初級翻訳・ポラーノの広場 第16話

ポラーノの広場

この前ポラーノの広場でデストゥパーゴに介添をしろと云われて遁げた男のようでした。
「ええ、ありがとう。
ファゼーロも帰って来てすっかりもとの通りですね。
」
「山猫博士が居ませんや。
」
「山猫博士? デストゥパーゴ? デストゥパーゴにわたしはセンダードで会いましたよ。
大へんおちぶれて気の毒なくらいだった。
」
「いいえ、デストゥパーゴが落ちぶれるもんですか。
大将、センダードのまちにたくさん土地を持っていますよ。
」
「はてな、財産はみんなあの乾溜会社にかけてしまったと云っていたが。
」
「どうして、どうして、あの山猫がそんなことをするもんですか。
会社の株が、ただみたいになったから大将遁げてしまったんです。
」
「いや、何か重役の人が醸造の方へかかろうとして手続を欠いて責任を負ったとか云っていたが。
」
「どうしてどうして。
酒をつくることなんかみんな大将の考えなんですよ。
」
「だって試験的にわずかつくっただけだそうじゃないですか。
」
「あなたはよっぽどうまくだまされておいでですよ。
あの工場からアセトンだと云って樽詰めにして出したのはみんな立派な混成酒でさあ。
悪いのには木精もまぜたんです。
その密造なら二年もやっていたんです。
」
「じゃポラーノの広場で使ったのもそのか。
」
「そうですとも。
いや何と云っても大将はずるいもんですよ。
みんなにも弱味があるから、まあこのまま泣寝入でさあ。
ただまああの工場をこんどはみんなでいろいろに使って、できるだけお互いのいるものは拵えようというんです。
」
「そうかねえ。
」「ファゼーロが何かするのかい。
」
「ええ、まあ別に新らしい資本がかかるわけでもなし、革をなめしたりハムを拵えたり、栗を蒸して乾かしたり、そんなことをいろいろやろうというんです。
」
「さあもう行こう。
」ファゼーロがわたくしをつっつきました。
「それじゃまた。
」
「お休みなさい。
」
どうもデストゥパーゴの云ったのが本当か、みんなの云うのが本当か、これはどうもよくわからないと、わたくしはあるきだしながらおもいました。
「まっすぐだよ、まっすぐだよ。
わたくしはあれからもう何べんも来てわかっているから。
」
わたくしはファゼーロの近くへ行って風の中で聞えるように云いました。
ファゼーロはかすかにうなずいて、また走りだしました。
夕暗のなかにその白いシャツばかりぼんやりゆれながら走りました。
間もなくわたくしははるかな野原のはてに青白い五つばかりのあかりと、その上に青く傘のようになってぼんやりひかっている、この前のはんのきを見ました。
だんだん近づいて行くと、その葉が風にもまれて次から次と湧いているよう、枝と枝とがぶっつかり合って、じぶんから青白い光を出しているようなのもわかるようになり、またその下に五人ばかりの黒い影が魚をとるときつかう、アセチレン燈をもって立っているのも見ました。
今日は広場にはテーブルも椅子も箱もありませんでした。
ただ一つのから箱があるきりでした。
そのなかから見覚えのある、大きな帽子、円い肩、ミーロがこっちへ出て来ました。
「とうとう来たな。
今晩は、いいお晩でございます。
」
ミーロはわたくしに挨拶しました。
みんなも待っていたらしく口々に云いました。
わたくしどもは、そのまま広場を通りこしてどんどん急ぎました。
のはらはだんだん草があらくなって、あちこちには黒い藪も風に鳴り、たびたび柏の木か樺の木かが、まっ黒にそらに立って、ざわざわざわざわゆれているのでした。
そしていつか私どもは細いみちを一列にならんであるいていたのです。
「もうじきだよ。
」ファゼーロが一番前で高く叫びました。道の両側は、いつの間にかすっかり林になっていました。
 そして三十分ほど黙って歩くと、なんだかプウンと木屑(きくず)のような匂いがして、すぐ目の前に灰色の細長い屋根が見えました。
「誰か来ているな!」
 ファゼーロが叫びました。
 その大きな黒い建物の窓に、ちらちらと明かりが射しているのです。
「おーい、キューストさんが来たぞ!」
 ミーロが大声で叫びました。
「おーい!」
 中からも誰かが返事をしました。
 わたしたちはその建物の中へ入って行きました。
 そこには大きな鉄の釜が、スフィンクスのようにこっちを向いて置いてあって、土間にはたくさんの大きな素焼きの壺がずらりと並んでいました。
「いや、今晩は」
 ひとりの裸足の年老った人が、土間でわたしに挨拶しました。
「これが乾燥釜だよ」
 ファゼーロが言いました。
「ここで何人くらい働いていたの?」
 わたしは尋ねました。
「そうだなあ、一番もうかっていたときは三十人くらいはいたろうかね」
 ミーロが答えました。
「どうしてダメになっちゃったんだい?」
 みんなが顔を見合わせました。
 さっきの年老った人が言いました。
「薬の値段が下がったもんでさ」
「そうですかねえ。そんなにうまくいかないものかなあ。だけどさ、おい、ファゼーロ、おれはこの釜でやっぱり酢酸(さくさん)をつくった方がいいと思うんだ。あのときは会社だなんて言って、みんなであれこれ大がかりにやったから損になったけれども、俺たちだけでやるんなら、しっかり手間賃にはなるからさ。十瓶でも二十瓶でも引き受けるって、町の薬屋だって言ってくるんだからな」
「そうだね」
 ファゼーロが言いました。
「ここの下にたいた煙を、となりの酒をつくった室(むろ)に通して、あそこでハムをつくるといいな」
「それはサートもそう言ってるよ。とにかくこの釜に入れてやれば、木炭はまるごと取れるし、ハムはすぐに売れなくたって仲間同士で分け合えるからな」
「さあよし、やろう! キューストは、これからもたびたび来て見てくれるだろう?」
「ああ、ぼくは畜産の方にも林産製造の方にも友だちがいるから、みんな誘ってやって来るよ。『ポラーノの広場』の話をしながらね」
「そうだ、ぼくらはずっと一生懸命『ポラーノの広場』を探したんだ。だけど、やっとのことでそれを見つけたら、それは選挙に使う酒盛りだった。でも、昔の本当のポラーノの広場はまだどこかにあるような気がして、ぼくはしかたがないんだ」
「だからぼくらは、ぼくたちの手で、これからそれを造ろうじゃないか!」
「そうだ! あんな卑怯で、みっともなくて、わざわざ自分をごまかすような、そんなポラーノの広場じゃなくって、そこへ夜に行って歌えば、またそこで風を吸えば、もう元気が湧いてきて、明日の仕事中からだじゅうが活気に満ちて楽しくなるような、そういうポラーノの広場をぼくらはみんなでつくろうよ」
「ぼくはきっとできると思う。なぜなら、ぼくらが今それをこうして考えているんだから!」
「何をしようといっても、ぼくらはもっと勉強しなくてはならないと思うんだ。こうすればぼくらの幸せになるっていうことはわかっていても、じゃあどうやってそれを始めたらいいか、ぼくらにはまだわからないんだから。町にはたくさんの学校があって、そこにはたくさんの学生がいる。その人たちはみんな、一日のめいっぱいの時間を勉強に使えて、いい先生は知りたいことをいくらでも教えてくれる。

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