初級翻訳・少年 第4話

少年

翼を長く広げたカモメの群れが、まるで猫のように「ニャア、ニャア」と鳴き交わしながら、海面を斜めに横切って飛んでいきました。
あの船やカモメたちは、一体どこから来て、どこへ行ってしまうのでしょうか? 海はただ、何重にも重なった海苔(のり)を育てるための竹の枝の向こう側で、青々と煙っているばかりです。
……
けれども、海というものの不思議をもっとはっきりと感じたのは、お父さんや叔父さんと一緒に服を脱ぎ捨て、遠浅の渚(なぎさ)へと降り立った時のことです。
保吉は最初、砂の上へ静かに寄せてくるさざ波を少し怖がりました。
ですが、それはお父さんや叔父さんと一緒に海の中へ入りかけてからの、ほんの二、三分だけの気持ちでした。
その後の保吉は、さざ波はもちろんのこと、海の恵みのすべてを思い切り楽しみました。
茶屋の手すりから眺めていた海は、どこか知らない人の顔のように、珍しいと同時に少し無気味なものでした。
――しかし、干潟(ひがた)に立って見る海は、大きな「おもちゃ箱」と同じです。
おもちゃ箱! 保吉はまるで神様のように、海という世界をおもちゃにして遊びました。
カニやヤドカリが、太陽を浴びてキラキラ光る干潟を右往左往に歩き回っています。
波は今、彼の足元へ一ふさの海草を運んできました。
あのラッパに似ている貝も、きっと法螺貝(ほらがい)というものなのでしょうか? この砂の中に隠れているのは、アサリという貝に違いありません。
……
保吉の楽しみ方はとても壮大でした。
けれども、そんな楽しい中にも、少しの寂しさがなかったわけではありません。
彼はそれまで、海の色は青いものだと信じきっていました。
両国にある「大平」という店で売っている絵草子や、当時流行っていた石版画に描かれた海は、どれも同じように真っ青だったからです。
特に、お祭りの「からくり」で見せる黄海(こうかい)の海戦の光景なんて、黄海と呼んでいるにもかかわらず、毒々しいほどに青い波が、白い波しぶきを躍らせていました。
しかし、目の前にある海の色は――なるほど、沖のほうだけは青々と煙っています。
ですが、波打ち際に近い海は、少しも青い色を帯びてはいません。
まるで、泥沼に溜まった水と何の違いもない「泥色」をしているのです。
いや、ただの泥水よりも、もっとはっきりとした「赤茶色(代赭色)」をしています。
保吉はこの赤茶色の海を見て、期待を裏切られたような寂しさを感じました。
しかし同時に、勇敢にも「これが残酷な現実なんだ」と受け入れることにしました。
「海を青いと考えるのは、沖のほうしか見ていない大人の勘違いだ」
これは、誰であっても保吉のように海に入って遊んでさえみれば、絶対に納得する真実です。
海は、実は赤茶色をしているのです。
バケツについた錆(さび)に似た、赤茶色をしているのです。
三十年前の保吉が抱いたこの態度は、三十年後の保吉の考え方にもそのまま当てはまります。
赤茶色の海を認めるのは、早ければ早いほどいい。
それに、この赤茶色の海を無理やり青い海に変えようとするのは、結局のところ無駄な努力に終わるだけです。
それよりも、この赤茶色の海の渚で、美しい貝を見つけよう。
海もそのうち、沖のように一面が青くなる時がくるかもしれません。
ですが、まだ来ぬ未来を夢見るよりも、今のありのままを受け入れて安らごう。
――保吉は、予言者のような心を持った何人かの友人を尊敬しながらも、心の奥底では相変わらず一人でこう思っています。
大森の海から帰ったあと、お母さんはどこかへ出かけた帰りに、「日本昔噺(むかしばなし)」の中にある「浦島太郎」の本を買ってきてくれました。
そんなお伽噺(おとぎばなし)を読んでもらうのが楽しみだったのは、言うまでもありません。
ですが、彼はそれ以外にもう一つ、楽しみにしていました。
それは、家にある水絵具を使って、本の中の挿絵を一つずつ色塗りすることでした。
彼はさっそく、この「浦島太郎」にも色を塗ることにしました。
「浦島太郎」の本には、十枚ほどの挿絵が入っています。
彼はまず、浦島太郎が竜宮城を去る場面の絵から塗り始めました。
竜宮城は、緑色の屋根瓦に赤い柱のある宮殿です。
乙姫様は――保吉は少し考えたあと、乙姫様の衣装は一面に赤く塗ることにしました。
浦島太郎は考えるまでもありません。漁師の着物は濃い藍色、腰蓑(こしみの)は薄い黄色です。
ただ、細い釣り竿にずっと黄色を塗るのは、意外と彼には難しい作業でした。
海亀の甲羅も、毛の部分だけを緑に塗るのは、なかなかに骨の折れる仕事です。
最後に、海は赤茶色です。
バケツの錆に似た、赤茶色です。
――保吉は、こうして色が調和したことに、芸術家のような満足感を感じました。
特に、乙姫様や浦島太郎の顔に薄く赤色を加えたことで、まるで生き生きとした雰囲気が出たと信じきっていました。
保吉は、何度も何度も、お母さんのところへ自分の作品を見せに行きました。
何か縫い物をしていたお母さんは、老眼鏡のふち越しに、挿絵の彩色に目を移しました。
彼は当然、お母さんの口から褒め言葉が出るものだと思っていました。
しかし、お母さんはこの色塗りには、彼ほど感心していないようでした。
「海の色が変だよ。どうして青い色で塗らなかったの?」
「だって、海は本当にこういう色なんだもの」
「赤茶色の海なんて、あるわけないでしょう」
「大森の海は赤茶色じゃないの?」
「大森の海だって、真っ青だよ」
「ううん、ちょうどこんな色をしていたよ」
お母さんは、彼の強情な様子に驚きながら、苦笑いを浮かべました。
ですが、どんなに説明しても――いや、癇癪(かんしゃく)を起こして彼が「浦島太郎」の本を引き裂いてしまった後でさえ、お母さんはこの疑いようのない「赤茶色の海」だけは信じてくれませんでした。
……「海」の話はこれでおしまいです。
もちろん、今の保吉が物語らしく見せるために、もっと小説の結末らしい結末をつけることも難しくはありません。たとえば話を終える前に、こういった数行を付け加えるのでした。
――「保吉は母とのやり取りの中で、もう一つ重大な発見をしました。それは、誰もが代赭色(赤茶色)の海には――そして人生という名の、目の前に広がる赤茶色の海には――ついつい目をつぶりたがってしまうものだ、ということです。」

けれども、これは事実ではありません。
それに、満潮になれば大森の海だって青い色の波を立たせているのです。
すると、現実というのは赤茶色の海なのでしょうか、それとも青い色の海なのでしょうか? 結局のところ、私たちの「現実」なんていう考え方も、まったく当てにならないとしか言いようがありません。
そんなわけで、保吉は先ほどのように、余計な細工をせずに話を終えることにしました。
では、話の形はどうするかというと――芸術とは、みなさんが言うように何よりもまず「内容」が大切なのです。細かい表現なんて、どうでもいいことなのかもしれません。

五 幻灯(げんとう)

「このランプに、こうやって火をつけさせていただきます。」
玩具屋の主人は、金属製のランプに黄色いマッチの火をともしました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました