初級翻訳・ねずみと猫 第7話

ねずみと猫

「品性が悪いのは、少し気をつけてしつけをしてやれば直るだろう」私はそう考えました。
そこでまず、段ボール箱に古いネルの切れ端などを詰めて、たまの寝床を作ってやりました。
そして、土を入れたお菓子の空き箱とを並べて、お風呂場の板の間に置いてやったのです。
私が寝床に入る前に、あちこちの蚊帳のすそなどに寝ているたまを探し出して捕まえ、お風呂場のこの寝床に入れてやりました。
何も知らない子猫は、やっぱり猫らしくゴロゴロと喉を鳴らすのでした。
土の匂いをかがせてやると、二回に一回くらいの割合できちんとトイレをすませました。
お風呂場の戸をしっかり閉め切って、明かりを消したあとの暗闇の中で、夜明けまでの長い時間をどう過ごしているのかは分かりませんが、ガラス窓が白んでくるころになると、お風呂場の戸をバサバサとひっかき、例の小鳥のような鳴き声を出して「早く出してくれ」と訴えるのが聞こえてくるのでした。
行いってドアを開けてやると、急いで飛び出すのかと思いきや、またもとの寝床へ走り込んだりして、まるで子犬のように人の足のまわりをぐるぐると駆け回るのでした。

十日あまりもこうしたやり取りを繰り返したのち、試しに例の寝床の段ボール箱とトイレの箱を、三毛が出入りしている壁の切り穴のそばに持ち出してみました。そして何度も何度もそこへたまを連れて行っては、土の匂いをかがせてやったのです。
翌朝、気をつけて調べてみましたが、布団や畳の汚れている場所はどこにも見当たりませんでした。
おそらく、三毛の後を追って切り穴から外に出る方法を覚えたのでしょう。
その後は、明け方に穴からはい上がってくるたまの姿を見かけることもありました。

あんなにも異常に発達していたたまの食欲も、いくぶんか落ち着いて、以前ほどガツガツしなくなってきました。
気持ちの悪いほどふくれていたお腹があまり目立たなくなると、やせた腰から後ろ足にかけてが妙に見すぼらしく見えるようにはなりましたが、それでもどうにか普通の猫らしい格好になってきたのです。
そして、やはりどこか飼い猫らしいおっとりした雰囲気や、お坊ちゃんらしい品のある愛らしさが見えはじめるのでした。
夏休みが過ぎて学校が始まると、猫たちの体もようやく少しのんびりできるようになったのでした。午前中は、風通しのいい中敷きの上で、三毛とたまが四つ足を思いきり伸ばしてのんびりとお昼寝をしているのでした。
片方が眠っているのを、もう片方がしきりになめてあげていることもありました。
夕方になると二匹で庭に出て、芝生の上でよく相撲をとったりしたものです。
昼間に眠るようになってからというもの、夜中に縁側でドタバタと騒ぎだすようになりました。
これには少し困らされましたが、不思議と腹は立ちませんでした。
台所で食器がカチャカチャと触れ合う音がするので行ってみると、戸を締め忘れた茶箪笥の上と下の棚から、二匹がとぼけた顔をひょっこり覗かせているのでした。
ねずみはまだ一度も捕まえたところを見たことがありませんが、もうねずみのいたずらはすっかりピタリと止まり、天井裏はすっかり静かになりました。
縁の下で生まれた野良猫の子である三毛(お母さん猫)は、今でもときどき隣家のひさしに姿を見せることがあります。
美しい猫ではあるのですが、気のせいかなんだか少し険しい顔つきに見えます。
うちの臆病な三毛は、野良猫を見ると大慌てで家に駆け込んでくるのですが、たまのほうは全く平気な顔をしています。
いつかなどは、野良猫と一緒に遊んでいたという目撃情報さえありました。
「不良少年になっちゃいかんよ」などと言われながら頭をポンと叩かれていたりしますが、なんのために叩かれているのか、猫のたまにはきっと分からないでしょう。
我が家の猫たちの歴史は、ここから本当にはじまるのです。
私は、これからの猫たちの生活をできる限りありのままに記録しておきたいと思っています。
月が冴え渡り、風の静かな最近の秋の夜には、三毛とたまが縁側の踏み台になっている木の切り株の上に仲良く並び、背中を丸めて行儀よくお座りをしています。
そして、ひっそりと静まり返った月夜の庭をじっと眺めているのです。
その姿をただ見つめていると、なぜだか言葉では言い表せないような静けさと深い味わいが胸にしみ入ってきます。
そして、ふだんの猫たちとは違って、人間の心では到底測り知ることのできない、別の遠い世界からやってきたもののような気さえすることがあるのです。
こうした神秘的な気持ちは、おそらくだけれど、他のどんな家畜に対しても湧いてこないものなのかもしれません。
(大正十年十一月、「思想」)

コメント

タイトルとURLをコピーしました