初級翻訳・ハス仙人 第8話

ハス仙人

でも、そんなにクタクタってわけじゃないから、あの不思議な謎がどういうことかわかったわ」
「おっ、それじゃあぜひ聞かせてくれよ」
「ねえハム、植物と動物のいちばん大きな違いって何だと思う?」
「そりゃあ決まってるさ、植物は栄養を土や空気から直接もらうだろ?
動物は、ほかの植物とか動物を食べなきゃいけないんだから」
「それだけじゃ完璧じゃないわよ、ハム。
自分の力で生きずに他の生命から栄養を奪う寄生植物だだっているんだからさ。
この星のジャングルや、地球の植物のことをよく考えてごらんよ。
キノコみたいな真菌類もいるし、ウツボカズラやハエトリグサだっているでしょう」
「そうだなあ……じゃあ、動物は自分で動き回るけど、植物は動かないことじゃないのか?」
「それも間違いよ。
顕微鏡でみる小さな微生物を見てごらんよ。
植物なのに、エサを求めてすいすい泳ぎ回るやつだっているんだから」
「うーん、それならいったい何が違うっていうんだよ?」
 パットはちょっと言葉につまった。
「うまく言葉にするのはなかなか難しいんだけどさ。
でも、なんとなくわかった気がするの。
こういうことよ。
動物には『こうしたい』という強い願いや意志があるけれど、植物には『こうしなきゃいけない』という決まりきった必然性があるのよ。
わかる?」
「ちっとも意味がわからんね」
「いい? よく聞いて。
植物は、たとえ自分で動くものであっても、『そうしなければならない義務があるから』そのように動くし、そういう風に体を作られているの。
でも動物は、『こうしたいという欲求があるから』、つまり欲するように作られているからこそ行動するのよ」
「どこがそんなに違うっていうんだよ?」
「大きな違いがあるわよ。
動物には自分の意志があるけど、植物にはまったくないの。
ねえ、わかる?
オスカーは神様みたいにものすごくて膨大な知識を持っているけれど、足元の虫けらほどの意志すら持っていないのよ。
まわりの環境に合わせて反応はするけれど、自分から何かを強く望んだりはしないの。
まわりが暖かければ穴から出てきて栄養をとり、寒くなればまた穴のなかに引っ込んで自分の体温で穴の氷を溶かしたりするけれど、それは自分の意志でやっているわけじゃなくて、ただの自動的な反応でしかないのよ。
つまり、自分から『こうしたい』という願いがまったくないの」
 ハムはパットの顔をじっとまじまじと見つめ、さっきまで頭のなかでモヤモヤしていた霧がすっきりと晴れていくのがわかった。
「うそみたいだけど、妙に納得しちまうなあ。
だからあいつらは質問なんてしてこなかったわけだ。
自分から『知りたい』という願いや意志があってこそ、相手に質問なんてできるもんな。
だから、あいつらには人間みたいな文明も意志もないんだな」
 パットが続けて言った。
「ほかにも理由があるわよ。
よく考えてみて。オスカーたちはセックスをしないでしょう。
人間としてのプライドに関わるけれど、これまでの地球の文明は、ずっとセックスが大きな原動力になってきたのよ。
家族ができるのもそれが基本だしね。
でも、オスカーの一族には、お父さんやお母さん、あるいは子供みたいな存在はいないわ。
みんな自分で勝手にパカッと分裂して、最初から一人の大人だし、おそらく知識や記憶もぜんぶ昔のままそっくり受け継いでいるのよ。
だから、だれかを特別に愛する必要もないし、実際に愛し合う場面すらないの。
だからこそ、お友達や家族のために命がけで戦う必要もないし、今よりももっと生活を楽にする理由もないのよ。
芸術や科学や、いろんな素晴らしいものをどんどん発展させるために、自分たちの知恵を使おうというモチベーションが、そもそも湧いてこないのよ」
 ここでパットはいったん話を区切って、こう言った。
「ねえハム、君は『マルサスの法則』って聞いたことある?」
「そんなの知ってるわけないだろ」
「そうよねえ。
マルサスの法則によれば、人間の人口はネズミ算式にどんどん増えていくけれど、食べ物の量はそれに追いつかず少しずつしか増えないってされているの。
人間は、ずっとこの厳しい法則のもとで知恵を絞って発展してきたのよ。
一世紀かそこらの間は、この法則もちょっと疑われたりしたけれど、人類はまさしくこの法則があったからこそ、今の『ヒト』へと進化できたのよ」
「法則が疑われただって?
なんだか、『重力の法則をやめます』とか、『宇宙の決まりを書き換えます』って言ってるみたいに聞こえるぞ」
「ううん、そうじゃないのよ。
19世紀や20世紀になると、いろんな機械がものすごく発達したから、一時はその法則も本当かなって疑われたのよ。
だって、人間の食べる食料がびっくりするくらい大量に増えたんだから。
だからこそ、人口もものすごく増えたっていうわけなの」「でもこれからまたマルサスの法則が働くでしょうよ」
「それとオスカーと何の関係があるんだ?」
「こういうことよ、ハム。
この法則によればオスカー族は絶対に進化しないのよ。
ほかの原因が働いて、オスカー族の人口は食べ物の手に入る量よりもずっと少ないままに保たれたから、食べ物をめぐって競い合うこともなく、そのままのかたちで進化が止まったのよ。
オスカー族の生き方はまわりの環境に完璧にぴったり合っているから、これ以上はもう何も必要ないの。
文明なんて、あいつらにとっては余計なお世話でしかなかったのよ」
「しかし、それなら、あの3つ目怪獣はどうなんだよ?」
「そう、そこが3つ目の問題よ。
ねえ、ハム、さっきも言ったように、3つ目怪獣はあとからやってきた新参者で、薄暗い夕暮れの土地からこっちへ押し出されてきたのよ。
この悪魔のような怪獣がやってきたときには、オスカー族はすでに進化の旅をとっくに終えていたから、新しい事態に対して上手に対応できなかったし、素早く姿を変えることもできなかったの。
だからこそ、あんなに不幸な運命を背負うことになっちゃったわけ」
 パットはブルッと身震いして、話を続けた。
「オスカーが言うように、あいつらはもうすぐ絶滅してしまうでしょうね。
それなのに、当人たちは心配すらしていないのよ。
やること、できることといったら、ただ穴の前にどっしり座り込んで、いろんなことを考えているだけ。
きっと神様みたいにものすごくて高い思想を持っているんだろうけれど、たった一匹のネズミの意思すら、外に向けて発揮させることはできないのよ。
それが植物の知性っていうものなの。
それが、どうしようもない必然なのよ」
「きみの言うとおりかもしれないな。
なんだか、ある意味ですごく恐ろしい話だな……」
 パットはぶ厚い上着を着ているにもかかわらず、ガタガタと震えた。
「ええ、すごく恐ろしいわ。
あんなに膨大ですごい頭脳を持っているのに、その使い道がどこにもないんだもの。
まるで、ものすごく強力なガソリン車のドライブシャフトがポッキリ折れちゃって、アクセルをどんなに思いっきり踏み込んでも、タイヤが1ミリも回らないようなものだわ。
ねえハム、わたし、あいつらに名前をつけようと思っているの。
ラタファジャイ・ヴィーナリーズ……つまり、“ハス仙人”よ。

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