「ゴーゴンを見た者は石に変わる」とは当時のことわざですが、この盾をじっと見つめる者は誰しも、その言葉がただの例えではないことを悟るでしょう。
盾には傷があります。
右の肩から左へ斜めに切りつけた、刀の跡が見えるのです。
真珠を並べたような鋲の一つを半ば潰し、ゴーゴン・メドゥーサに似た夜叉の耳のあたりをまとった蛇の頭を叩き切り、平らな鋼の面にまで微かな細長い凹みを作っています。
ウィリアムにこの傷の由来を尋ねても、彼は何も語りません。
知らないのかと聞けば「知っている」と答えます。
知っているなら教えてくれと言えば「言い難い」と返すのです。
人に言えない盾の由来の裏には、人に言えない恋の恨みが潜んでいます。
人に語らぬ盾の歴史の中には、「この世もいらない、神さえもいらない」と思い詰めた、切実な願いの綱が繋がれているのです。
ウィリアムが日ごと夜ごとに繰り返す心の物語は、この盾と、断ち切ることのできない深い因縁で結び付けられています。
「いざという時、この盾を手に取れば……」と、彼は望みを抱いています。
心の奥底にほのめいて消えがたい、前世の名残のようなものを、白日の下に引き出してはっきりと見極めることこそ、この盾の力なのです。
どこから吹くとも知れぬ「業障(ごうしょう)」の風が、隙だらけの胸に吹き込み、目に見えぬ波が立っては崩れ、崩れては立つ――そんな心の乱れを、波も風もなかった昔の状態にまで戻すことこそ、この盾の力なのです。
「この盾さえあれば」と、ウィリアムは盾が掛けられた壁を仰ぎます。
天地人を呪うべき夜叉の姿も、彼の目には、思い描く天女が微かに微笑んでいるかのように映るのです。
時には、それがわが想い人の肖像ではないかと疑うことさえあります。
ただ、盾が何も語りかけてくれないのが残念でなりません。
想い人――ウィリアムの想い人は、ここにはいません。
小山を三つ越えて、大河を一つ渡り、二十マイル先の「夜鴉の城」に住んでいます。
「夜鴉の城」とは、名前からして不吉だと、ウィリアムは時折考えます。
しかし、その夜鴉の城へ、彼は子供の頃から何度も遊びに行ったことがありました。
子供の頃だけでなく、大人になってからも始終訪れていたのです。
クララのいる場所なら、たとえ海の底であっても行かずにはいられません。
彼はつい最近まで、夜鴉の城へ行っては一日中クララと語り合っていたのです。
「恋」という名がつけば千里の道も遠くありません。二十マイルなど、言うに足りない距離です。
夜を守る星の影が自然と消え、東の空が紅殻(べんがら)を揉み込んだような色に染まる時刻、白城の跳ね橋の上に、一人の騎馬武者が現れます。
……宵の明星が本丸の櫓の北角にキラリと輝き始めると、遠くの方からまた、馬の蹄の音が昼と夜の境目を破って、白城の方へと近づいてくるのです。
馬は全身に汗をかき、白い泡を吹いていますが、乗り手は鞭を鳴らして口笛を吹きます。
戦国のならいとして、ウィリアムは馬の背の上で育った男なのです。
去年の春頃から、白城の跳ね橋の上に、明け方の武者の影は見えなくなりました。
夕暮れの蹄の音も、野に迫る闇の深さに吸い取られてしまったのか、聞えなくなってしまいました。
その頃からウィリアムは、自分自身を内に内に深く閉じ込めるように、沈み込んでいくようになりました。
花も春の陽気もよそ目に、ただ心の中に蓄えた何かを使い果たすまでは、どうしても外界に気を向けまいとしているように見受けられました。
武士の命といえば、女と酒と軍(いくさ)です。
「わが想い人のために」と、箸を上げ下げするたびに口にする連中に倣って、彼も「わがクララのために」と言わないわけではありませんが、その声が喉を通るときは、塞がった声帯を無理に押し広げているようでした。
血のような赤ワインを髑髏(どくろ)形の盃に注ぎ、縁を越えるまいと、髭の先まで濡らして飲み干す人々のなかで、彼はただ額を押さえ、斜めに泡を吹くように苦しむことが多くなりました。
山と盛られた鹿の肉に、好みの刀を振るうことさえ忘れ、右も左も眺めず、ただ自分の前に置かれた皿だけを見つめて食事を済ませることもありました。
皿の上に山盛りの肉塊が残ることは、ほとんどありません。
武士の命を三分して、その三分の二が女と酒と軍さだとすれば、ウィリアムの命の三分の二は既に死んだも同然でした。
残る三分の一は? 軍(いくさ)はまだありません。
ウィリアムは身長六尺一寸、痩せてはいますが、全身の筋肉が骨格の上に叩きつけられて出来上がったような男です。
四年前の戦では、兜も捨て、鎧も脱いで丸裸になり、城壁の裏に仕掛けたカタパルト(投石機)を力任せに引き絞ったことがあります。
戦が終わった後、その様子を見ていた者は、ウィリアムの腕には鉄の瘤(こぶ)が浮き出ていたと言いました。
彼の瞳と髪は、石炭のように黒いのです。
その髪は渦を巻いており、彼が頭を振るたびにキラキラと光ります。
彼の瞳の奥には、さらにもう一双の瞳が重なり合っているかのような、不思議な光と深みが見えるのでした。酒の味に溺れ、叶わぬ恋に心をすり減らしている彼は、これから訪れる戦場でもまた、命を落とすことになるのだろうか。
彼は馬に乗り、昼も夜も休みなく野を駆けることに少しも疲れを感じない男だ。
一切のパンを口にせず、一滴の水さえ飲まなくとも、夜明けから夕暮れまで戦い続けることができる男である。
二十六歳という若さ。
それで戦ができないはずがあるだろうか。
それで戦ができないのなら、武士の家に生まれてくるべきではなかった。
ウィリアム自身もそう思っている。
ウィリアムは、あの「幻影の盾」を掲げて戦う機会があれば……と願っている。
白城の城主「狼のルーファス」と、夜鴉の城主とは、二十年来の親しい仲であり、家来やその一族に至るまで、互いに行き来しないことはないというほど打ち解けた間柄だった。
しかし、確執が起きたのは去年の春の初めのことである。
その原因は、政治的な対立の果てだとも、鷹狩りの帰りに獲物を巡って口論になったからだとも、あるいは夜鴉の城主の愛娘・クララを巡る衝突が理由だとも噂されている。
ある日の宴会でのこと。テーブルの酒が尽き、並んで座った人々の舌が緩んでくると、上座に座る二人が何事か怒鳴り合っている声が聞こえた。
「月に吠える狼め……ほざくがいい!」
手にした盃を床に叩きつけ、夜鴉の城主が立ち上がる。
盃の底に残っていた赤い酒が、まだらに床を染めただけでは飽き足らず、砕けた陶器の破片と共にルーファスの胸元まで跳ね上がった。
「夜を迷う烏の黒い翼を切り落としてやれば、地獄の闇がお似合いだ!」
ルーファスは革ベルトに吊るした重い剣に手をかけ、するすると五寸ほど抜き放つ。
一座の視線が、一斉に二人へと集まる。
高い窓から差し込む夕日を背に受け、この世のものとは思えないほど黒く浮かび上がる二人の姿。その中で、抜きかけられた剣だけが冷たい光を放っていた。
その時、ルーファスの隣に座っていたウィリアムが、「渾名こそ狼ですが、君が剣に刻んだ文字を忘れたのですか」と右手を伸ばし、ルーファスの腰のあたりを指し示した。
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