山野夫人をはじめ、召使たちの言葉や表情から、おぼろげな一つの判断が生まれつつあるように思われました。
明智と小林は、晩餐(ばんさん)のもてなしを受けて、夜に入ってから山野家を辞しました。
紋三はあれこれと言葉を尽くして明智の判断を聞こうとしましたが、明智は紋三が自動車を降りて、彼の下宿の方へ別れていく時まで、ほとんど沈黙を続けていました。
それから二日の間は、表面上は何事も起こりませんでした。
明智は彼なりの捜査を進めていたに違いありませんし、小林紋三は小林紋三で、彼自身の判断に従って、山野家を訪問したり、浅草公園や本所の養源寺の付近をうろついてみたりしていました。
山野家にも新しい出来事は起きませんでした。
だが、三日目の四月十日の夜、銀座通りの有名な百貨店で、前代未聞の珍事が発生しました。
そして、山野三千子失踪事件が、決してありふれた家出なんかではないことが判明したのです。
お梅人形
午前二時、その百貨店の三階の呉服売り場を、若い番頭が一人の少年店員を伴って見回っていました。
この店では毎晩、番頭、少年店員、警備員、鳶(とび)の者など、数十人の当直員を定めて、広い店内を隅から隅まで徹夜で見回らせることになっていました。
昼間は混雑するだけに、一人も客のいない広々とした売り場は、変に物すごい感じがしました。
ほとんどの電灯を消してしまっているため、階段の上だとか、曲がり角などにわずかに残された光が、ぼんやりと通路を照らしていました。
売り場の陳列台はすっかり白布で覆われ、その大小高低さまざまな白い姿が、無数の死骸のように転がっていました。
若い番頭は、物の影に注意しながら暗い通路を歩いていきました。
時々立ち止まっては、要所要所にかけてある小箱の鍵を取り出し、持っている宿直時計に印をつけました。
所々に太い円柱が立っていました。
それが何か生きている大男のように感じられました。
少年店員は懐中電灯を点して、番頭の先頭に立って歩いていきました。
彼は虚勢を張って歩調を荒々しくしたり、口笛を吹いてみたりしました。
だが、それらの物音が広間の隅々に反響すると、いっそう変てこな気持ちになりました。
一番気持ちが悪いのは、友禅類の売り場の中央に置かれている、等身大の生人形でした。
三人の婦人がそれぞれ流行の春の衣装をつけて、大きな桜の木の下に立っていました。
店内ではその生人形に、お松、お竹、お梅という名前をつけて、まるで生きた人間のように「お梅さんの帯だ」とか「お梅さんのショールだ」とか言っていました。
お梅さんというのは、三つの中でも一番きれいで若い人形でした。
この飾り人形については、いろいろな噂(うわさ)がありました。
若い店員がある人形に恋をしたなどという噂が、よく伝わっていたのです。夜中にそっと忍び込んできては、人形に話しかけたり、ふざけたりする男もいたといいます。
今のお梅さんも、あれほど美しいのですから、もしかすると誰かが本当に恋をしていたのかもしれません。
そんな噂話が生まれるほど、この人形たちはただの作り物とは思えない雰囲気がありました。
昼間は知らん顔をして、作り物らしい表情ですましていますが、夜になるとムクムクと動き出すのではないかと疑われていたのです。
事実、夜の見回りの時に人形のすぐ前に立って、じっとその顔を見つめていると、突然ニコニコと笑い出しそうな気がしたものです。
今、番頭たちが向かっている先には、その三体の人形が、遠くの電灯のぼんやりとした光を受けて、真っ黒い影として浮かび上がっていました。
「ちょっと、ちょっと待ってください。いつの間にあんな子供の人形を置いたのですか。ちっとも知りませんでしたよ」
少年店員がふと立ち止まり、番頭の袖を引きました。
「えっ、子供の人形だって? そんなものは置いていないよ」
若い番頭は怒ったような口調で、小僧の言葉を打ち消しました。彼自身、内心では怖がっていたのです。
「だって、ご覧ください。ほら、お松さんとお竹さんが、子供の手を引いているじゃありませんか」
小僧はそう言って、人形の方へ懐中電灯を向けました。
距離があるためはっきりとは見えませんが、そこにはお梅人形の影に隠れるようにして、確かに一人の子供が立っていました。
どう考えても、そこに子供の人形があるはずがありません。そう思うと、言いようのない恐怖がこみ上げてきました。
「おい、スイッチをひねるんだ。あの上のシャンデリアをつけてみてくれ」
若い番頭は、叫んで逃げ出したいのを必死にこらえながら、少年店員をせき立てました。
少年店員はスイッチを押しに行きましたが、パニックになっているため、どこにあるのかすぐには分かりません。
番頭はもどかしさに耐えかねて、少年の手から懐中電灯を奪い取ると、それを怪しい人形の姿に向けながら近づいていきました。
長い陳列台を一つ曲がると、少しだけ空き地のような場所があり、その真ん中に三体の人形が立っていました。
懐中電灯の丸い光が、おずおずと震えながら床を這い上がっていきます。
人形の周りにめぐらされた鉄柵、人造の芝生、お松さんの足、お梅さんの足、お竹さんの足と、次々に光の輪の中に入っていきました。
そこで光の輪はしばらく躊躇しました。真実を確かめるのが怖いかのように震えていました。
しかし、突然思い切って光が空を切り、パタリと動きを止めた先には、この世のものとは思えない不思議な姿が浮かび上がっていました。
その者は鳥打帽をかぶり、黒い服を着て、さっき少年店員が言った通り、少し澄ました顔でお松・お竹の両婦人に手を引かれていたのです。
だが、一目見てそれは子供ではないことが分かりました。
大きな顔に大きな目鼻立ち、頬のあたりには深い皺が刻まれています。俗にいう「一寸法師」でした。
大人なのに子供の背丈しかなかったのです。
それが懐中電灯の光の中で、胸から上を大きく照らされ、「私は人形です」と言わんばかりの顔で、活人画のように瞬き一つせず立っていました。
もし昼間、太陽の光の下で見れば、美しい生人形と奇形児という組み合わせがあまりに奇妙で、誰もが大笑いしたことでしょう。
しかし夜、懐中電灯のぼんやりとした光の中に浮かび上がったその奇形児のすました顔は、すましているだけに一層狂気じみていて、恐ろしく感じられました。
「おい、そこにいるのは誰だ!」
若い番頭は思い切って怒鳴りつけました。
しかし相手は答えません。答えの代わりに、光の中の半身像が、まるで映写機のフィルムが切れたかのように、突然見えなくなりました。
つまり、相手は逃げたのです。
少年店員がようやくスイッチを探し当て、その辺りが一気に明るくなりました。
ですがその時にはすでに、奇形児は鉄柵を越え、陳列台の間をすり抜けて、どこかへ消えてしまっていました。
無数の陳列台が縦横に並ぶ中を、台よりも背の低い一寸法師が逃げては、追いかけようにも追いつけませんでした。
間もなく番頭の非常信号により、宿直員全員が三階に集まりました。
そしてあるだけの電灯をつけて、非常に物々しい捜索が始められました。
陳列台の白い布は一つ一つ取り除かれ、台の下や開き戸の中なども隈なく調べられました。
コメント