初級翻訳・銀の匙 第34話

中 勘助

暇を持て余した、気楽で気のいい人たちは、「いつも伯母さんが自慢している『〇〇ちゃん』ってどんな子かしら?」という好奇心もあってやってきたのですが、その評判の「〇〇ちゃん」が普通の子供だと知ると、親切にも一度家へ帰って、砂糖をたっぷりまぶした「もろこしせんべい」をたくさん持ってきてくれました。このせんべいは、火であぶるとくるくるとねじ曲がってしまい、扱いが難しいものなのですが、みんなはそれを焼いてくれました。
私がご飯を食べる前だと知った伯母さんは、みんなが代わりに行こうとするのを、まるで自分の幸福な特権であるかのように意地を張って、定紋の入った小田原提灯を下げて、おかずの菜を買いに出かけていきました。
その間、私は近所の人たちから、こんな話を聞いていました。この家の女主人は、娘のお嫁入り先へもう長いこと手伝いに行っていて、今は伯母さんが一人で留守番をしていること。人に迷惑をかけるのが申し訳ないと、見えない目でも家の仕事をしていることなどです。そうこうしているうちに、伯母さんは息を切らして戻ってきて、台所に豆ランプを灯し、ことことと晩ご飯の支度をしながら、東京の誰や彼やの様子を尋ねたりするのでした。
みんなは良い頃合いを見て帰っていきました。
伯母さんは、
「こんなところで、何のおもてなしもできなくてごめんね、我慢しておくれよ」
と申し訳なさそうに言いながら、大きな寿司皿を私の膳のそばに置きました。コンロにかけた鍋から、ぽつぽつと湯気の立つ鰈(カレイ)を、煮えるそばから箸で取ってくれるのです。私が「もういらない」と言っても、
「そんなこと言わないで、たくさん食べておくれ」
と言いながら、とうとう皿一面にずらりと並べてしまいました。
気が動転していた伯母さんは、どうやって歓迎の気持ちを示そうか考える余裕もなく、魚屋へ行って、そこに並んでいた鰈を全部買い占めてきていたのでした。
私は心から嬉しく、またありがたいと思いながら、二十匹ほどもある鰈を眺めて、お腹いっぱい食べました。
伯母さんは食後、疲れるのではないかと思うほどくるくると働いて用事を片付けたあと、膝が触れ合うほど間近にちょこんと座りました。その小さな目の中に私の姿を焼き付けて、あの世の果てまで持っていこうとするかのようにじっと見つめながら、あれこれと昔話をしました。
私は、「そんなに目が悪いのに、無理して仕事なんかしなくていいよ」とさんざん止めたのですが、
「何もしないと、人様にご迷惑をかけるのが気が済まないんだよ」
と言って、どうしても聞き入れてくれません。
私は伯母さんが昔家にいた時のことを思い出し、汚れた針山から一本の木綿針を抜き取って、明日の仕事のために糸を通しておいてあげました。
私も疲れていたし、伯母さんの体のことも気遣って間もなく床につきましたが、伯母さんは「お阿彌陀様に御礼を申し上げる」と言って、仏壇の前に敬虔な姿で座り、見覚えのある水晶の数珠を爪繰りながら、お経をあげ始めました。
ちらめく蝋燭(ろうそく)の光に照らされて、病気で痩せ衰えた体がひょろひょろと動くように見えます。
昔、四王天清正の立回りをして遊んでくれた伯母さん、枕元の引き出しから目覚まし代わりの肉桂棒(ニッキ)を出してくれた伯母さん。その伯母さんは、今や影法師のように小さくなってしまいました。
伯母さんはようやくお経をすませ、仏壇の扉を閉めて隣の床に入りながら、こう言いました。
「いつだったか酷く病気した時は、ああ、これがこの世の見納めかしらと思ったけれど、寿命があったとみえて、またこうして現世(うつしよ)に戻ってこれたわ。でも、この歳まで生きたからいつお迎えが来てもいいと思っているの。だからいつも寝る前には、『お膝元へお招きくださいますように』とお願いして寝るのだけれど……」
私が夜着をかけるのを見て、
「寒くないかい? 風邪を引くとどうにもならないからね」
「……」
「朝目が覚めるとね、『ああ、ああ、また命があったわ』と思ってなも……」
話はいつになっても尽きそうになかったのですが、私は頃合いを見て話を切り上げ、眠りにつきました。
私たちは互いに相手の邪魔をしないようにと寝たふりをしていましたが、二人ともよく眠れませんでした。
翌朝、まだうす暗いうちに旅立った私の姿を、伯母さんは門の前にしょんぼりと立って、いつまでもいつまでも見送っていました。
伯母さんは、それからすぐに亡くなりました。
今は、長いあいだ夢見ていたお阿彌陀様の前に座り、あの晩のように敬虔な様子で、御礼を申し上げていることでしょう。

十八

十七の年の夏、私はひとりで、その頃親しくしていた友達の家の別荘で過ごしました。
それは、先に兄に連れられて行った、美しくも寂しい半島の海岸にある小山のふところに、こっそりと建つ茅葺きの建物で、一切の世話は近所に住む一人暮らしの花売りの婆さんがしてくれることになりました。
ばあやは亡くなった伯母と同じ国の人で、話し方や訛りがなんとなく伯母に似ている気がしました。また、私もその国言葉がよく分かり、昔の伯母の様子も記憶していたので、そんなことから二人はすぐに隔てのない話し相手になりました。ばあやは、親代わりの兄から「ある博打打ちの親分のところへ嫁に行け」と言われたのですが、それを断ったために、「綿を百匁(ひゃくめ)だけやるから、これでどうなりと一人でやっていけ」と突き放されてしまいました。
そこで、その綿を糸にして問屋へ持っていってはまた綿と引き換え、それを糸にしては引き換えるという作業を繰り返しました。その賃金がいくらで、当時の米の値段がいくらだからと計算して、差し引きわずかな銭をようやく残すことができたのです。
そうして自分で着物を作って縫っていたところを兄に見つかり、「親代わりの兄に相談もなしにそんな物を買ったのか」とひどく叱られたため、もうどうにでもなれという気持ちで、機織りの道具を持って善光寺へお参りに行くつもりで、ふらりと家を出てしまいました。
その時、ばあやは十七歳でした。
それから道中で、人さらいのような男につけられて気味が悪くなり、信州の妻籠(つまご)の宿で、まだ日が暮れないうちに宿を取ろうとしました。すると、その男も同じ宿へついてきて、先にさっと奥へと入ってしまいました。
それでばあやは泊まるのをやめて出ようとしたのですが、宿の亭主がなんだかんだと無理やり引き止めようとするのです。
ばあやは変に思って、「まだ腰かけたばかりで宿泊料も決めていないし、日もまだ高いのに、なぜそんな理不尽に止めるのですか」と言いました。すると亭主は、「さっきのお客に、『自分が立つまであの女を外に出すな』と頼まれたからだ」と言って、どうしても聞き入れてくれません。
仕方がないので、そこへ居合わせた同じ国の人にわけを話して亭主に掛け合ってもらいました。その人は「分かった、すぐに立たせよう」と言ってくれたのですが、その人の姿が見えなくなると、亭主はすぐにまた怖い顔をして引き止めるのです。

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