「何も悪いことはありませんけれど、谷窪の家の人たちから見えるでしょう。あの人はまだ独身なんですもの」
「金魚の技師の復一君のことかね」
「そうです」
すると夫は少し興奮した様子で、軽蔑するように言いました。
「君もその人と結婚すればよかったんだろう」
すると真佐子は話の的を外し、例のどこか浮世離れした顔をして言いました。
「私は、とても、優雅なものを好むのですよ。夫となる人には。そうでないと一緒にご飯も食べられないんです」
「かなわないね、君には」怒ることも笑うこともできなくなった夫は、「さあ、お湯にでも入ろうか」と子供を抱いて中へ入っていきました。
その後のロマネスクの茶店に腰掛けたまま、真佐子は何を考えているのか、常人にはほとんど読み取れない眼差しで、寂しい冬の日が当たる麻布の台地をいつまでも眺めていました。
「鯉と鰻(うなぎ)の養殖がうまくいかなくて、鼎造(ていぞう)はこのところ四苦八苦らしいよ。養魚場は金を食い出すと大きいからね」
築いても築いても、湧き水が垣根の台地を浮かせてしまうのでした。
県下の塩分を含んだ入江の洲岸に、鼎造はうっかり場所を選んでしまったのです。
そのうえ、都会に近い静岡県下の養魚場が発達し、交通の便を利用して鯉や鰻を供給するようになったため、鼎造の商会は販売にも苦戦を免れませんでした。
しかし、決定的な痛手となったのは、この春に財界を襲った未曾有の金融恐慌で、花が終わる頃からモラトリアム(支払猶予令)が施行されたことでした。
鼎造の資金繰りを支えていた銀行も休業したままで、再開は難しいと噂されていました。
「復一君の研究費を何とか節約してもらえないか、とさすがに鼎造のあの黒い顔も弱音を吐いたよ」
年寄りの養父は、結局、復一の研究費を三分の一に減らすことを鼎造に約束してきたにもかかわらず、鼎造の窮状を小気味よさそうに復一に話しました。
それを他人事のように聞き流しながら、復一は関西から届いた蘭鋳の番いに冬越しの準備をしてやっていました。
菰(こも)を厚く巻いたプールの中に差し込む薄日に、短い鰭(ひれ)と尾を忙しく動かすと、薄墨色の肌からあたたかい金色の光が放たれ、不格好なほど丸く肥えて愛くるしい魚の胴が、ゆっくりと進んでいくのでした。復一は、生きていることの精気を感じる一方で、燃えカスのような空っぽな気持ちも自分の中に感じていました。まるで自分が二つに分かれてしまったようで、何だか面白いような気がしました。
復一は久しぶりに声を上げて笑いました。
すると、宗十郎が背中を叩いて言いました。
「びっくりするじゃないか。気違いみたいに笑って。いくらお人好しのおれでも、今のにはひやりとしたよ」
年の暮れも押し迫った頃、真佐子に二人目の女の子が生まれたという話を聞きました。復一は崖の上の祠堂で真佐子の姿を見ることなく年を越し、梅が咲く頃にようやく彼女の姿を初めて見ました。
再び子供を産んだことで、水を入れ替えた後の藻の色のように、彼女の美しさはますます澄みわたり、華やかさを増していました。
復一が研究室に額に入れて飾っている、神々しい金魚の絵のイメージにさえ、彼女は近づいていったように思えました。
その日、真佐子は午後から女詩人の藤村女史と一緒に、ロマネスク風の休憩所にやって来ていました。
二人の女性は熱心に話し込んでいます。
すっかり枯れ木のように痩せさらばえてしまった復一も、さすがに彼女たちが何を話しているのか探りたくなりました。
夕方近く、金魚の餌である「あかこ」を採るふりをして、復一はこそこそと崖の途中にある汚水溜まりまで登り、そこでしゃがみ込みました。
彼はまだ三十前だというのに、すっかり年老いた人のような体つきや動作になっていました。
二人の婦人は、ずいぶん前から話し続けていた問題があるようでした。
しかし、復一のいる場所までははっきりと聞こえてきません。
実は、そこで藤村女史と真佐子の間で交わされていた会話の要点は、このようなことでした――真佐子が部屋をロココ調に飾り替えようと提案するのに対し、藤村女史は苦々しげな間を置いて言いました。
「四、五年前にあなたがバロックに凝った時でさえ、私は内心あまりに人工的すぎて賛成できなかったわ。まして、ロココに進むなんて、なおさら人工的よ。あれは趣味としては、滅亡の一歩手前の美じゃないかしら」
「でも、どうしてもそうしたくて仕方がないのよ」
「真佐子さん、あなたは変わっているわね」
「そうかしら。あたしは、あなたがいつか私のことについて言ったように、実際に青い空と雲を眺めていて、それが海と島のように思えてしまう、そういう性質なのかもしれないわね」
復一はそっと庭へ降りてくると、目立たないように軒先を伝って、夕暮れ近い研究室へ入りました。
復一はそこにある粗末な椅子に寄りかかり、じっと目を閉じました。
彼は最近、ほとんど真佐子と直接会うことはありません。
今日のように真佐子が中祠堂に友人と連れ立って来ても、子供や夫と来ても、そこで話されている会話の内容はほとんど聞き取れません。
それでも復一は、遠くからでも最近の真佐子の気配を感じていました。今は自分に託したはずの金魚のことさえ、真佐子は忘れているかもしれない。真佐子はますます現実離れした美女へと姿を変えていくようで、儚い哀しみが心に深く沁みわたるのでした。
蘭鋳(らんちゅう)から根本的に交配を始め直した復一は、大まかな骨組みを持つ金魚を作るのに三年かかりました。
それから改めて、年々の失敗という長い旅路に出発したのです。
「日暮れて道遠し(日は暮れていくのに、目的地までの道のりはまだ遠い)」
復一は、目的とは違う金魚ができるたびに、こうつぶやきました。
しかし、ただ口にするだけで、何の感傷も抱きませんでした。
ただ、生きながらにして白骨化していく自分を感じて、「これではいけない」と思い、たとえ遠くからでも無理やりに真佐子を眺めては、敵意や嫉妬、憎しみを絞り出すことで、自分の意志に勢いをつけていたのです。
古池には、出来損ないの名金魚たちがかなり溜まっていました。
復一が売ることを絶対に嫌がるので、宗十郎夫婦はぶつぶつ文句を言いながら、崖下の古池へ捨てるように餌をやっていました。
宗十郎夫婦は苦笑して、この池を「金魚の姥捨て場」と呼んでいました。
それからさらに、失敗の十年の月日が流れました。
崖の上下でも、多少の変化がありました。
鼎造は亡くなり、養子が崖の邸宅の主人となって、事業を極端に縮小しながら跡を継ぎました。
主人となった夫は、真佐子という美しい妻がいながら、狆(ちん)のような小間使いに手を出して妾同然にしているという噂が伝わってきました。
婿の代になって崖の上からの研究費は断たれたので、復一は完全に孤立無援の研究家となりました。
宗十郎も亡くなり、弟子が一人か二人しかいなかった荻江節教授の家の門にあった表札も外されました。
真佐子は相変わらず、時折ロマネスクの休憩所に姿を見せました。
現実の移り変わりは、いくらか癖のついた彼女の眉のひそめ方に、魅力を増す役割を果たすばかりです。
いよいよ中年近い美人として、ますます冴えわたっていきます。
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