初級翻訳・永日小品 第7話

夏目 漱石

僕が下宿を出るとき、年配の女性は「思いとどまってほしい」と切に頼みました。
下宿代を負けるとか、K君のいない間はあの部屋を使っても構わないとまで言ってくれましたが、僕はとうとう南の方へ引っ越してしまいました。
同時にK君も遠くへ行ってしまいました。

二、三ヶ月してから、突然K君から手紙が届きました。
「旅から帰ってきた。当分ここにいるから遊びに来い」と書いてありました。
すぐに行きたかったのですが、いろいろ都合があって、北の果てまで出向く時間がありませんでした。
一週間ほどして、イズリントンまで行く用事ができたのを幸いに、帰りにK君の所へ寄ってみることにしました。
表の二階の窓を見ると、例の羽二重のカーテンが引き絞られたまま、ガラスに映っています。
僕は暖かい暖炉と、海老茶色のサテンの刺繍と、安楽椅子と、快活なK君の旅行談を期待して、勇んで門を入り、階段を駆け上がるようにしてドアをトントンと叩きました。
戸の向こう側に足音がしないので、聞こえなかったのかと思って、再びノックしようとした途端、戸が自然と開きました。
僕は敷居から一歩中へ足を踏み入れました。
そして、詫びるように僕をじっと見上げているアグニスと顔を合わせました。
その時、この三ヶ月ほど忘れていた「かつての下宿の匂い」が、狭い廊下の真ん中で、稲妻がひらめくかのように僕の嗅覚を刺激したのです。その匂いの中には、黒い髪と黒い瞳、あのクルーゲルのような顔、アグニスに似た息子、そして息子の影のように寄り添うアグニス、それら全員の間に複雑に絡み合った秘密が、一度にすべて詰め込まれていました。
僕はその匂いを嗅いだ瞬間、彼らの感情や動き、言葉や顔色までもが、まるで暗く恐ろしい地獄の底で繰り広げられているかのように、鮮明に浮かび上がってくるのを感じました。
僕は、二階へ上がってK君に会う勇気がどうしても持てませんでした。

猫の墓

早稲田の家に引っ越してから、飼っている猫がだんだんと痩せていきました。
子どもたちと遊ぼうとする様子は全くありません。
日が当たると、いつも縁側で寝ています。
前足をきれいに揃えて、その上に四角い顎を乗せたまま、庭の植え込みをじっと見つめていて、いつまで経っても動く気配がありません。
子どもたちがいくらそのそばで騒いでも、まるで他人事のように知らん顔をしています。
子どもたちの方でも、最初から相手にしなくなりました。まるで「この猫はもう遊び仲間にはなれないよ」と言わんばかりに、かつての友達をよそ者扱いしているのです。
子どもたちだけでなく、お手伝いさんも三度の食事を台所の隅に置いてやるだけで、それ以外にはほとんど構おうとしませんでした。
しかも、その食事もたいていは近所にいる大きな三毛猫がやってきて食べてしまいました。
それでも猫は、特に怒る様子もありません。喧嘩をしているところを見たことさえありませんでした。
ただ、じっとして寝ているだけです。
しかし、その寝方にはどこか余裕がありませんでした。のんびりと楽に体を横たえて、日光を独り占めしているのとは違います。動くべき余力がないために――いや、これではまだ言葉が足りません。
怠けたいという気持ちの限界を通り越して、「動かないのは寂しいけれど、動いたらもっと寂しくなる」というような、そんな思いを我慢してじっと耐えているように見えました。
その眼差しはいつも庭の植え込みを向いていましたが、彼はおそらく木の葉も幹の形も、何も意識していなかったのでしょう。
青みがかった黄色い瞳を、ぼんやりと一点に固定しているだけなのです。
彼が家の子供たちから存在を忘れ去られていたように、彼自身もまた、この世の中という存在をはっきりと認識できていなかったようです。
それでも時々は用があるのか、外へ出て行くことがあります。
すると必ずといっていいほど、近所の三毛猫に追いかけられます。
そうして怖いものだから、縁側へ飛び上がり、立て切ってある障子を突き破って、囲炉裏のそばまで逃げ込んでくるのです。
家の人間が彼の存在に気づくのは、この時だけでした。
猫の方も、この時ばかりは「自分は生きているのだ」ということを、かろうじて実感しているのかもしれません。
こうしたことが何度も続くうちに、猫の長い尻尾の毛が少しずつ抜けてきました。
最初はところどころが穴のようにぽっかりと剥げて見えていたのですが、後には赤い肌が見えるほど広がり、見るのも気の毒なほどだらりと垂れ下がっていました。
彼は万事に疲れ果てた体を無理やり曲げて、しきりに痛む場所を舐め続けていました。
「おい、猫がどうも様子がおかしいぞ」と僕が言うと、「そうですね、やっぱり年を取ったせいでしょう」と、妻はひどく冷淡です。
僕もそのまま放置していました。
すると、しばらくして今度は、食べたものを時々吐くようになりました。
喉のあたりを大きく波打たせて、くしゃみなのかしゃっくりなのか分からない、苦しそうな音をさせるのです。
苦しそうではあるけれど、どうしようもないので、気がつくと外へ追い出していました。
でなければ、畳の上でも布団の上でも容赦なく汚してしまうからです。
来客用に用意した八反の座布団も、ほとんど彼のために汚されてしまいました。
「どうにも仕方がないな。胃腸が悪いんだろう。宝丹(ほうたん)でも水に溶かして飲ませてやれ」
妻は何も言いませんでした。
二、三日してから「宝丹は飲ませたか」と聞くと、「飲ませてもダメです。口を開きませんから」という答えが返ってきました。そのあとで「魚の骨を食べさせると吐くんです」と説明するので、「じゃあ、食べさせなきゃいいじゃないか」と少しきつく叱りながら、僕は読書を続けていました。
猫は吐き気さえなければ、相変わらずおとなしく寝ています。
この頃になると、じっと身をすくめるようにして、自分の体を支える縁側だけが頼りだと言わんばかりに、いかにも窮屈そうな座り方をするようになりました。
眼つきも少し変わってきました。
最初はぼんやりとした視線の中に、どこか遠くを見つめるような落ち着きがあったのですが、それが次第に怪しく揺れ動くようになりました。
けれども、その瞳の色はどんどん沈んでいきます。
日が落ちると、その目に微かな稲妻が走るような気がしました。
けれども、僕は放っておきました。
妻も気にも留めていないようでした。
子どもたちは、もちろん猫がいることさえ忘れています。
ある晩、彼は子どもたちが寝る布団の裾に腹這いになっていたのですが、やがて、自分の捕った魚を取り上げられる時に出すような唸り声を上げました。
この時「変だな」と気づいたのは僕だけです。
子どもたちはぐっすりと眠っています。妻は針仕事に余念がありません。
しばらくすると、猫がまた唸りました。
妻はようやく針を動かす手を止めました。
僕は「どうしたんだ、夜中に子供の頭でも噛まれたら大変だぞ」と言いました。
「まさか」と妻は言い、また襦袢の袖を縫い始めました。
猫は時折、唸り続けていました。
明くる日も、囲炉裏の縁に乗ったまま、一日中唸っていました。
お茶を注いだり、薬缶(やかん)を取ったりするのが、なんだか気味悪く感じられました。

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