「さてはこいつだな!」とピンときた男は、身を潜めてこっそり家の外へ抜け出し、建物の裏側にまわってみたところ、まぎれもなく一匹の狐が、首を流し元の穴に突っ込み、後ろ足を爪先でしっかりと立てて覗き込んでいました。
そこで、そこにあったちょうど良い棒切れを拾い上げ、この狐をボコボコに叩いて退治しました。
○下閉伊郡豊間根村大字豊間根(しもへいぐん とよまねむら おおあざ とよまね)。
一〇二 正月十五日の晩のことを小正月(こしょうがつ)と言います。
夕方の時間帯には、子供たちが「福の神だぞー」と言いながら四、五人のグループを作り、袋を持って人々の家を訪ね歩きます。「明るい方角から福の神が舞い込んできたよ!」と唱えて、お餅を分けてもらう習慣がありました。
しかし、夜の帳が下りて夕方を過ぎると、この晩に限り、人々は決して家の外に出ることはありません。
なぜなら、小正月の夜中を過ぎると、本物の「山の神」が出てきて遊び歩くと言い伝えられているからです。
山口という地域の字・丸古立(あざ・まるこだち)に住む、おまさという今では三十五、六歳になる女性が、まだ十二、三歳の子供だった頃のことです。
一体どんな理由からか、たった一人だけで福の神の真似をして家を出て歩き回り、あちこちを歩いているうちにすっかり遅くなってしまいました。薄暗い淋しい道を一人で帰ってくる途中、向こう側から背の高い男が歩いてきて、すれ違いました。
その男の顔はギョッとするほど真っ赤で、目はギラギラと輝いていました。
彼女は怖くなって背負っていた袋をその場に放り出し、全速力で逃げ帰ったのですが、その後は大熱を出して大いに寝込んでしまったということです。
一〇三 小正月の夜、あるいは小正月でなくとも冬の満月の夜には、「雪女(ゆきおんな)」が出てきて遊ぶとも言われています。
しかも、子供たちを大勢引き連れてやって来るそうです。
村の子供たちは、冬になると近所の丘へ行って橇(そり)遊びをし、あまりの面白さに夢中になって、すっかり夜になってしまうことがありました。
しかし、「十五日の夜だけは、雪女が出るから絶対に早く帰るように!」と厳しく言い聞かされるのがいつものことでした。
もっとも、実際に雪女を見たという人はめったにいおません。
一〇四 小正月の晩には、運勢を占う行事が本当にたくさんあります。
「月見(つきみ)」と呼ばれる占いでは、まず六つの胡桃(くるみ)の実を半分に割って全部で十二個にし、それらを一斉に囲炉裏の火にくべ、タイミングを合わせて一斉に引き上げます。そして、それらを一列に並べて右側から「正月、二月……」と数えていきます。満月の夜にふさわしく晴れるはずの月はいつまでも赤く燃え続け、曇るはずの月はすぐに真っ黒になり、風が吹く月は「フーフー」と音を立てながら炎が激しく揺らめくのです。
何度やり直しても、結果はいつも同じになります。
村中のどこの家で占っても全く同じ結果が出るのが実に不思議なところです。
翌日になると、みんなでこの占いの結果について語り合います。例えば、「今年の八月の十五夜は風が吹くらしいぞ」となれば、その年の稲の刈り入れをいつもより急ぐのです。
○五穀の占い、月の占いは、多少のバリエーションはありますが日本各地で行われています。おそらく昔の陰陽道(おんみょうどう)から伝わったものなのでしょう。
一〇五 また、「世中見(よなかみ)」と呼ばれる占いもあり、これも同じく小正月の晩に行われます。いろいろな種類の米を使ってお餅を作り、それを鏡餅のかたちにします。そして、同じ種類の米を膳の上に平らに敷き詰め、その上に先ほどの鏡餅を伏せるように置き、さらにその上から鍋をすっぽりと被せておき、翌朝になってからその中身を見るのです。
お餅の裏側にたくさんくっついていた米粒の多い穀物は、その年は豊作になるとして、早稲(わせ)・中稲(なかて)・晩稲(おくて)の種類を見分けて決定するのです。
一〇六 海岸にある山田(やまだ)という地域では、毎年「蜃気楼(しんきろう)」が見られます。
そこで見られる景色は、いつも決まって外国の風景なのだそうです。
見たこともないような立派な都の様子で、道路には馬車や牛車が行き交い、人々の往来が目が眩(くら)むほど賑やかなのだと言います。
不思議なことに、毎年見られる建物の形などは、少しも変わることがないということです。一〇七 上郷村(かみごうむら)に「河ぷちのうち」と呼ばれる家がありました。早瀬川(はやせがわ)の岸辺に建っています。この家の若い娘が、ある日川原に出て石を拾っていると、見慣れない男がやってきて、木の葉か何かを娘にくれたのです。その男は背が高く、顔はまるで朱色(しゅいろ)のように真っ赤でした。不思議なことに、娘はこの日を境にして、未来のことが分かる占いができるようになったのです。村の人たちは、あの異人は山の神であり、その山の神の子どもになったのだと噂し合いました。
一〇八 山の神が乗り移ったかのようにして、不思議な占いをする人があちこちにいます。附馬牛村(つくまうしむら)にもそんな人がいました。本業は木挽(こびき:木を切る職人)でした。柏崎の孫太郎(まごたろう)という男もその一人です。以前は頭がおかしくなって心を失ってしまっていたのですが、ある日山に入り、そこで山の神から占いの術を授かってからは、驚くことに人々の心の中をまるで手に取るように読めるようになったのです。その占いのやり方は、世間の占い師とはまったく違っていました。特別な書物などは一切見ず、占いを頼みにやってきた人と世間話をしながら、そのうちふと立ち上がり、家の中をあちこち歩き出すかと思うと、相談者の顔を少しも見ないまま、心に浮かんできたことをそのまま口にするのです。しかも、驚くことにそれが外れたことは一度もありません。例えば、「お前の家の床板を外し、下の土を掘ってごらん。古い鏡か、あるいは折れた刀が出てくるはずだ。それを取り出さないと、近いうちに死人が出るか、あるいは家が火事になるぞ」といった具合です。相談者が家に帰って言われた通りに床を掘ってみると、必ずその通りに出てくるのです。こうした例は、指を折って数えきれないほどたくさんありました。
一〇九 お盆の時期には「雨風祭(あめかぜまつり)」といって、藁(わら)で人間よりも大きな人形を作り、道の分かれ道まで送っていって立てる風習があります。紙で顔を描き、瓜(うり)で男女のシンボルを作って添えたりします。害虫を追い払う「虫祭(むしまつり)」の藁人形にはこんなものはなく、形ももっと小さいものです。雨風祭のときは、村の中から「頭屋(とうや:当番の家)」を決め、村人たちが集まってお酒を飲んだあと、みんなで笛や太鼓を鳴らしながら道の辻(つじ)までその人形を送り届けるのです。使う笛の中には、桐(きり)の木で作った大きなホラ貝のような笛もあり、これを高らかに吹き鳴らします。そのときに歌う歌は、「二百十日の雨風まつるよ、どちの方さ祭る、北の方さ祭る」というものでした。(※『東国輿地勝覧(とうごくよちしょうらん)』によると、韓国でも神聖な祭壇を必ず城の北側に作ることが記されています。
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