初級翻訳・リップ・ヴァン・ウィンクル 第6話

アーヴィング ワシントン

また、古い新聞の記事をぼそりぼそりと読みあげる校長のヴァン・バンメル先生をさがしても無駄でした。
こうした人たちのかわりに、痩せこけた気の短そうな男が、ポケットにびっしりとビラをつめこんで、「人民の権利」「選挙」「国会議員」「自由」「バンカーズ・ヒル」「一七七六年の英雄たち」だのなんだのと、さかんにわめきちらしていました。しかし、すっかり混乱しきっているヴァン・ウィンクルには、まるで外国語の寝言のようにさっぱり意味が分かりませんでした。
リップが長くて白い胡麻塩のあごヒゲを生やし、サビついた鳥打ち銃をもち、奇妙な服装で、大勢の女子供をうしろに従えてあらわれると、すぐに政治家気取りの酒場の論客たちの目をひきました。
彼らはリップのまわりにドッと集まってくると、頭から足の先まで、ものすごくもの珍らしそうにじろじろと眺め回しました。
先ほどの演説をする男が急いでリップのところへやってきて、彼をちょっと脇へひっぱると、「どちらの候補者に投票するのか」とたずねました。
リップはぽかんと間の抜けたような目をみはりました。
今度は別の、背が低くてこせこせした男が彼の腕をひっぱり、つま先立ちになって彼の耳もとでこうたずねました。
「おい、君は連邦党か、それとも民主党か?」
リップはさきほどと同様に質問の意味がまったく分からず、すっかり途方にくれました。
その時、尖った縁の反った三角帽子をかぶった、いかにも事情に通じていそうな尊大な老紳士が、ヒジで人々を左右に押しわけながら群衆の間をぬって進み出て、ヴァン・ウィンクルの目の前にどっしりと立ちはだかりました。
片腕を腰にあて、もう一方の腕をステッキにのせていましたが、その鋭い眼光ととんがり帽子は、まるでリップの心の奥まで見通すようでした。
この男はきびしい口調でリップに問いただしました。
「いったいなぜお前は、選挙の場に銃をかつぎ、こうした群衆を引き連れてやってきたのだ。この村に暴動でもおこすつもりか!」
「みなさん、どうか誤解しないでください!」と、リップはすっかりうろたえながら叫びました。
「わしは、この村で生まれたしがない、おとなしい人間でして、これでも王様の忠実な臣民なんです。王様万歳!」
すると、まわりの見物人たちは一斉に激しく騒ぎたてました。
「王党派だ!」「王党派のまわし者だ!」「スパイだぞ!」「危険な亡命者め!」「追いだせ、叩きだせ!」
例の三角帽をかぶったもったいぶった男が、やっとのことで一同を静めると、十倍もいかめしい顔つきになり、再びこの素性の知れない未決囚に向かって、なんのためにここへ来たのか、誰を探しているのかと詰問しました。
憐れなリップはおずおずと、自分は決して悪意があるわけではなく、ただ、いつも近所の人たちがこの宿屋のあたりにきているので、ここへ探しにきただけなのだと、へりくだって言いました。
「なるほど、それは誰だ。名前を言ってみたまえ」
リップはちょっと考えてからたずねました。
「ニコラス・ヴェダーさんはどこにおりますかい」
しばらく答える者はいませんでしたが、やがてひとりの老人が細い、かんばしった声で言いました。
「ニコラス・ヴェダーさんだって? おやおや、あの人は十八年もまえに死んでしまったよ。教会の墓地に木の墓標があってな、あの人のことが残らずしるしてあったんじゃが、それも今は腐ってなくなってしまったわい」
「ブロム・ダッチャーさんはどこにおりますかね」
「ああ、あの人は戦争のはじめに陸軍へ入隊しなさったが、ストーニー・ポイントの攻撃で戦死したという人もいるし、アントニーズ・ノーズのふもとで嵐にあって溺れ死んだという人もおるがね。わたしはよく知らないんじゃが、二度と戻ってこなかったよ」
「ヴァン・バンメル校長先生はどうしましたね」
「あのかたも戦争に行かれて、国民軍の偉い大将じゃったが、今は国会議員になんなさったよ」
故郷や友人たちにこんな悲しい変化があったのを聞き、自分がこの世の中にひとりぼっちになってしまったのを知って、リップはすっかり心細くなってしまいました。どの返事をきいても、ひどく長い年月が経ったような話ばかりで、さっぱり訳のわからぬことを言うので、彼はすっかり困りきってしまいました。
戦争、国会、ストーニー・ポイント……。
彼はこれ以上ほかの友人のことを聞く勇気もなくなり、絶望のあまり大声で叫びました。
「ここにいるかたで、リップ・ヴァン・ウィンクルを知っている人はいませんか!」
「ああ、リップ・ヴァン・ウィンクルか」と、二、三の者が叫びました。
「ああ、知ってるとも! あれ、あそこにいるのがリップ・ヴァン・ウィンクルだよ。木によっかかっているのがね」
リップはそちらを見ました。
すると、山に登ったときの自分に瓜二つの男が目に入りました。自分と同様、いかにもものぐさそうで、じっさい、ぼろをまとっているところもまったく同じでした。
憐れなリップは、すっかり頭がこんがらがってしまいました。自分の正体がひどくあやしく思われ、自分がほんとうに自分なのか、それとも別の人間なのか疑わしくなったのです。
彼が当惑しきっていると、くだんの三角帽子の男が、おまえはいったい誰なのか、名はなんというのかと訊きました。
「知るもんか!」と、リップは思案にあまって叫びました。
「おれは自分じゃない! 誰かほかの人間だ。向こうにいるあれがおれだ。……いや、そうじゃない。あれはおれの後釜にすわった誰か別な男だ。おれはゆうべはおれだったが、山の上で寝こんでしまって、鉄砲はかえられるし、何もかも変わって、おれまで変わってしまった! 自分の名前も、自分が誰なのかもわからないんだ!」
まわりで見ていた人たちは、このとき互いに顔を見合わせ、うなずき合い、意味ありげに目くばせして、自分の額を指でトントンとたたきました。そして囁き声で、「あの男から鉄砲を取りあげて、あの老人に危なっかしい真似をさせないようにしたらどうだ」と言う者もいました。
この言葉を耳にしただけで、あの三角帽子の尊大な男は、いささかあわててその場をひきさがりました。
みんなが息をのんだその瞬間、一人の若々しい器量のよい女が、人だかりを押しわけて、この胡麻塩ひげの男の顔をのぞきにやってきました。
女はまるまると肥った赤ん坊を抱いていましたが、その子はリップのただならぬ様子におどろいて泣きだしてしまいました。
「おだまりよ、リップ」と、彼女は大声で言いました。
「おだまり、お馬鹿さんね。あのおじいさんは何もしやしないよ」
子供の名前といい、母親の様子といい、声の調子といい、そのすべてが、つぎつぎと彼の心に遠い記憶を呼びおこしました。
「おまえさんの名はなんというのかね、おかみさん」と、彼はたずねました。
「ジュディス・ガーディニアです」
「で、お父さんの名前は?」
「ほんとに、気が滅入りますわ。リップ・ヴァン・ウィンクルっていうんですけどね、二十年もまえに鉄砲をもって家を出られたっきり、その後なんの音沙汰もないんです。犬だけがひとりで帰ってきたんですけど、お父さんが鉄砲で自殺なさったのやら、インディアンにさらわれておしまいになったのやら、だれにもわからないんです。

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