まるでナメクジが這うような、いや、何と表現したらいいか分からないほどの、驚くほどゆっくりとしたスピードでのんびり辿っているうちに、いつの間にか気まぐれな別の考えが頭の中にフワフワと入り込んできそうになってしまいます。
その脱線しそうな頭を「こらこら!」と必死につかまえながら、何にも縛られない無限の時間のようなその努力をずっと続けられるほど、彼の脳みそは細かくできていませんでした。
並外れた忍耐力を使って、やっとこさ一、二行も読み進めると、もう残酷なほどパタンと本を投げ出して、大きな欠伸をするのです。もじゃもじゃの頭の上で、体格に全然似合わない小さなチョンマゲをぷるぷる踊らせながら、またすぐにおいた(いたずら)を始めるのでした。
本を読んだときに限って、そのあとの「暴れっぷり(いたずらの激しさ)」はそれはもうひどかったそうです。
あるときのようです。確か、その年の暮れ頃だったでしょうか。
面白くない本のせいで気分がすっかり鬱々としていた彼は、日向(ひなた)のぽかぽか温かい本堂の縁側に腰をかけ、両足をブラブラと振りながら、「誰か一緒に遊んでくれる相手はいないかなあ」と、退屈そうにあたりをキョロキョロと見回していました。
和尚さんがお出かけ中で留守だったので、寺務所の方もシーンと静まり返り、どこかから寺男(てらおとこ)が藁(わら)を打つペタペタという音が、まるで木魚のようにトントンと響いてきます。
ときどき思い出したように鼻水をスッとすすり上げながら、あてもなくフラフラしていた彼の目は、やがてふと、かなたにある鐘楼(しょうろう)の中にどっしりと大きな体をぶら下げている「梵鐘(つりかね)」に吸い寄せられました。
まだ子どもだった彼にとって、鐘楼は絶対に近づいてはいけない「禁断の場所」でした。
火事や何か大変な異変があったとき以外は、決められた時刻以外に鐘を撞いてはいけないことになっていた時代です。だから、いくら可愛がっている三郎坊主であっても、鐘にだけは決して触らせなかったのでした。
その、触ってはいけない禁断の鐘をじっと見つめながら、しばらく首をかしげて考えていた彼は、いった何を思いついたのか、急にソワソワしだしました。たまらなくなり、肩をすくめてニヤリとほくそ笑むと、どこかへパッと駆け出していきました。
そして、あっという間に六、七人の遊び仲間を引き連れて戻ってくると、ある者は納屋から「古俵(ふるだわら)」を持ち出し、別の者は「細引き(ロープ)」を引きずり出し、枯れ木を集める者、火打石を探す者――見る見るうちに、何やらものすごくいかめしい準備が整っていきました。
すると、みんなで丸くなって「じゃんけん」を始めました。
負けた一人が、本堂のそばの梁(りはり)から吊るした古俵(ふるだわら)の中へと、ゴソゴソと這い込みます。
庭で枯れ木に火をつけた一人が、本気モードの声を張り上げて、
「火事だぞーっ! 火事があおっぱじまったぞーっ!」
と、いきなり大声で怒鳴り始めました。
すると、梁から下がった俵のそばに、和尚さんの折れた杖をしっかり握って立っていた三郎が、おごそかな手つきで古俵をドーンと突き下ろします。
一つ突くと、「ゴーーーン」と音が鳴る。
二つ突けば、「ゴーーーン、ゴーーーン」と二つの音が辺りに響き渡る。
三郎坊主のアイデアで、みんなですっかり「火事の真似っこ」を始めたのです。
いまから五十何年も前の昔、奥州(東北)の山の中で、本物の火事になどめったに出会いません。
中には、火事がどんなものなのかさえ知らない子どももいたくらいですから、これにはみんな大興奮で有頂天になってしまいました。
そして、脇から燃え木をドンドンとくべながら、夢中になって、
「火事だぞーっ、おっぱじまったぞーっ! ゴーーーン、ゴーーーン!」
と何度も何度も繰り返しました。
そして、「何回鳴ったら交代する」という約束で、ちょうど三郎坊主が「鐘をつく役」から「俵に入る役」へと代わった、まさにそのときでした。
そこへ、ひょいと和尚さんが帰ってきたのです。
四
みんなはもう、肝を潰してすっかりパニックになってしまいました。
我先にと慌てて四方八方に逃げ出してしまいましたが、古俵の中にすっぽり詰まって梁からぶら下がっている三郎坊主は、藁の壁一枚の外側でそんな一大事が起きていることなど、夢にも知りません。
真っ暗な俵の中で目をギラギラと光らせ、耳をすませて、次に突かれるのを今か今かと待ち構えているのです。
一方の和尚さんは、目の前で何やら妙な顔をしながら、宙にぷらーんとぶら下がっている大きな俵を見つめました。
和尚さんには、何が何だかさっぱり訳が分かりません。
何のために俵がぶら下がっているのか、中が一体どうなっているのか――人の好い和尚さんは、気味が悪いことこの上なかったに違いありません。
あっちから見、こっちから見と観察していた和尚さんは、やがて子供のようないたずらっぽい顔つきになり、持っていた杖の先で、ちょいちょいとその俵を突いてみたのでした。すると、途方もなく大きな三郎坊主の声が、真面目くさって、
ボーン……
と、余韻まで引いて鳴り渡った。
――これはその時代の彼の代表的逸話である。
がとにかく、一年近く体は寺にいたが、頭は相変らず、同じように野や山や鐘楼のまわりをかけめぐっていた。
気に入っていた和尚さんも、これでは仕方がないとでも思ったものか、彼の十三のとき、
「おぬしは、胆はあるようじゃ、が、文字の人ではないらしいで、実家へ戻れ。
その方がええじゃろうよ」
と、宣告した。
そのとき、彼は別に悲しくも恥しくもなかった。
ちょうど、寺にもそろそろ飽きて来た時分だったので、内心ホクホクしながら、貰った飴を大切に舐り舐り、今度は一人で家へ戻って来たのだそうだ。
こんなにして、彼の少年時代はしごくのんきに、思いのままに過ぎた。
紅毛人の黒船がどこへ来たとか、誰某がおしおきにあったとか、掃部様が斬られたとか、江戸は上を下への大騒動で、かりにも二本差す者は、大なり小なりに相当の苦しみにあわなければならない時分、平の土百姓、それも山奥の自分の領主さえ知らないような者の息子に生れた彼は山一つ彼方のことは、噂さえ聞かずに育ったのである。
私共には想像も及ばない、単純さの中で、彼のこの時分までのことは、ほとんどお噺に近いような状態で過ぎて行った。
もう十三にもなり、わずかの文字も知り、どこかの箱屋へ年期に入ったこれから先は、だんだん「一人前」に近づく階段で、もっと実際的に興味のある話は、たくさんあるに違いない。
けれども、どうしたものか、寺から戻って、二十二三までのことは、私の知っている範囲では、非常にざっとしている。
生れたときから、狸に腕を折られた彼としては、実際、簡単明瞭すぎる。
彼に聞いても言わないし、周囲の者も知らない。
私はただ、箱屋へ一年半ほどいた後、漢法医の下男に入り、またそこを出てから、「屋大工」の年季に入ったことだけを聞き知っているのみである。
箱屋へ行ったのは、稼ぎを覚えるためである。
漢法医の世話になったのは、工合の悪い右の肩が、時候の変り目、変り目にいたむのを手療治するためであった。
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