それはもう、本当に名誉なことでした。
鐘さんは終始にこにこしていましたよ。
いよいよお別れというとき、みんなで大きな声で『ばんざい!』と叫びました。
私たち屋根の瓦でさえ、思わず熱い涙がわいてきたほどでした」
そんなお話を屋根の瓦から聞きながら、さくらの花は、自分も散るときにはいつでもいさぎよく散るという大和魂(やまとごころ)をもとうと、胸を熱くし、誇らしく感じたのでした。
このとき、あちらからパタパタとかけっこをする小さな足音が聞こえてきました。
それは、勇ちゃんとあや子さんでした。
「ほら、ごらんなさい!
あんなにきれいな桜が咲いているよ」
「ぼくが昨日見たときは、まだ花が咲いていなかったのになあ」
「どこに座って写生(しゃせい)しようか?」
「いい場所があまりないねえ」
「わたし、この石の上に座って描くわ!」
「ぼくは、鐘つき堂を描こうかな!」
「でも、鐘がないからちょっと変な感じがするよね」
ふたりは並んでクレヨンを取り出し、学校へ持っていく絵を上手に描こうと、とても気合いが入っていました。
花も瓦も、おしゃべりをピタッとやめて、自分たちを上手に描いてもらおうと、真面目な顔つきになりました。
三
ふたりは黙々と絵をを描いていました。
あや子さんは、勇ちゃんの絵をちらっと見て、
「もものお花?」
と尋ねました。
「さくらの花だよ!」
と、勇ちゃんは少し怒ったような声で答えました。
「だって、あんまり赤く塗るから、ももの花みたいなんだもん」
勇ちゃんは、もう少しうすい色で塗ればよかったなと心の中で思いました。
「ねえ、あや子さん、屋根にとまっているのはカラス?」
今度は勇ちゃんが、あや子さんの絵をのぞき込んで聞きました。
「あら、ハトよ!」
と、あや子さんは目をまるくしました。
「だって、カラスみたいに見えるんだもん」
と、勇ちゃんは言い張りました。あや子さんは、ハトがちょっと大きすぎたかなと思いました。
「でも、さくらの花は上手に描けたでしょう?」
と、あや子さんは言いました。
そのとき、うしろから声をかけた人がいました。
「何をしているの?」
ふたりが振り返ると、それはたっちゃんでした。
たっちゃんは、教練服(きょうれんふく)を着て、戦闘帽(せんとうぼう)をかぶっていました。
「いま、帰るところなの」
と、勇ちゃんが言いました。
「もう、さくらの花が咲いたんだね」
と、たつぞうさんは空を見上げました。
「ぼくたち、写生(しゃせい)をしているの」
「学校へ提出するんだよ」
「もうすぐ暗くなるんじゃないか?」
「今日はうまく描けなかったから、また明日描こうっと」
三人は、おうちの方へ歩きはじめました。
向こうの空が赤く染まって見えます。
「ねえ、たっちゃん、お国のために出征したあの鐘は、どこへ行ったんだろう?」
と、あや子さんが尋ねました。
「工場へ送られて、鉄砲の弾(たま)や飛行機の羽になって、戦地へ行くのさ」
「もう帰ってこないから、かわいそうだなあ」
「かわいそうなもんか! 名誉(めいよ)なことなんだぞ。喜んでいるさ」
と、たつぞうさんは言いました。
「お寺の鐘も、生まれ変わって飛行機になったかもしれないね」
「きっと飛行機になったろうさ」
「だから鐘は、喜んで鐘つき堂から出て行ったんだわ」
「飛行機に乗って、向こうの空へ飛んでいけば、まだお日さまが当たっているきれいな町がありそうだな」
と、勇ちゃんが言いました。
たつぞうさんは、片手にお弁当箱を抱え、もう片方の手をズボンのポケットに入れていました。
「勇ちゃんは知らないだろ。あっちの方角は満洲(まんしゅう)だよ」
「満洲ってあっちなの?」
「いまごろ、白系(はっけい)ロシアの人たちは教会堂へいって、鐘をならし、お祈りをしているだろう。そして満洲の子どもたちは、犬といっしょにヤギを追って、草原を駆け回っているだろうな」
「たっちゃんは、どうしてそんなこと知っているの?」
と、あや子さんがききました。
「ぼく、映画で見たんだ」
「行ってみたいなあ」
「飛行機に乗れば、世界中どこへだっていけるさ」
「ぼく、パイロットになろうかなあ」
「わたし、女の子だからつまらないわ」
たっちゃんは、にこにこと笑いながら、
「女の子だって男とかわらないさ。南の暑い島で、兵隊さんといっしょにジャングルのなかを進軍しているじゃないか」
と言いました。
「そうね、わたしも大きくなったら、看護婦さんになろうかしら」
三人は、それぞれの家へ分かれて帰る道までやって来ました。
「ぼく、そのうち工場の寮(りょう)に入るかもしれないんだ。明日はお休みだから、遊びにおいでよ」
と、たつぞうさんが言いました。
「あっちで泊まるの?」
と、あや子さんがききました。
「めったに帰らないんだ。軍隊生活とおんなじようなものだからさ」
ふたりは、明日遊びに行く約束をしました。
四
たつぞうさんは、お父さんとふたりで暮らしていました。
小さいころにお母さんが亡くなったからです。
お父さんはお米屋さんをしていましたが、今度仕事を変えて、工場で働くようになったのです。
そしてたつぞうさんも、国民学校を卒業すると、見習いとして働きはじめました。
朝早く、ふたりはお弁当箱を抱えて家を出発します。
「これから毎日、いっしょに通えていいな」
とお父さんが言いました。
「ぼく、寮に入ったら、いっしょに通えなくなっちゃうね」
と、たつぞうさんが答えました。
「そのかわり、寮に入ればしっかり勉強ができていいだろう」
「お父さん、ぼく、立派な少年工になるよ!」
「おう、上の人たちの言うことをよく聞いて、精を出すんだぞ」
「第一線に立つつもりでいるんだ」
「それが自分のためでもあれば、またお国に尽くすことにもなるんだからな」
父と子は、そんな話をしながら道を歩きました。
ふたりが留守の間に、行き場のない一匹の猫が家に迷い込んできました。
この猫は、もうすぐ赤ちゃんを生むところだったのです。
ある日、土間に置いてあった空き箱の中で、猫は可愛い赤ちゃんたちを生みました。夕方、帰ってきたお父さんとたつぞうさんは、これを見てびっくりしました。
「こんなところに、猫が子どもを産んで、困ったなあ」
「どこかへ捨てようか」
「いや、ここが安心と思って産んだんだ。こうしておいてやろう」
とお父さんが言いました。
「どこからおうちへ入ったんだろう」
「二階の窓を閉め忘れておかなかったか」
とお父さんは尋ねました。
「あっ、そうだ」
お父さんは、入り口のガラスを一枚外しておいて、留守でも猫が出入りできるようにしてやりました。
しかし母猫は、もっといい場所がないかと思ったのでしょう。
やっと目の開いたばかりの子猫をくわえてあちこち歩き回るうちに、他の子どもをなくしてしまい、ただ一匹だけくわえて、またもとの空き箱へ戻ってきました。
「きょう、勇ちゃんとあや子さんが遊びに来ると言っていたがなあ」
と次の日の朝、たつぞうさんが思っていると、
「たっちゃん、遊びに来たよ!」
と、ふたりが入ってきました。
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