初級翻訳・キャラコさん 第5話

キャラコさん

……自分の楽しみに使うのに、三円なんて大金をお小遣いにもらったのはこれが初めてなの。
だから、どう使っていいかわからないのよ」
長六閣下の子女教育がここまで徹底しているとは、さすがの秋作も今日まで知らなかった。
限られた恩給だけで生活していくには、こういう方針をとるのもやむを得ないことなのだろう。
今となっては、一年に一度のクリスマスに、あんな役にも立たないとぼけたオモチャなどを贈っていた自分がなんだか恥ずかしい。
こんな事情と知っていたら、もっとちゃんとお小遣いをやって、喜ばせてあげることもできたのに。
しかし、秋作氏はまた別の勘違いをした。
長六閣下が「お小遣いをやりなさい」と言っても、キャラコさんはきっと遠慮して受け取らないに違いない、と考えたのだ。
要するに、キャラコさんは自分のための楽しいお金の使い方というものを、まるっきり知らないのである。
秋作氏は、自分の財布から三十円札をスッと抜き出すと、
「そうだね、その三円は使わずにとっておくほうがいい。
そのかわり、秋作お兄さんがこれだけやるから、これでみんなと一緒に遊びなさい」
(秋作兄さんは、あたしがすごくケチな人間だと思っているんだわ)
キャラコさんは、少し真面目な顔つきになって首を横に振った。
「ありがとう。
……でも、それはいらないの。
本当に欲しい時があったら、『ください』って言いますわ。
きっと自分で言いますから、今日はいらないの。
……じゃあ、本当のことを言いますけど、あたしがなぜマキちゃんたちの組と一緒にお茶を飲みに行かないかっていえば、お菓子なんかにお金を使うのはいやだし、親でも兄弟でもない人にお金を払わせるってことも、なんだかすごく嫌だからなの。
……わかるでしょう? マキちゃんたら、いつもワニさんや越智さんやアシくんに払わせてばかりいるのよ。
一度だって自分で自分のお金を払ったことがないんだから。
だから、あたしは一緒に行かないのよ」
それを聞いた秋作氏は、なんだか気まずそうに妙な咳払いをした。
なぜなら秋作氏自身も、親類でも奥さんでもない、ものすごいお持参金のあるお嬢さんにすっかりお金を出してもらって、このホテルに滞在している身なのだから。

四

たった一人きりになると、キャラコさんは小走りでピアノのそばへと行き、鍵盤に指が触れるか触れないかのうちに、自分の弾く曲にすっかり夢中になってしまった。
正式に先生についたことは一度もないが、ピアノは自己流でなかなかに達者に弾き、よく響く綺麗な中音ボイスで上手に歌う。
たいていは世間でよく知られた普通の曲が中心だが、時にはその場で思いついたメロディーを即興で歌いだすこともあった。
しかし、そんなありふれた曲であっても、キャラコさんが歌うと、まるで雰囲気がガラリと変わって、ものすごく味わい深い素敵な曲になってしまうのだ。
大勢の前で歌ったことなど人生で一度もないので、周囲の人は誰もそんな才能に気づいていない。
キャラコさん自身も、自分の歌がそんなに素晴らしいなんててんで気がついていなかった。
ただ、おじいさまである長六閣下だけは、なんとなくその才能を感じ取っていて、
「お前の歌には、なにかこう、魂をゆさぶるようなもんがあるな」
と、ぽつりと評価したことがあっただけだ。
音楽家になろうなんて思ったこともなければ、人に聴かせて褒められたいなどと考えたこともない。
キャラコさんの場合、歌うことはまるで自然の湧き水のようなもので、木の上で小鳥がピヨピヨとさえずるのとまったく同じことなのだと言えた。
午後の三時ごろ、給仕が新聞を差し入れに部屋へ入ってきた一瞬を除けば、そのときのキャラコさんは完全に一人ぼっちだった。
キャラコさんは、誰に聴かれることもなく、誰に邪魔されることもなく、自分の知っている歌を心ゆくまで次から次へと歌い続けたのだった。まるで自分の家にいるような心地がして、夢中になって歌い続けていると、ふと後ろで人の気配がしたので振り返ってみました。すると、入り口の近くにある椅子に、『キャラコさんの恋人』が遠慮がちに座っていました。

今日の彼は、いつもよりも顔色が悪く、レース編みのボロボロの襟飾りを紐のように顎の下へだらりと垂らしています。そして、いったい何を詰め込んでいるのか、すり切れた上着のポケットがみっといほどパンパンに膨らんでいました。

キャラコさんが振り返ったのを見ると、『恋人』は悲しそうに見えるほどへりくだった丁寧な顔つきをして、
「こんな汚い人間がここにいては、おめざわりでしょうか」
と言いました。

あまりにも『恋人』の様子がかわいそうで、キャラコさんは胸がいっぱいになってしまい、ピアノから離れて彼のそばへと歩いていき、腰を下ろしました。
「あら、どうしてそんなこと言うの?
あたし、あなたを汚いなんて思ったことないわよ。
さあ、またダームのゲームをして遊びましょうか?
……もし、嫌でなかったらだけど」

『恋人』は、手の甲の上まで垂れ下がってくる長すぎる袖をしきりに気にしてはたくしあげながら、
「……わたくしを、汚いやつだの、乞食だのと言わないのは、本当にあなただけです。
わたくしは、人から見下されることには慣れていますから、何を言われたって特に気にも止めません。
しかし、あなたのご親切だけは……」
と、急に目を伏せて口ごもり、
「本当にありがたく思っています。
……この先、一生忘れないでしょう」
と言って、少しうるんだ、感謝に満ちた眼差しでキャラコさんじっと見つめました。

キャラコさんは、こんなふうにしみじみと丁寧な挨拶をされたので、すっかり面食らってしまいました。
「あら、あんなことが親切なのかな?
……『おはよう』って挨拶したり、ダームを二回ほどやっただけでしょう?」
「それが親切なのです。
……とりわけ、わたくしのような人間に対してしてくださるときは」
キャラコさんは、思わずクスッと笑いだしました。
「そんなことで親切になるなら、いつでもしてあげる!」

『恋人』は、しばらく黙って考え込んだあと、突然こんなことを言いました。
「あなたのご親切に甘えるようですが、ひとつ、お願いがあります」
キャラコさんは少し考えてから、きゅっと口を結んで「任せて!」という決意を示しながら、力強くうなずきました。
「あたしにできることでしたら、どんなことでも!」

キャラコさんのあまりにも真面目な顔を見て、『恋人』はちょっぴり皮肉めいた微笑みを浮かべながら言いました。
「いや、そんな難しいことではありませんよ。
……ただ、わたくしに歌を歌って聴かせていただきたいのです」
「あら、そんなことだったの!
……でも、あたし、歌はあまり上手じゃないわよ。
だって、まだ一度もちゃんと先生について習ったことがないんだもの。
……我流のデタラメな歌なんだから」

『恋人』は首を横に振って、
「そんなことありません! ……いま、あそこで聴いていましたが、あなたのような見事な中音(ちゅうおん)の歌声は、日本中を探してもそうそう聴けるものではありません。

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