初級翻訳・魔法博士 第26話

江戸川 乱歩

上の部屋の黄金怪人が消えて、下の部屋の警察官の一団が現れたというわけです。
上の部屋がすっかり降りてしまうと、中から黄金怪人が岩の廊下へ歩み出てきました。
「ワハハハ……、魔法博士、おれの手並みがわかったか。
きみが作ったびっくり箱を利用して、きみたちをまんまと捕らえてしまったぞ。
こうなっては、きみも運の尽きだと諦めるんだな。
この警察官たちは、裏の原っぱの洞穴からひとりずつそっと案内して、このびっくり箱の中に隠しておいたのさ。
見まわりをしていたきみの部下に二度ほど見つかったが、そのふたりは手足を縛ってサルグツワをはめ、洞窟の外の草むらに転がしておいたよ。
ワハハハ……」さいごの切札

 魔法博士と三人の部下は、さっきから岸壁に背中をピタッとつけて、両手を上に上げたまま、じりじりと横のほうへカニ歩きで移動していましたが、黄金怪人がおしゃべりをしているすきに、絶好のチャンスだと見はからって、パッと走りだし、すぐそばの曲がり角の向こうへ姿を消してしまいました。
「あっ、逃げたぞっ!」
 警察官たちはすぐにその後を追いかけました。
黄金怪人もいっしょに走りながら、
「ピストルはあくまでおどかしのために撃つんだよ。あいつらを殺しちゃいけないぞ」
と、警察官たちに注意しました。
角を曲がると、前の方を魔法博士と三人の部下が走っていくのが見えます。
バーン、バーンとピストルの音が岩の廊下にものすごい勢いで響き渡りました。
もちろん相手をびっくりさせるためのおどしですから、当たるはずもありません。
それからいくつもの角を曲がって、やっとたどり着いたのは、あの地下の牢獄の前でした。
魔法博士は明智探偵が閉じ込められている牢屋のドアを素早く鍵で開けると、中にとびこみ、どこからかギラリと光るするどい西洋短剣を取り出して、明智探偵の胸をねらい、今にも突き刺し殺しそうな身がまえをしました。
三人の黒覆面の部下たちは、小林、井上、野呂の三少年の牢屋に入り、やっぱり同じような西洋短剣をふりかざして、少年たちを今にも刺し殺そうとしています。
それを見た警察官たちは、「あっ!」と驚いて、その場で足がすくんでしまいました。
「さあ、どうだ! ピストルが撃てるなら撃ってみろ。ピストルよりも、この短剣のほうがずっとすばやいぞ!」
 魔法博士は明智探偵を無理やり立ちあがらせ、その背中に短剣の切っ先をピタリとあてがい、後ろから押しつけるようにして、牢屋の鉄格子の外に出てきました。
しかし、警察官たちにはどうすることもできません。
近づこうものなら、たちまち短剣が明智の背中に突き刺さってしまいます。
ピストルも使えません。
なぜなら魔法博士は、明智の体を警察官たちのほうに向けさせ、自分はその後ろにすっぽりとかくれるようにしているからです。
ここでピストルを発射すれば、博士ではなく大切な明智探偵に弾が当たってしまいます。
魔法博士は、そうやってこのピンチを切りぬけ、まんまと逃げだしてしまうのでしょうか? 警察官たちは指をくわえて、それを見送るしかないのでしょうか?
「ワハハハハ……!」
 そのとき、とつぜん大笑いする声が響きわたりました。
何者ともしれないあの黄金怪人が、おなかをかかえてケラケラと笑いながら、警察官たちの前へ歩み出てきたのです。
「おい、それがきみのさいごの切札かい? 魔法博士、世の中で自分だけが魔法使いだと思っていると、とんだ大まち違いだぞ。きみのほかにも、きみ以上のすごい魔法使いがいるんだ。その魔法のタネを、そろそろあかすときがきたようだな。さあ、よく見るがいい! おれの顔を、よーく見るがいい!」
 そう言うが早いか、黄金怪人は頭からかぶっていた黄金の仮面のネジをくるくるとはずし、両手ですっぽりと上にぬぎ去りました。
その下からあらわれたのは……? 
もじゃもじゃの髪の毛、広いおでこ、濃いまゆげ、きりっと一文字に結んだくちびる。
あっ! 明智探偵です。
まぎれもない名探偵・明智小五郎の顔でした。
じつにとほうもない大事件が起こったのです。
なんと明智探偵がふたりになったのです。
シャツ一枚の姿で魔法博士に短剣を突きつけられている明智と、黄金の仮面をぬいだ明智と、まったく同じ人間がふたりあらわれたのです。
そのふたりが、わずか三メートルほどの距離をはさんで向かい合って立っているのです。
魔法博士はこのふしぎな光景に、「ギョッ!」と目を見張り、その場に立ちすくんだまま、体が一歩も動かなくなってしまいました。
「おい、魔法博士。この明智小五郎には、だれが見ても絶対にわからないほどそっくりな『かえだま』がいることを、きみは知らなかったのかい? そこにいるシャツ一枚の男は、ぼくのかえだまなのさ。本物の明智は、きみなんかにつかまるほど、まだボケてはいないのだよ!」
 金色のかっこいいよろいを着たままの明智探偵が、両手を腰にあてて、ゆうゆうとした態度でお話しはじめるのでした。
「ぼくは、こんなこともあろうかと思って、あらかじめ黄金怪人の衣装を作らせておいたのだ。ぼくはそれを持って、黒いマントに身をかくして、このやしきにこっそり忍びこんだ。そして、黄金怪人になりすまして、きみの部下の目を完全にあざむいたのさ。まさか黄金怪人がふたりもいるなんて誰も思いやしないから、きみの部下に出あっても、だれひとりあやしまなかったというわけだ。きみたちは、ぼくが本物の岩の廊下を歩いているとばかり思っていたんだよ。ここへ忍びこんだつぎの夜中に、ぼくは、ある部屋の窓をそっと開けて、ふたりの人間を中に招き入れた。そのひとりが、そこにいるぼくのかえだまだ。その男は、きみも知っているとおり、人造人間になりすましてかくれていた。そしてもうひとりは、ひとりの子どもだった。それがいったいどんな子どもだったのか……それは、もうすぐわかる時がやってくるだろう」おい、魔法博士、きみは井上と野呂のふたりの少年をさらって、そのそっくりさん(かえだま)をつくり、グーテンベルクの聖書を盗みだした。
しかし、それはきみのほんとうの目的ではなかったのだ。
目的はぼくを言いなりにして、きみの部下にすることだった。
そこで、まず小林君をつかまえて、ぼくが助けだしにくるようにしむけた。
ぼくはきみの計略にかかったと見せかけて、じつは、その裏をかいたのだ。
かえだまの明智のほうを牢屋にいれさせ、安心させておいて、そのすきに警官隊をひき入れた。
警官隊はここにいるだけじゃない。
裏の洞穴の外にも、建物のまわりにも、そのほか、あらゆる出入り口に、何十人の警官が見はりをしている。
もうアリのはい出るすきもないのだ。

名探偵の勝利

 魔法博士は、思いもよらぬ明智探偵の登場に、すっかり肝をきりつぶしていましたが、さすがは手強い悪党、まだ完全にまいってしまったわけではありません。
やがて、気をとりなおすと、恐ろしい歯車の音のような不気味な笑い声をたてました。
「ウヘヘヘ……、明智先生、だが、まだ安心するのは早かろうぜ。
見ろ! となりの牢屋には三人の子どもがいる。
きみは、あの子どもたちがどうなってもいいのかね。

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