初級翻訳・夢十夜 第3話

夏目 漱石

自分は子供ながらに、このおじいさんは一体いくつなんだろうと思いました。
そこへ、裏の筧(かけい)から手桶に水を汲んできた神さんが、前掛けで手を拭きながら「おじいさんはおいくつですか?」と聞きました。
おじいさんは口いっぱいの煮しめを飲み込んで、「いくつか忘れたよ」と澄ましています。
神さんは拭いた手を細い帯の間に挟んで、横からおじいさんの顔をじっと見て立っています。
おじいさんは茶碗のような大きな器で酒をぐいと飲み、そして、ふうと長い息を白いヒゲの間から吹き出しました。
すると神さんが「おじいさんの家はどこですか?」と聞きました。
おじいさんは長い息を途中で切って「へその奥だよ」と言いました。
神さんは手を帯に突っ込んだまま「どこへ行くのですか?」とまた聞きました。
するとおじいさんは、また茶碗のような大きな器で熱い酒をぐいと飲み、前と同じように息をふうと吹いて「あっちへ行くよ」と言いました。
「まっすぐですか?」と神さんが聞いたとき、ふうと吹いた息が障子を通り越して、柳の下を抜けて、河原の方へまっすぐ飛んでいきました。
おじいさんが表へ出ました。
自分も後を追って出ました。
おじいさんの腰には小さなひょうたんがぶら下がっています。
肩からは四角い箱を脇の下へ吊るしています。
浅黄色の股引(ももひき)をはいて、浅黄色の袖なしを着ています。
足袋だけが黄色いです。
なんだか皮で作った足袋のように見えました。
おじいさんがまっすぐに柳の下まで来ました。
柳の下には子供が三、四人います。
おじいさんは笑いながら、腰から浅黄色の手ぬぐいを出しました。
それを縄のように細長くねじりました。
そうして、地面の真ん中に置きました。
それから、手ぬぐいの周りに大きな丸い輪を描きました。
最後に、肩にかけた箱の中から真鍮(しんちゅう)で作られた飴屋の笛を出しました。
「今にその手ぬぐいが蛇になるから、見ておろう。見ておろう」と繰り返し言いました。子供たちは、じっと手ぬぐいを見つめていました。
私も同じように見ていました。
「見ておれよ、見ておれよ。いいか」とおじいさんは言いながら、笛をピーピー鳴らして、手ぬぐいの周りをぐるぐると回り始めました。
私は手ぬぐいから目が離せませんでした。
けれど、手ぬぐいはぴくりとも動きません。
おじいさんは笛をピーピー吹き続けました。
そして、輪の上を何度も何度も回りました。
わらじの先で立つように、忍び足で、手ぬぐいを怖がっているかのように、慎重に回りました。
それは、怖がっているようでもあり、楽しんでいるようでもありました。
やがておじいさんは、ピタリと笛を止めました。
そして、肩から下げた箱のフタを開けると、手ぬぐいの首のあたりをひょいとつまんで、ポイと箱の中に放り込みました。
「こうしておけば、箱の中でヘビになるんだ。
今に見せてやる。
今に見せてやるからな」
そう言いながら、おじいさんはまっすぐに歩き出しました。
柳の木の下を通り抜けて、細い道をまっすぐ下っていきました。
私はヘビが見たくて、その細い道をどこまでも追いかけていきました。
おじいさんは時々「もうすぐだ」とか「ヘビになるぞ」と言いながら歩いていきます。
しまいには、
「今になる、ヘビになる、
 きっとなる、笛が鳴る」
と歌いながら、ついに川岸まで出てしまいました。
橋も船もないので、ここで立ち止まって箱の中のヘビを見せてくれるだろうと思っていたら、おじいさんはザブザブと川の中へ入っていきました。
最初は膝くらいの深さでしたが、だんだん腰、胸と水に浸かっていき、姿が見えなくなっていきます。
それでもおじいさんは、
「深くなる、夜になる、
 まっすぐになる」
と歌いながら、どこまでもまっすぐに歩いていきました。
そうして、おじいさんのヒゲも、顔も、頭も、頭巾も、すっかり見えなくなってしまいました。
私は、おじいさんが対岸に上がった時にヘビを見せてくれるはずだと思い、アシが風に鳴る場所で、たった一人、いつまでも待ち続けました。
けれども、おじいさんは、ついに上がってくることはありませんでした。

第五夜

こんな夢を見ました。
ずいぶん遠い昔のことで、神様がいた頃に近い時代だと思うのですが、私は戦争をして運悪く負けてしまい、捕らえられて敵の大将の前に引き出されました。
その頃の人はみんな背が高く、長いヒゲを生やしていました。
革のベルトを締めて、そこには棒のような剣をぶら下げています。
弓は、太い藤のツルをそのまま使っているように見えました。
漆も塗られておらず、磨きもかかっていない、とても素朴な道具でした。
敵の大将は、弓の真ん中を右手で握り、それを草の上に立てて、酒ガメを伏せたような台の上に腰掛けていました。
その顔を見ると、鼻の上で左右の眉毛が太くつながっています。
当時はもちろん、カミソリなんてものはありませんでした。
私は捕虜なので、座ることは許されず、草の上に胡坐(あぐら)をかいて座らされていました。
足には大きなワラ靴を履いていました。
この時代のワラ靴は深い作りで、立つと膝のあたりまで届きます。
その端っこはワラを少し編み残して房のように垂らしてあり、歩くたびにバラバラと動く飾りになっていました。
大将はかがり火の明かりで私の顔を見て、「死ぬか、生きるか」と聞きました。
これは当時の習慣で、捕虜には誰にでも一度はこう聞くものだったのです。
「生きる」と答えれば降参したことになり、「死ぬ」と答えれば屈服しないという意志を示すことになります。
私は一言、「死ぬ」と答えました。
大将は草の上に立てていた弓を向こうへ放り投げ、腰にぶら下げた棒のような剣をスルスルと抜きかけました。
そこへ、風に揺れるかがり火の炎が横から吹き付けました。
私は右手をカエデの葉のように広げて、手のひらを大将に向け、目の上へかざしました。
「待て」という合図です。
大将は太い剣をカチャリと鞘に収めました。
その時代にも恋というものはありました。
私は死ぬ前に、思いを寄せる女性に一目だけ会いたいと言いました。
大将は「夜が明けて鶏が鳴くまでは待ってやる」と言いました。
鶏が鳴くまでにその女性をここへ呼んでこなければなりません。
もし鶏が鳴いても女性が来なければ、私は会えないまま殺されてしまいます。
大将は腰掛けたまま、かがり火をじっと見つめています。
私は大きなワラ靴を履いたまま、草の上で女性を待っていました。
夜はどんどん深まっていきます。
時々、かがり火が崩れる音がします。
崩れるたびに、まるで狼狽(ろうばい)したかのように炎が大将の方へなだれかかります。
真っ黒な眉の下で、大将の目がピカピカと光っています。
すると誰かがやってきて、新しい枝をたくさん火の中に投げ込んでいきます。
しばらくすると、火がパチパチと鳴り出しました。
暗闇を弾き返すような、勇ましい音でした。
その頃、女性は裏庭のナラの木につながれた白い馬を引き出していました。
馬のたてがみを三回なでて、高い背中にヒラリと飛び乗りました。
鞍(くら)も鐙(あぶみ)もない、裸馬でした。
長く白い足で馬の腹を蹴ると、馬は一目散に駆け出しました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました