土淵村(つちぶちむら)の子供たち十四、五人で早池峯山へ遊びに行き、うっかり夕方近くになってしまったので、急いで山を下りてふもとに近づいたころ、背の高い男が下から急ぎ足で登ってくるのに行き合いました。
肌は黒っぽく、目はギラギラと輝いていて、肩には麻のような古い浅葱色(あさぎいろ)の風呂敷で包んだ小さな荷物を背負っていました。
とても怖かったのですが、子供の一人が「どこへ行くの?」とこちらから声を掛けたところ、「小国(おぐに)さ行く」と答えました。
しかしこの道は、小国へ越えていくような方向ではありません。子供たちが立ち止まって「変だな?」と不審に思っていると、通り過ぎるかと思えないほどのあっという間に、もう見えなくなってしまいました。
「山男だ!」と口々に言いながら、子供たちはみんな逃げ帰ったということです。
九三 これは和野(わの)の菊池菊蔵(きくちきくぞう)という男のお話です。その妻は、笛吹峠(ふえふきとうげ)の向こう側にある橋野(はしの)から嫁にやってきた人でした。
あるとき、その妻が実家に里帰りしている間に、糸蔵(いとぞう)という五、六歳の男の子が病気になってしまいました。そこで菊蔵は、昼過ぎから笛吹峠を越えて、妻を連れ戻しに妻の実家へ向かいました。
名高い六角牛山(ろっこううしさん)に続く山道なので木々が深く、特に遠野側から栗橋(くりはし)側へ下ろうとするあたりは、道が「ウド(両側が深くえぐれた切通しの道)」になっていて、両側が切り立った崖(がえ)になっています。
太陽の光がこの崖に隠れて、あたりが少し薄暗くなってきたころ、「後ろの方から『菊蔵!』と呼ぶ声がする」ので振り返ってみると、崖の上から下をのぞき込んでいる者がいました。
顔は真っ赤で、目はピカッと光り輝いていました。前の話と同じです。
そして、「お前の子どもはもう死んでいるぞ」と言いました。
この言葉を聞いて、恐怖よりもより先に「はっ!」と胸を突かれましたが、もうその姿はどこにもありませんでした。
急いで夜道を妻と一緒に歩いて家に帰ってみたところ、果たして子どもはすでに亡くなっていました。
これは四、五年前の出来事です。
○「ウド」とは、道の両側が高く切り込まれた細い道路のことです。東海道の国々で「ウタウ坂」や「謡坂(うたいざか)」などと呼ばれるのは、すべてこのような小さな切通しのことなのでしょう。
九四 この菊蔵が、柏崎(かしわざき)にある姉の家に用事があって出かけた帰り道、ごちそうになったお餅の残り懐(ふところ)に入れて、愛宕山のふもとの林を通りかかったところ、象坪(ぞうつぼ)の藤七(とうしち)という、大変な大酒飲みで、菊蔵とは仲良しの友人に行き合いました。
そこは林の中でしたが、少しだけ芝生が生えている広場のようなところでした。
藤七はにこにこと笑いながらその芝生を指さして、「ここで相撲を取らないか?」と言いました。菊蔵はその誘いにうなずき、二人は草原でしばらくの間遊んでいましたが、この藤七があまりにもか弱く、体を軽々と自由に抱えられては投げ飛ばされてしまうので、面白がるままに三本勝負まで相撲を取りました。
藤七は、「今日はとてもかなわないや、さあ帰るとしよう」と言って、そこで別れました。
四、五間ほど歩いてからふと気づくと、さっき懐に入れていたお餅が見当たりません。
相撲を取っていた場所に戻って探してみたものの、どこにもありませんでした。
「ひょっとして相手は狐だったのだろうか?」と初めて疑いはしたものの、人目を気にして恥ずかしかったので誰にも言わずにいました。しかし、四、五日ほど経ってから酒屋で藤七に偶然会い、その話をしてみたところ、「俺が相撲なんか取るものか、その日はずっと浜の方へ行っていたんだぞ!」と言われてしまい、自分がいよいよ狐と相撲を取っていたのだということがすっかりバレてしまいました。
それでも菊蔵は、なおも他の人々には秘密にして隠していましたが、去年の正月の休みにみんなでお酒を飲みながら狐の化かされた話をした時、「実は俺も……」とこの話を白状したところ、大いに笑われてしまいました。
○象坪は地名であり、同時に藤七の名字でもあります。象坪という地名の由来については、『石神問答』という書物の中で研究しています。
九五 松崎村の菊池某という、今年で四十三、四歳になる男がいました。この男は庭木を育てるのがとても上手で、山に入っては草花を掘り出して自分の庭に植え替えたり、形の面白い石を見つけると、重いのも厭わずに家まで担いで帰るのが日課でした。
ある日、ちょっと気分がすぐれなかったので家を出て山へ遊びに行ったところ、今まで一度も見たことがないほど美しく立派な大きな岩を見つけました。
いつもの道楽から、「これをどうしても持って帰りたい!」と思い、よいしょと持ち上げようとしたのですが、これがものすごく重いのです。
まるで人間が立っているかのような形をしていて、背の高さもちょうど大人くらいありました。
それでも欲しくてたまらなかったので、その石を無理やり背負い、我慢して十間(約18メートル)ほど歩いたのですが、気絶しそうになるほどあまりにも重いので、「何か変だな?」と怪しみ、道の脇にその石を立てかけて少し寄りかかるようにしたところ、なんとその石と一緒に、そのままスーッと空中に浮かび上がっていくような心地がしました。
気づけば雲の上よりも高くまで来てしまったようで、あたりは現実とは思えないほど明るく清らかな場所でした。周囲には様々な花が咲き誇り、しかもどこからともなく大勢の人々の話し声が聞こえてきます。
それでも石はますます昇っていき、ついに昇りきってしまったのか、何もかも記憶がなくなってしまいました。
その後、どれくらいの時間が過ぎたのか、ふと気がつくと、やはり以前と同じように不思議な石に寄りかかったまま、もとの場所に立っていました。
「この石を家の中に持ち込んだりしたら、一体どんな恐ろしいことが起きるかわからない……」と急に怖くなり、慌てて逃げ帰ってきました。
この石は、今でも同じ場所にそのまま残っています。
時々これを見るたびに、またあの石が欲しくなってしまうことがあると、彼は語っています。
九六 遠野の町に、「芳公(ほうこう)馬鹿」と呼ばれている、三十五、六歳の男がいました。彼は生まれながらの知能の遅れがあり、一昨年まで生きていました。
この男の変な癖は、道端にある木の切れ端やゴミなどを拾い上げては、それをねじりながらじっと見つめたり、あるいはくんくんと匂いを嗅いだりすることでした。
人の家に入り込んでは柱などを手のひらでこすり、その自分の手を嗅いでみたり、どんなものであれ目の前までグッと持ち上げては、ニコニコしながら何度も匂いを嗅ぐのでした。
また、この男は通りを歩きながら突然ピタッと立ち止まり、石ころなどを拾い上げては近くの民家の壁に激しく打ちつけ、「大変だ!火事だ、火事だ!」とものすごい大声で叫ぶことがありました。
不思議なことに、こうして彼に石を投げつけられた家は、その日の夜かあるいは翌日には必ずと言っていいほど火事を起こすのでした。
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