのお話の通りでした。
やっぱり玄関から中に入ってみると、お膳やお椀がたくさん出してある部屋があり、座敷には鉄瓶のお湯がグラグラと沸いていて、まさに今お茶を入れようとしているかのような雰囲気でした。さらに、家のトイレのあたりに人が立っているような気配さえ感じられました。
お婿さんはすっかりボーッとなって驚き、後からだんだんと恐ろしくなってきて、あわてて引き返し、ようやく小国の村里へと抜け出すことができました。
小国の人たちはこの話を聞いても誰も本当だとは思いませんでしたが、山崎のほうの人たちは、「それはきっとマヨイガにちがいない! 行ってみてお膳やお椀の仲間をいただいてきて、大長者になってやろうじゃないか」と大はしゃぎしました。そして、お婿さんを先頭にして、村の男たちが大勢でそのマヨイガを探しに山の奥へと入っていきました。
けれど、「このあたりに門があったはずだ」という場所までたどり着いたものの、いまはもう何ひとつ目の前に現れることはなく、みんな空しくすごすごと帰ってくるよりほかありませんでした。
そのお婿さんも、結局のところ大金持ちになったという話は一度も聞いたことがありません。
○上閉伊郡金沢村のお話です。
六五 早池峯山(はやちねさん)は、ツルツルとした美しい御影石(みかげいし)でできた山です。
この山の小国(おぐに)のほうに向いている側には、「安倍ヶ城(あべがじょう)」という恐ろしい岩があります。
ものすごく険しいがけっぷちの真ん中あたりにあり、人間などがとても歩いてたどり着けるような場所ではありません。
ここには、いまでも前九年の役に登場する安倍貞任(あべのさだとう)のお母さんが住んでいるという言い伝えが残っています。
雨が降り出しそうな夕方などには、この岩屋の扉をギッチリと閉める「カギの音」がキリキリと聞こえてくるということです。
小国や附馬牛(つきもうし)の人たちは、「おっ、安倍ヶ城の錠前の音が聞こえるぞ。明日はきっと雨だな」などと話し合ったりします。
六六 同じ早池峯山の、今度は附馬牛(つきもうし)からのぼる登り口にも、「安倍屋敷(あべやしき)」という大きな岩の洞窟があります。
とにかく、早池峯山という山は、安倍貞任に深くゆかりのある山なのです。
小国から山へ登る入口のところにも、源義家(みなもとのよしいえ、八幡太郎)の家来で、戦で討ち死にしてしまった人たちを手厚く埋葬したという塚が、三つほど並んで残っています。
六七 安倍貞任に関する伝説は、このほかにもまだまだたくさんあります。
土淵村(つちぶちむら)と、昔は「橋野(はしの)」と呼んでいた栗橋村(くりはしむら)との境界のあたりで、山口という場所から山道を二里も三里も登っていった山の中に、広くて平らな原っぱがあります。
そのあたりの地名は「貞任(さだとう)」と呼ばれています。
そこには沼があって、むかし貞任が自分の馬の体を冷やした場所なのだといわれています。
また、貞任が陣屋(作戦本部)を建てた場所の跡だとも言い伝えられています。
ここは見晴らしがとても良い場所で、遠く東の太平洋(海岸)がよく見わたせます。
六八 土淵村には、「安倍氏」という古い家系があって、自分たちは安倍貞任の子孫なのだと代々言い伝えています。
昔はものすごく栄えた立派なおうちでした。
いまでもお屋敷のまわりには深い堀がめぐらされていて、サラサラと水が流れています。
家の中には、たくさんの刀や剣、馬具などが今でも残されています。
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