初級翻訳・一寸法師 第20話

一寸法師

明智がどうして昨夜の出来事を知っているのか、不思議で仕方がありませんでした。
彼のニコニコ顔が、急に薄気味悪いものに思えてきました。
「君は、今山野夫人から何か聞いたと思うかもしれないが、その心配はない。奥さんは決して君の変装に気づいてはいなかった」
明智は紋三の表情を巧みに読み取って言いました。
「奥さんはこのごろ何も言わなくなった。ちょっとしたことでも隠そう隠そうとしている。僕に探偵を依頼したのを後悔している様子さえ見える。だから今日来たのも、早く犯人が見つけたいからではなくて、僕がどこまで真相を探っているかビクビクしていて、それを聞き出しにやって来たのだ」
「じゃあ、あなたは奥さんが今度の犯罪に何か関係があると思うのですか」
紋三は明智の腹の底が知りたかったのです。
「関係があることは明白だ。だが、なぜ夫人が自ら進んで僕なんかに探偵を依頼したか、そして今になってそれを後悔し始めたか、この点がよく分からない。大体、あの女自身が一つの疑問だよ。非常に貞淑のようでもあり、どうかするとひどくコケットなところも見える。ちょっと捉えどころがない。だから、ひょっとしたら彼女は、わざと僕の前にこの事件を投げ出して見せて、大胆なお芝居を打とうとしたのかもしれない。秘密がばれるおそれはないと信じきって、たかをくくっていたのかもしれない。女の犯罪者には、そういう突飛なのがいるものだ」
「もしそうだとすると、最近になってその自信を失うような事件が起きたわけですね」
「僕だって、これでなかなかいそがしく働いているんだよ。彼女にもし後ろ暗い点があれば、心配しだすのは無理ではない。君なんか、僕が手をつかねて遊んでいたように思っているだろうが、どうして、そんなものじゃないよ。現に君の昨夜の行動だって、すっかり分かっているのだからね」
「昨夜の行動といいますと?」
「ハハハハハ、しらばくれても駄目だ。自動車の番号まで調べがついているんだから。君が昨夜、助手に変装して夫人ともう一人の男を乗せて行った車は、君だって知るまいけれど、二九三六という番号なんだ」
「じゃあ昨夜、あなたもどこかに隠れていたんですか」
「ほらご覧。とうとう白状してしまった。想像なんだよ。多分君だと思ったものだから、鎌をかけてみたんだよ。種を明かすとね。山野の家のお雪という小間使が、僕の腹心なんだ」二度目にあの家へ行って雇い人たちを一人ひとり調べた時、適当な人物を選び出したのだ。
もちろん報酬も約束したけれど、あのお雪というのは雇い人の中でも一番の忠義者で、お屋敷のためだと言うと、進んで僕の頼みを聞いてくれた。
なかなか役に立つ女だよ。
それが昨夜、夫人のあとを尾行して、自動車の番号を覚えていてくれたのだ。
それから先はお雪からの電話で、僕自身が出動して取り調べた。
車の番号が分かっているのだから、その車庫を探し出すのはわけはない。
車庫が分かって運転手が分かれば、今度は五円札一枚ですっかり調べがつく。
君のような男に頼まれて運転台に乗せたことも、その男が二人の乗客のあとを追ったことも明白になった。
だが夫人を連れ出した男は随分と用心深くやったね。
悪事には慣れた奴だ。
目的の家の前まで車に乗るようなことはしなかった。
だから僕には君たちが行った中までは分からないけれど、自動車を止めたのが本所中之郷T町だから、僕の想像では、同じ中之郷O町の小さな門のある無商家じゃないかと思うのだが、どうだね」
「その通りです。どうして分かったのですか」
紋三は明智の鋭い洞察にめんくらって、夫人のためにその中を秘密にしておくつもりだったのを、つい忘れてしまって叫んだ。
「やっぱりそうだったか。じゃあ、ついでだからすっかり話をするがね。その前に、見せるものがあるんだ」
明智は手文庫の中から、細長く破れたいくつかの紙切れを取り出し、丁寧に皺(しわ)を伸ばして、卓上に並べ、順序をそろえて継ぎ合わせた。
明智は妙な紙切れを継ぎ合わせてしまうと、それを卓の隅に押しやって置いて、手文庫の中から次々と色々な品物を取り出した。
例のピアノのスプリングに引っかかっていた黒い金属の束髪針、三千子の鏡台から持ってきたたくさんの化粧品類、三千子の机の上にあった指紋付きの吸い取り紙、正体不明の石膏のかけら、網のような春のショール、小型の婦人用の手提げ、一枚の写真、三通の封書。それだけの品々を、まるで夜店の骨董屋(こっとうや)のようにズラリと卓上に置き並べた。
外にまだ、手文庫の底には履き古したフェルトぞうりが一足残っていた。
小林紋三はこの驚くべき光景を見て、あっけにとられてしまった。
その品々はすべて今度の事件の証拠品に違いないのだが、いつの間に明智がこれだけのものを集めたか、一々説明を聞かないでも、その物々しい様子を見ただけで、ついさっきまで明智に対して抱いていた多少の軽蔑の念が、跡形もなく消えてしまった。
「どうだい小林君、僕が怠けていなかったしるしだよ。この品々は間もなく僕の手を離れる。僕の友人の田村検事が今度の事件の担当に決まったということだから、みんなあの男に渡してやるつもりだ。これだけあれば随分と捜査の足しになる。いや、足しになるどころではない。これを十分に吟味すれば、何もジタバタしなくたって、座っていて事件の真相をつかむことができるかもしれない。で、僕の手を離れる前に、ちょうどいい機会だから君に一応見ておいてもらおう。君は今度の事件の紹介者でもあるし、君自身なかなか熱心な素人探偵でもあるようだから、僕にしてはいわば職業上の秘密なんだけれど、特別にお目にかけるわけだ。その代わり、この品々に対する僕の判断は一切言わない。言えないのではない。言うことを差し控えておくのだ。君も知っている通り、僕は事件がすっかり解決するまでは、中途半端な想像なんかしゃべらない癖なんだ」
明智はそれらの品物を愛撫するようにひねくり回しながら、少し奥底の知れない薄笑いを浮かべて言った。
骨董屋の親父が古道具の値踏みでもしている格好だった。
「どれから始めるかな」彼はさも楽しげに見えた。
「そうそう、O町の家のことを話し始めていたね。君は驚いたようだが、実はこんな種があるんだよ。この破れた紙切れだ。一寸読んで見給え」
それは半紙の半分ほどの分量の紙が、細かく切り裂かれた上に、所々焼け焦げがあって、多分手紙の切れ端なのであろうが、とても完全に読むことはできなかった。
……御依頼により埋葬仕……と小生とかの蕗屋の三人のみに有之……右につき篤(とく)と御談合申し上げたく……郷表(一二字分不明)六三|中村……御一読の上は必ず火中……

どう見直してもこれ以上は分からなかった。
「昨夕の君の行き先を当てたのは、この郷表うんぬんの文句からだ。六三とあるのは番地としか考えられないから、上の郷表に相当する町名は、東京中に中之郷O町の外にない。僕は早速あそこへ行ってみた。そして、わけなく『中村寓(ぐう)』と表札の出た小さな門のある家を発見した。中へ入って耳の聞こえない婆さんにも会った。主人は勤め人らしいことを言っていたけれど、本当かどうか分からない。

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