各人それぞれ自慢のカメラや寒暖計などを持ち出して、たいへんな意気込みで乗り込むことになった。
洞爺湖温泉で一泊した一行は、翌朝速く立って湖畔に沿い、明治四十三年に出来た新山の麓を通って、西湖畔へ出た。
此処まではところどころに降灰の痕跡を見る程度にすぎなかったが、一歩西湖畔から折れて山地に向うと、途端に一望唯灰一色の死の山野の風景が展けて来た。
そしてその景色の奥に、新しい火山が濛々たる白煙を噴いて聳えている姿に接したのである。
この有珠山の東麓地帯も、普通に北海道によく見られる広漠たる平野で、極めてなだらかな起伏のある美しい沃野である。
昨年までは一面の緑の畑に牧草地が続き、ところどころに白い牛が放たれていたのであろう。
それが今は全く熱灰の下に埋められ、一望沙漠のような何物も無い景色に変っている。
わずかに残骸を示す立木も白く枯れて、半ば折れ摧かれている。
正面の新火山の右に、松本山が丸坊主になって小さく見える。
これもこの附近では目立って高い山であったのが、まるで今度の山の瘤くらいな恰好である。
左手には、ずっとなだらかな丘陵地帯が続いているが、それも全山灰の下になって、滑らかな砂丘のような姿である。
暫く歩いて行くうちに、黒い洋服の布地の上に、白い粉がいつの間にか溜っている。
今日は風向きが悪いので、こっちへ灰が来るらしい。
立ち止ると、火山の地鳴りがごうごうと、遠い海鳴りのように聞えて来た。
歩きにくい灰の上を難行しながら、新火山の麓近くまで行く。
近づくにしたがって、鳴動はだんだん大きくなって来る。
降灰層の厚みは、二メートルを越えるところもある。
降水の浸蝕のために、到るところに原始の川が出来ている。
この種の「土」に特有な性質として、両岸が垂直に切り立って、落雁を割ったような形になっている。
北支の奥、ゴビの沙漠の黄土地帯を流れる川の原型が、到るところに見られるのである。
地割れといった方が適当なこの原始の川については、構造よりもその形の方が私にはもっと心が惹かれた。
左手にある砂丘のような滑らかな丘陵の腹に、この原始の川が何本も並んでいる。
山肌のわずかばかりの凹みを水が流れ、一度水が流れるとますます溝が深くなるので、その流路は固定される。
そういう流路が沢山沢に向って集り、一本の幹となって流れ下る。
それ等の流路が、一草の遮るもののないこの原始の山肌の上では、ちょうど地図の上で見る川の形そのままに見られるのである。
山はただ一面の灰に蔽われ、生ける者のしるしもない。
灰色一色の山肌の上に、両岸の切り立ったこの原始の川が、強い鉄線を曲げたような形に、黒く力強い線となって刻み込まれている。
天地創造の世界で、川が誕生する時の姿を想像するには、これ以上の巧い景色は無いであろう。
熱灰の下の松本山は、悲惨な景色である。
なまじっか唐松の林に蔽われていたばかりに、無慙にも摧かれたその残骸が、灰にまみれているのが傷ましい姿に見える。
不思議なのは、松本山の右手に続く山の唐松が、皆根本に近いところからへし折られたような形に倒れていることである。
こういう例は前にも一度あったとかいうことで、何か重いガスが非常な勢いで噴出されたためではないかと、想像している人もあるそうである。
そういうことは実験室の物理学ではちょっと考えられないが、そうかといって外にちょっと説明のしようもない。
天地創造の世界で起る現象は、そう簡単に説明されないのが当然なのかもしれない。
もうだいぶ山が落着いているので、円頂丘にはとても登れないが、外輪山壁までは行けそうである。
そこまで行けば、円頂丘の割れ目から中の熔岩が見えるはずだがということで、私たちはまず松本山へ登った。
その頂上から新火山の外輪山壁へは、比較的安全に登れるということである。
この出来たばかりの火山は、私たちの見ている眼の前でも、盛んに岩が崩れ落ちているので、とてもまともには近寄れないのである。
松本山の頂上附近は、深い地割れが一面にはいっている。
全山を蔽った厚い降灰層が、その後の基盤地形の変化によって、散々に割られたのである。
今にも全山が崩壊しそうな気がする。
薄気味悪い思いをしながら、深い地割れをまたいで登って行く。
いよいよ新火山にとりつくと、地鳴りはますます激しくなる。
ごうごうと全山が身を震わせて鳴っているようである。
何だか本統にその振動が脚下に響いて来るようである。
外輪山壁にとりついて、噴煙の円頂丘に面と向った時に、景色がまるで一変したという感じを受けた。熱灰の下の山野はすっかり生き物がいない死の世界ですが、この今まさに大地の底からググッと押し上がってきた岩山は、学者スタインの言葉を借りるなら、まだ命というものをまったく知らない世界です。
まずパッと見て驚くのは、そのあまりにカラフルな色彩の美しさです。
一気に405メートルもの高さまで押し上げられた地殻は、これまでの表面の土をどこかへ脱ぎ捨てて、地下深くの岩盤をむき出しにしています。
これまで地の底の熱とガスにずっと焼かれていたその岩盤は、縦や横にバキバキと打ち割られて、1メートルから2メートルくらいの岩の塊が集まり、かろうじて山の形を保っています。
何百万年もの長い間、地下深くに隠されていて、いま初めて太陽の光を浴びた岩の色は、この上なく鮮やかです。
それは、人間が暮らす世界にあるものとはまったく違う美しさです。
科学的な成分分析をすれば、鉄分がたくさん含まれているからだと言われるかもしれませんが、この岩の基本となる色は、うっすら紫がかった赤茶色に似ています。
岩の割れ目からは、シュールと湯気が漏れています。
そんな割れ目のふちは、とびきり鮮やかな色で縁どられていて、濃い紫色や、きらきら輝く黄色、そしてリアルな朱色(本物の鶏冠石の色)で飾られ、まるで貝殻の螺鈿(らでん)細工をちりばめたみたいに、妖しく美しく光っているのです。
黄色はきっと、硫黄の結晶でしょう。
朱色のほうは、ヒ素のガスによって本物の鶏冠石(けいかんせき)が生まれちゃっているのかもしれません。
そういえば、美しい孔雀石の青緑色を思わせる鮮やかな色も混ざっています。
そっと手で触ってみると、岩はまだ熱を帯びています。
この妖しく美しい岩の原っぱを目の前にして、もうもうと立ちこめる白煙のすき間から、紫色を帯びた黒いドーム状の巨大な岩の塊が、すぐ目の前に見上げるほど高くそびえ立っています。
真っ白な噴煙が、その丸いドームのふもとからてっぺんまで、あらゆる場所からものすごい勢いで噴き出して、この大きな岩の塊をすっぽりと包み込んでいます。
地響きを立てて轟く鳴り動は、ほんの一瞬たりとも休むことがありません。
噴煙が右に左にゆらめくすき間から、ときどき岩の割れ目がチラリと見えます。
双眼鏡を目にあてたままじっと待っていると、煙が風に流れるすき間に、その割れ目が黒くぽっかりと浮かび上がってくるのです。
割れ目の奥は真っ暗で、その底には真っ赤な溶岩がギラギラと光って見えます。
その火の色を見ていると、なんだか自分が、今まさにリアルな地球の底をのぞき込んでいるような、不思議な気持ちになってきます。
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