初級翻訳・雨を降らす話 第2話

中谷 宇吉郎

この種の実験は何度も繰り返され、90パーセントの確率で成功したといいます。

しかし、その後のソ連におけるこの研究の行方は知る由もありません。あるいは秘密にされているのかもしれませんが、立派に実用化される段階までは成功していないように見受けられます。

ここまでの話は、雲の粒、つまり小さな水滴を結合させたり成長させたりして、大きな雨粒を作るという考え方に沿った研究でした。ところが、雨が降る仕組みについては、全く別の説があります。

それがいわゆる「ベルゼロンの説」です。これは、上空が零度以下の低温になっている場所で雪の結晶ができ、それが地表近くの暖かい空気の層へ落ちてきたときに、溶けて雨となって地面に届くという考え方です。この説が正しければ、「どうやって雪ができるか」さえ分かってしまえば、あとは問題が解決したも同然です。夏であっても6000メートルも上空へ上がれば十分に零度以下になっていますから、寒さの条件については問題ありません。

もう10年ほど前の話ですが、人工雪の実験ができて間もない頃、岡田武松先生が私たちの低温室を訪ねてこられたことがあります。一通り実験を見て、低温室を出られたあと、先生は「今度は雨だね。雨ができたら大したことだから」とおっしゃいました。それで私が「この結晶を低温室の外へ持ち出せば雨になりますが」と答えると、先生は「なるほどね」と大笑いされたことがありました。

もっとも、岡田先生の本当の意図は、ベルゼロンの説が当てはまらないケースの雨も含めての話でした。比較的低い雲から雨が降ることもよくあり、その場合は、上空が零度以下であるとはどうしても考えられないことがあるからです。結局、雨が降る仕組みはまだ完全には解明されておらず、雪やあられが溶けて雨になる場合もあれば、そうではない場合もあるということになります。

人工降雨を目指すのであれば、とにかく雨さえ降らせればよいのですから、ベルゼロン流のやり方で雨を降らす工夫があってもよいはずです。その場合は、いかにして人工的に雪を作るかということが分かれば、それで事足りることになります。それなら、まさに私たちがこの10年間取り組んできた実験の出番です。

ただし、私たちの人工雪の研究は、結晶の形とそのできる条件との関係を主に調べたものであり、一番最初に「雪の結晶がどうしてでき始めるか」という点には触れていませんでした。

一般的には「水は零度で凍る」と言われています。しかし、この言い方は非常に不正確で、水は零度では決して凍りません。氷と水とを接触させておいたとき、凍ることも溶けることも起きない温度、それこそが零度なのです。別の言い方をすれば、氷の芯があれば、水は測定できないほどほんの少し零度より低い温度、つまりほとんど零度で凍結するのです。

極めて簡単な実験として、試験管の中に蒸留水を入れ、その中によく洗った温度計を立てて、氷と塩を使って冷やしてみればすぐに分かります。温度計が零下3度くらいまで下がっているのに、水は液体のままでいるのが普通です。このように、零度以下でも液体の状態を保っている水を「過冷却の水」と呼びます。この過冷却の水に、小さな氷の粒をひとつ入れてやると、全体がほとんど一瞬のうちにカチコチに凍ってしまいます。
この「過冷却」という状態は、水滴が空中に浮かんでいるときに、もっともよく起こります。
冬の空に浮かぶ雲は、もちろん気温が零度以下になっています。
しかし、あの冬の空に見える鼠色の雲は、ほとんどすべてが過冷却の水滴のままの状態であり、氷の粒になっていることは極めて珍しいのです。
もっとも、ずっと高い空にある、まるで刷毛(はけ)で掃いたような形の雲は、氷の粒でできています。
この過冷却の水滴からできている雲を「雨雲」、氷の粒からできている雲を「氷雲」と呼ぶことにしましょう。
氷雲の粒は、氷の極めて小さな結晶です。
これを「氷晶(ひょうしょう)」と呼びます。
では、この氷晶と雪の結晶はどう違うのかというと、それは単に大きさの問題です。
雪の結晶はもちろん氷の結晶ですが、その大きさは、六花(りっか)のように普通の形のものであれば、直径二、三ミリくらいのものが多いのです。
ところが氷晶は、直径が百分の一ミリという、極めて小さなものです。
ちょうど、雨雲の粒と雨滴の関係が、氷雲の氷晶と雪の結晶の関係に当てはまるわけです。
雪の結晶がどのようにできるのかは、次のように説明されます。
まず最初に、氷の極めて小さな粒、つまり氷晶ができて、それが氷雲を作ります。
この氷晶がとてもゆっくりと落ちてくる間に、水蒸気が飽和しているような空気の層を通ると、その氷晶に水蒸気がくっついて、その時の条件によっていろいろな形の結晶に育つのです。
結晶が十分に大きくなると、落ちるスピードも速くなるので、どんどん地面へと降ってくるのです。
さて、私たちの人工雪の研究では、この氷晶が最初にどうやってできるのかという点については、まったく触れていませんでした。
雪の結晶を立派に育て上げるためには、三十分から数時間もの間、結晶を空中に浮かせておく必要があります。
そこで私たちは、ウサギのお腹の毛の上に雪の結晶を作り、その毛で吊るすことにしました。
ウサギのお腹の毛には、ところどころに極めて小さなコブがあります。
それが芯(しん)となって、まず氷晶ができるのです。
暗い低温室の中で顕微鏡をのぞいていると、毛の一点がピカリと光り出します。
これが氷晶なのです。
氷晶ができてからは、気温や水蒸気の量をいろいろと変えてやることで、それぞれの条件に合わせて、さまざまな形の雪の結晶が育っていきます。
その雪の結晶の形と、できる条件との関係を調べるのが、私たちの主な研究テーマでした。
この研究は、私たちの教室の花島博士が、非常に根気よく三年近くも実験を続けて、ようやく一通りのことがわかったのです。
ちょうど、この前の戦争中のことでした。
ですから、最初の氷晶がどうやってできるのかさえわかれば、雪の結晶のでき方は完全に解明されたことになります。
そして、これを成し遂げたのが、スケネクタディにあるG・E研究所のシェファー博士たちです。
その最初の実験は、終戦の翌年に行われました。
シェファー博士は、G・E研究所で、ラングミュア博士の研究室に所属しています。
ラングミュア博士は、もう七十歳になる老先生で、三十年近くも前に「単分子層」の研究でノーベル賞をもらった、とても有名な化学者です。
化学者ではありますが、いろいろなことに興味を持つ方で、この頃はすっかり気象学者になっておられます。
シェファー博士は、まだ四十歳にもなっていないくらいの若さでしょう。
極めて簡単な装置を使って、とても面白い実験を次から次へと行うので、アメリカの学者仲間のあいだでも評判になっている人です。
シェファー博士が、最初に氷晶を作った実験というのは、驚くほど簡単なものです。
家庭用の古いタイプの電気冷蔵庫に、上から蓋を開けるタイプのものがあります。
二尺から三尺(約60~90センチ)くらいの四角い箱で、底に冷却パイプが通っていて、上蓋がついているだけのシンプルなものです。

コメント

タイトルとURLをコピーしました