初級翻訳・一寸法師 第32話

一寸法師

「うまくあいつが逃げてくれるか、いっそのこと屋根から落ちて死にでもしたら、また善後策を講じることもできるでしょうが、こうなってはどのみち覚悟を決めなければなりませんね。この先もずっと、僕はあなたの味方になって、できるだけのことはやってみますよ。それはお許しくださるでしょう」

「私こそ、お願いしますわ」

夫人が何のわだかまりもなくすがってくるのを見て、愚かな紋三は、また少しうれしくなりました。やがて二人は森を出て、堤の上を山野家の方へと歩いていきました。

「ですが、分からないのは山野さんの心持ちです。一体どうして、実の娘を殺す気になったのでしょう」

「山野は商売人には似合わないほど堅苦しい男ですの。それに、カッとなるとずいぶんと思い切ったことをやる性質ですから、たぶん三千子のふしだらな振る舞いを感づいて、折檻でもするつもりだったのが、つい激したあまり、あんなことになったのではないかと思いますわ。それにはね、また色々な事情がありますの。召使たちにも隠してあったのですが、あの逃げていった小間使いの小松というのは、本当は主人の隠し子なんですの。堅い人ですけれど、若い時分にはやっぱり過ちがあったのですわ。それを普通なら娘として家へ入れるところを、主人が今言うような頑固者なものですから、娘のしつけや親戚の手前、都合が悪いといって、陰ながら目はかけていましたが、表向きは小間使いということにしていましたの」

「それじゃ、三千子さんと小松とは姉妹なんですね」紋三は非常に意外な気がしました。

「そうですのよ。姉妹なのに、二人はまるで気質が違うのです。三千子さんは大のおてんばで、小松の方は商売人の子に似合わず、それはそれはよくできた、おとなしい娘です」

もうすっかり暗くなった堤の上を、二人はとぼとぼと歩いていきました。一つは身も心も疲れ果てていたせいもありますが、一つは早く帰って真実に直面するのが恐ろしく、自然と歩みが鈍くなったのです。そして、何か喋っていないと寂しくてたまらなかったのでしょう。

「その実の娘同士が」夫人は語り続けました。「一人の男を、あろうことか運転手なんかをめぐって争っているのを知れば、あのような山野のことですから、カッとならずにはいられなかったのでしょう。その心持ちはよく察せられますわ。地獄のような気持ちだったに違いありません。そのふしだらな娘の一人が、やはりご自分のふしだらが生んだ罪の子だと思うと、たまらなかったのですわ。考えてみると、山野は本当に気の毒なんです」

「なぜ自首してしまわれなかったのでしょうね。そんな過失だったら、大した罪にもならないでしょうに」

「だって、人一人を殺してしまったのですもの。たとえ罪は軽くても、世間に顔向けができませんわ。人一倍世間を気にする主人が、何とかして隠してしまおうとしたのは、少しも無理ではないのです。山野自身の安全だけでなく、家名というようなものを心配したのですわ。なぜといって、もしこのことが世間に知れ渡れば、山野のふしだらから、娘たちの醜い争いまでが全て露見してしまうのですから」

「三千子さんだけを折檻なさったのは、どういうわけでしょうか」

「それは公然の娘ですもの。主人はそんなことまで几帳面に考えるような性質なのです。それに、主人の愛情が、どっちかといえば不幸な小松の方へ傾いていたことも考えてみなければなりません。おてんば娘は主人の気風に合わないのですわ」

「奥さん、ちょっと黙ってごらんなさい」突然、紋三が夫人を制しました。「後ろから誰かついてくる奴があります」

話をやめて耳を澄ますと、確かに人の気配がしました。それが尾行者に違いないことは、こちらが足を止めると、向こうもぴったりと立ち止まることからも分かりました。暗闇をすかして見ると、すぐそばの木立の影に何者かが忍んでいた。
「誰です。私たちに御用でもあるのですか」
紋三が虚勢を張って大きな声を出した。
「小林さん、私ですよ」
すると、その男はのこのこと物陰から出てきて、心安い調子で言うのだ。
「とうとう見つかってしまいましたね。O町から尾けていたのですが、あなた方はすっかり興奮していて、少しも気がつきませんでしたね。私ですか、明智さんの手伝いをしている平田という者です。一二度菊水館でお見かけしたことがあるのですが、ご存じないでしょうね」
それを聞くと紋三は、重ね重ねの醜態にカッとなった。さっきの森の中でのことまで、この男の口から明智に伝わるのかと思うと、言いようのない浅ましさに、いきなり相手に掴みかかりたい気持ちだった。
「何だってあとを尾けてきたんです」
「ごめんください。明智さんの言いつけなんです。私はあのO町の家の前に、あなた方が出てくるのを待っている役目だったのです」
「すると、僕たちが逃げ出すことが、ちゃんと分かっていたのですか」
「そうのようです。あなた方のあとを尾けて、もしお屋敷へ入ればいいけれど、そうでなかったらどこまでも尾行して、お二人の話なんかも詳しく聞き取れということでした。そして、もしお二人の身に危ういようなことが起きたら、お救い申せと……」
「じゃあなんだね。明智さんはあの家に奥さんのいることを知っていて、わざと僕を連れ込んだわけだね。そして、二人が逃げ出して、いろいろなことを話し合うのを立ち聞きさせようという手はずだったのだね」
「万一の場合なのですよ。万一そんなことが起きたら、こうしろという命令だったのです。何でも奥さんがひどい誤解をしていらっしゃるから、もしものことがあってはいけないということでした」

罪業転嫁

その夜、人形師・安川国松の家に、不思議な会合が催された。
広い仕事場の板敷にあり合わせの腰掛けが並べられ、そこに田村検事、刑事部長をはじめ警察の人々が腰をかけ、その間に打ちしおれた小林紋三や、キョトキョトと落ち着かぬ安川人形師の姿も混ざっていた。
山野夫人は心身過労のために半病人となってお屋敷に残っていたし、大怪我をした一寸法師は近所の病院に担ぎ込まれて生死の境にあったので、この会合には加わっていない。
仕事場の一方には出来上がったさまざまな人形が不思議な群像をなし、その傍らに未完成の頭、腕、足などが、まるで人食い鬼の住処のようにゴロゴロと転がっていた。
そして、人形たちと見境のつかない明智の支那服姿がその前に立って、何かしきりに説明していた。彼の傍らには小さな台があり、台の上にはいつか彼が紋三に見せた証拠の品々が並んでいるのだ。
彼は、いよいよ本当の犯人を引き渡すからということで、友達の間柄である田村検事や刑事部長などをそこへ呼び集めたのであった。ちょうど畸形児捕物から引き続いてのことだったし、ほかにも重大な理由があって、人形師の仕事場が説明の場所に選ばれた。明智にしては、これが当日のもっとも重要なプログラムなのだ。
彼はこれまでの経過を一応説明してしまうと、いよいよ本題に入っていった。
「つまり三千子殺しの犯人として疑うべき人物が五人あった。

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