初級翻訳・鼻 第3話

芥川 竜之介

ところが、その人がその不幸をどうにかして乗り越えることができたとたん、今度はこっちが何となく物足りないような気持ちになってしまうのです。少し大げさに言えば、もう一度その人を、同じ不幸に陥れて見たいような気持ちにさえなります。そしていつの間にか、消極的ではありますが、ある種の敵意をその人に対して抱くようになるのです。

内供さまが、理由を知らないながらも、何となく不快に思ったのは、池の尾のお寺の僧侶や人々の態度に、この傍観者の利己的な心を、それとなく感じ取ったからにほかなりません。

そこで内供さまは、日ごとに機嫌が悪くなっていきました。二言目には、誰彼かまわず意地悪く叱りつけました。しまいには、鼻の治療をしたあの弟子の僧でさえ、「内供さまは、お経を大事にしない罪を受けるだろう」と陰で噂されるほどになりました。

殊に内供さまを怒らせたのは、あのいたずら好きな中童子でした。ある日、けたたましく犬が吠える声がするので、内供さまが何気なく外へ出てみると、中童子は二尺(約60cm)ほどの木の棒を振り回して、毛が長く痩せた大きな犬を追い回していました。それもただ追い回しているのではなく、「鼻を打たれるなよ。ほら、鼻を打たれるなよ」と囃しながら、追い回しているのです。

内供さまは、中童子の手からその木の棒をひったくり、思い切りその顔を叩きました。その木の棒は、以前、鼻を持ち上げるために使ったものだったのです。内供さまは、せっかく鼻が短くなったのに、かえって恨めしく思いました。

すると、ある夜のことです。日が暮れてから急に風が出たようで、お塔の風鐸(ふうたく:風で鳴る鈴)の音が、うるさいほど枕元に響いてきました。その上、寒さもぐっと増したので、年老いた内供さまは寝ようとしても寝つけません。そこで床の中でじっとしていると、ふと鼻がいつになくむずむずと痒くなるのに気づきました。手を当ててみると、少し水気があるように腫れています。どうやらそこだけ、熱もあるらしいのです。

「無理に短くしたせいで、病気になったのかもしれない。」

内供さまは、仏前にお香やお花をお供えするような、丁寧な手つきで鼻を抑えながら、そうつぶやきました。

翌朝、内供さまがいつものように早く目を覚ますと、お寺の境内のイチョウやナラが一晩のうちに葉を落としたので、庭は黄金を敷き詰めたように明るく輝いていました。お塔の屋根には霜が降りているせいでしょう。まだ薄い朝日に、九輪(くりん:お塔の頂上にある飾りの輪)がまぶしく光っています。

禅智内供さまは、蔀(しとみ:格子状の窓)を上げた縁側に立って、深く息を吸い込みました。ほとんど忘れかけていたある感覚が、再び内供さまに呼び戻されたのは、この時でした。内供さまは慌てて鼻に手をやりました。手に触れるものは、昨夜の短い鼻ではありません。上唇の上から顎の下まで、五、六寸(約15~18cm)あまりもぶら下がっている、昔の長い鼻なのです。

内供さまは、鼻が一晩のうちに、また元の通り長くなったことを知りました。そしてそれと同時に、鼻が短くなった時と同じような、晴れやかな気持ちが、どこからともなく戻ってくるのを感じました。

「こうなれば、もう誰も笑う者はいないに違いない。」

内供さまは心の中で、自分にこう囁きました。長い鼻を、夜明けの秋風に揺らしながら。

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