初級翻訳・サーカスの怪人 第24話

サーカスの怪人

「ウオッ……!」

恐ろしい唸り声を上げて、後ろ足で立ち上がったクマは、人々にのしかかるようにして戦いを挑んできました。恐ろしい取っ組み合いが始まったのです。

「ウオッ、ウオッ!」

サーカス団員の一人がクマの下敷きになって、もがいています。三人の警官が、上に乗っているクマを押し倒そうと飛びかかっていきました。そこからは、組んずほぐれつの大格闘が続きました。

「さあ、捕まえたぞ! 早く縄を、縄を……!」

一人の警官はクマの背中にしがみつき、一人はクマの前足を羽交い締めにして、二人のサーカス団員はクマの後ろ足にすがりついています。
一人の警官が、腰に下げていた縄を取り出そうとしました。しかし、その隙はありませんでした。

「あっ……!」

という驚きの声が、上がりました。クマにとりついていた人たちは、はずみで地面に転がりました。
その人たちの下には、クマの毛皮だけがペシャンコになって残されていました。
毛皮のお腹には隠しボタンがついていて、そこから人間が出入りできるように工夫されていたのです。
二十面相は、揉み合っている間にそのボタンをひとつずつ外しておき、みんながクマを捕まえたと思って油断している隙に、パッとそこから飛び出したのでした。
それは、骸骨男の姿でした。
恐ろしい骸骨は、人々をかき分け、突き飛ばしながら、弾丸のように走り去っていきます。
みんなが不意を突かれて「あっ!」と驚いている間に、骸骨男は部屋の入り口に下がっていたカーテンの向こうへ姿を消してしまいました。
その時、「ヒヒヒーン!」という馬のいななきが聞こえてきました。
「あっ、あいつ、馬に乗って逃げる気だ!」
中村警部が叫びました。
「よし、追うぞ! 私は馬に乗る。君たちは自動車で追ってくれ!」
明智探偵もそう言って駆け出しました。
明智探偵は、どんなスポーツもこなす天才です。
乗馬だってお手のもの。明智はサーカスの楽屋に飛び込むと、そこにあった長い細引きの束をひっつかみ、テントの中の厩舎(きゅうしゃ)へ駆けつけました。そして、一番強そうな馬を選ぶと、それを引き出して鞍(くら)の上に飛び乗ったのです。
その時、二十面相の骸骨男はすでに馬にまたがり、テントの外へ飛び出していました。
原っぱに残っていた見物人たちの「ワアッ、ワアッ……」という歓声が聞こえてきます。
名探偵と怪人二十面相による、不思議な競馬競走が始まったのです。
明智探偵は、うまく二十面相に追いつくことができるのでしょうか。

二十面相の最後

栗毛(くりげ)の馬にまたがった骸骨男は、しきりにムチを鳴らしながら、原っぱを駆け抜けています。
もう夜ですが、大テントの周りにたくさんの電灯がついているので、原っぱは昼間のように明るいのです。
大勢の見物人たちは、馬にまたがった骸骨男を見送って「ワアッ……ワアッ……」と騒いでいます。
骸骨男の姿が、向こうの大通りを曲がって見えなくなったころ、同じ栗毛の馬に乗った明智探偵が、原っぱへ飛び出してきました。
「あっちだよ、あっち!」
見物人の中から、骸骨男の逃げた方向を教える声が沸き起こりました。
明智は巧みに馬の向きを変えて、その方へ駆けていきます。
まるで本物の競馬を見ているようです。
見物人の中から「名探偵、頑張れ!」という叫び声が上がり、それに続いて「ワアッ……」という鬨(とき)の声が上がりました。
警視庁の三台の自動車のうち、一台を残して二台が原っぱを出発したのは、それから少しあとのことでした。
こちらはパトロール用の自動車ですから、馬よりも速く走れます。
しかし、追いついたとしても馬を止めるのは難しいので、別の道から先回りをして、自動車を道の真ん中に横付けし、馬を止めてしまう作戦です。
先頭の自動車には、中村警部と三人の警官が乗り、その膝の上には小林、井上、野呂の三少年が乗せてもらっていました。
大通りに出ると、ずっと向こうに馬を飛ばす明智探偵の姿が見えました。
骸骨男の馬は、それよりもっと先を走っているらしいのですが、夜のことなのではっきりとは見えません。
警察の自動車には、小型のサーチライトが積み込まれていました。
一人の警官がそれを取り出し、自動車を走らせたまま屋根のスイッチを押すと、パッと光の棒が伸びて、百メートルも先を白く照らし出しました。
「あっ、ずっと向こうを骸骨男の馬が走っているぞ……あっ、角を曲がった! よし、後ろの車に近道をして、あいつの前に出るように通信しろ!」
中村警部の指示で、運転席の警官が無線電話の送話器を手に取り、叫びました。
「百三十六号、百三十六号、こちら中村警部。百三十六号車は近道をして、二十面相の馬の前に出てください。こちらはこのまま追跡を続けます!」
すると、すぐ前の拡声器から「百三十六号、了解!」という返事が返ってきました。
この無線電話は警視庁の本部に通じているのですが、その音声がほかの車にも聞こえる仕組みになっているため、すぐに返事ができるのです。
中村警部たちの自動車は、サーチライトを照らし、ウーウーとけたたましくサイレンを鳴らしながら、明智探偵の馬のあとをどこまでも追っていきました。
まだ早い時間帯だったので、この馬と自動車の追っかけっこを見て、町は大騒ぎになりました。
先頭を走っていくのは骸骨。なんと、骸骨が馬に乗っているのです。町の人たちは、こんな不思議な光景を見るのは初めてのことですから、みんな家の中から飛び出してきて、あれよ、あれよと見送っています。
人道を通っている人たちも、みんな立ち止まってしまい、自動車までが止まってしまう騒ぎです。
白い警察の自動車がサイレンを鳴らしてやってくると、ふつうの自動車は道をあけるのがルールですから、こちらの車は、何の邪魔ものもなく、思う存分走ることができます。
骸骨男は、馬のお尻に、ピシッ、ピシッとムチをあてて、あちこちと町角を曲がり、だんだん人通りの少ない寂しいほうへ逃げていきます。
やがて、ほとんど人通りのない広い通りに出ました。
両側には大きな屋敷がずらりと並び、シーンと静まり返っています。
しかし、二十メートルおきくらいに明るい街灯が立っているので、明智探偵は、骸骨男を見失う心配はありません。
もう、ふたりのあいだは、五十メートルほどにまで縮まっていました。
骸骨男の馬は、少し疲れてきたようです。
無茶苦茶な乗り方をして、むやみにムチでひっぱたくものですから、馬が余計に疲れてしまうのです。
明智はなるべく身を軽くして、馬が走りやすいようにしていました。
ムチも使いません。
ですから、明智の乗っている馬は、まだ疲れていないのです。
元気いっぱいに走っています。
骸骨男とのあいだが、だんだん縮まっていきました。
四十メートル、三十メートル、二十メートル、ああ、もう十メートルほどになりました。
手に汗を握る競馬です。
後ろの馬が、ぐんぐん前の馬に迫っているのです。
そのとき明智は、手綱を離して、腰の加減だけで馬を走らせながら、両手で細引きの束をほぐし、結び目を作って大きな輪にしました。
そして、それを右手に持って、クルッと頭の上で回しはじめたのです。
あっ、投げ縄です。
明智は投げ縄の術を知っていたのです。

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