おい、君、知らんぷりをするのもいい加減にしたまえ。
テーモ氏から捜索願が出ているのだ。
いま君がありかを言えば、内密で済むんだぞ。
でなければ、君のためにならんからな」
「本当にまったく何も知らないのです。
まあ、あなた方もお仕事でしょうが、わたしの声や顔つきをよく見てください。
これでわからないのですか」
わたしは少し腹が立って、一気にまくしたてました。
すると、二人はまた顔を見合わせました。
「もうどうなる知ったことか」と思い、わたしはさらに続けました。
「どうしてわたしより先に、デストゥパーゴを呼び出してくれないのですか。
誰がどう考えても、ファゼーロがいないのはデストゥパーゴの仕業です。
まさか殺しはしないでしょうがね」
「デストゥパーゴ氏はいないのだ」
わたしはどきっとしました。
ああ、ファゼーロは本気で、あるいは間違いで殺されてしまったのかもしれない。
警部が言いました。
「お前の主張は、いろんな点でテーモ氏の主張と食い違っている。
だが、われわれはそれは当然のことだろうと考えている。
いま調書を読み上げるから、君の言ったことと違うところがないか、よく聞きなさい」
一人の男が読み始めました。
「間違いありません」
わたしはファゼーロのことを考えながら、上の空で答えました。
「ここに署名したまえ」
わたしは書類の端に名前を書きました。
もう心配で心配で、どうしようもなくなっていたのです。
「では帰ってよろしい。
明日また呼ぶからな」警部が言いました。
わたしはいてもたってもいられなくなりました。
「ファゼーロはどうなったんですか。
なぜデストゥパーゴを捕らえないのですか」
「それを君が口出しすることは許されん」
「だって、ファゼーロはどうしたんです!」
「そんなに心配なら、君も自分で探したまえ。
さあ、帰りなさい」
二人はすっかり疲れ切っていて、早く話を終わらせたい様子でした。
わたしはすでに明かりのともった警察署を、夢中で飛び出しました。
すると出口の桜の木の幹のそばに、青みがかった夕方のもやの中、ロザーロがしょんぼりと寄りかかり、悲しそうに遠い空を見つめていました。
わたしは思わず駆け寄りました。
「あなたはロザーロさんですね。
わたしはどこへ探しに行ったらいいでしょう」
ロザーロは下を向いたまま言いました。
「きっと、遠くへ行っているのですわ。
もし、生きていれば……」
「わたしがいけなかったんです。
でも、絶対に探し出しますから」
「ええ……」
「デストゥパーゴはいないんですか」
「いないんです」
「馬車別当は?」
「見ませんでした」
「あなたのご主人は、何も知らないんですか」
「ええ」
「捜索願をわざわざ出したんでしょうか」
「いいえ。
警察からも人が来て調べたのです」
「あなたはこれから、主人のところへお帰りになるんですか」
「ええ」
「そこまでご一緒しましょう」
わたしたちは歩き始めました。
わたしはいろいろと話しかけてみたのですが、ロザーロはどうにも悲しそうで、返事は一言二言しか返ってきません。そのため、わたしはこれ以上踏み込んで、ファゼーロや自分たちのことに立ち入って聞くことができませんでした。
そして、あのとき山羊をつかまえた場所まで来ると、ロザーロは、
「もうすぐですから」と言い、自分からおじぎをして行ってしまいました。わたくしは、さびしさと心配で胸がいっぱいでした。
そして、その晩から毎晩毎晩、野原へファゼーロをさがしに出かけました。
日曜日には、昼間も外に出ました。
ことに、この前ファゼーロと別れたあたりからテーモの家までの間に何か落ちていないかと思ってさがしたり、シロツメクサの花にデストゥパーゴやファゼーロの足あとがついていないかと思って見てまわったり、デストゥパーゴの家から何か物音がきこえないかと思って、幾晩も幾晩もそのまわりを歩いたりしました。
手前の二本の樺の木のあたりからポラーノの広場へも、何べんも行きました。
そのうちにつめくさの花はだんだん枯れて茶いろになり、ポラーノの広場のはんの木には、ちぎれて色のさめたモールが幾本かかかっているだけで、ミーロにさえも会いませんでした。
警察からはその後呼び出しがありませんでしたので、こちらから出向いてどうなったかきいてみましたが、警察では「ファゼーロもデストゥパーゴも、まだ手がかりはないが心配もなかろう」というようなことばかり言うのでした。
そしてわたくしも、どういうわけか、慣れたのか、あるいは疲れたのか、「ファゼーロはファゼーロで、ちゃんとどこかにいるのだ」というような気がしてきたのです。
五、センダード市の毒蛾
そして、だんだん暑くなってきました。
役所では窓に黄色い日よけもできましたし、隣りの所長の部屋には、電気会社から寄贈された直径七デシもある大きな扇風機も据えつけられました。
あまり暑い日の午後などは、所長が自分で立ち上がってあいだの扉をあけ、
「さあ諸君、少し風にあたりたまえ」
なんて言ったものです。
すると、大扇風機から風がどうどうとやって来ました。
もっとも、わたしの席はその風の通り道からすこし外れていましたから、格別涼しかったわけでもありませんでしたが、それでも向こうの書類やテーブルクロスが、ぱたぱたと言っているのを見るのは、実際愉快なことでした。
それでも、そんな仕事のあ間にふっとファゼーロのことを思いだすと、胸がどかっと熱くなって、もうどうしたらいいかわからないのでした。
とにかく、その七月いっぱいに私のした仕事は、
一、北極熊|剥製方をテラキ標本製作所に照会の件
一、ヤークシャ山頂火山弾運搬費用|見積の件
一、植物標本|褪色調査の件
一、新番号札二千三百枚調製の件
などでした。
そして八月に入りました。
その八月二日の午後すぎ、わたくしが支那漢時代の石に刻んだ画の説明をうつらうつら写していましたら、給仕がうしろからいきなりわたくしの首すじを突っついて、
「所長さんが来いって」
と言いました。
わたくしはすこしむっとしてふり返りましたら、給仕はまた威張って言いました。
「所長さんがすぐ来いって」
わたくしは返事もしないでだまってみんなの椅子のうしろを通り、例の扉をあけて恭しくはいって行きました。
所長は肥った白い手首に時計をはめて扇風機にあたりながら新聞を見ていましたが、わたくしが行くとだるそうにちょっと目をあげて、それから机の上の紙ばさみから一枚の命令書をわたくしによこしました。
それには、
「海岸鳥類の卵採集の為に八月三日より二十八日間イーハトーヴォ海岸地方に出張を命ず」
と書いてありました。
わたくしはまるでほくほくしてしまいました。
あのイーハトーヴォの岩礁の多いきれいな海岸へ行って、今ごろありもしない卵をさがせというのは、これは慰労休暇のつもりなのだ。
それほどわたくしが、所長にもみんなにも働いていると思われていたのか、「ありがたい、ありがたい」と心の中で雀躍(じゃくやく)しました。
すると所長は私の顔は少しも見ないで、やっぱり新聞を見ながら、
「会計へまわって見積旅費を受けとるように」
と一言だけ言いました。
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