お金の使い方も、「まあ、入ってきたら入ってきたままでいいや、出ていくものは勝手に出ていけ」という調子で、全然ケチケチしません。ほかの人のようにゴマをすったりお世辞を言ったりも絶対にしませんでした。
自分の思ったことを、頭に浮かんだままの言葉でストレートに言う。
それに対してまわりの人があまり文句を言わないことが、彼の長所――自分をカッコよく見せようとせず、ありのままの自分で生きる――という姿勢をさらに強くしていったのですが、同時に、一部の人からは反感を買う原因にもなっていました。
六
いつも真面目で、大きな声すら出せないような人から見れば、彼はただの「ものすごく図々しくて遠慮がない奴」に見えました。
まるで自分の家であるかのように我が物顔で振る舞い、相手が赤面しようが冷や汗をかこうが一切お構いなしに、真正面から正論で言い負かしてしまうのです。
けれども、そんな風に一部の人から嫌われがちな彼の短所を、「この開墾地の旦那様」と呼ばれていた山沢さんという偉い人が、すっかり気に入って見込んでくれました。
そして、「家が完成したら、自分の家で働いていた『おまさ』という小綺麗なしっかり者の女を嫁にやるからな」と約束してくれるほど、三郎のことを可愛がってくれたのです。
可愛いお嫁さんも決まり、自分の家も無事に建ち、三郎はまさに人生の絶頂期にいました。今から振り返ってみても、「あのときほど、すべてのことが順調にうまくいった時期は人生でほかにない」と思えるほど幸せな時代でした。
そんなふうに調子が良すぎたからなのか、その頃の彼は、よくキツネに化かされそうになったり、百人探しても一人も見つからないような珍しい「黒狐」を目撃したりしたのだそうです。そしてそれらの出来事のすべてが、彼の過ぎ去った輝かしい黄金時代の記念として、ぼんやりとした記憶のなかに、今でもまばゆく光り輝いているのです。
黒狐のお話は、別にものすごく大げさなことではありません。
ただ、同じ村に住む「百六歳」になっていたおじいさんが、十八歳のときに見たことがあると言っていた、全身が真っ黒で、お腹と尻尾の先だけが白い、恐ろしい昔のキツネを、三郎がたまたま田んぼの中で見かけたという、それだけのことでした。
まわりの人たちは「そんなの嘘だ、嘘にきまってる」と笑ったそうですが、その頃には三郎たちの主君(ボス)のようになっていた山沢さんというお屋敷のご隠居が、「昔からの記録の本には、何百年経つとキツネの毛の色がどう変わるかが書いてある。だから、もし本当に黒いのだとしたら、あれは少なくとも五百年は生きている古いキツネにちがいない」とみんなに話したおかげで、最後には「本当の話」としてみんなに認められたのでした。
ところが、おかしなことに、「なにしろ、あの黒狐を見るほどの男だからな」という、またひとつ新しい「格」や「箔」が、三郎の肩書に加わることになったのです。
けれども、この黒狐を見た人は、その頃の言い伝えによると、夜道を歩くだけで必ずキツネにぐるぐると惑わされてしまうという運命になっていて、ひどいときには、五里の道のりを歩いてくるうちに、六回も七回も化かされそうになったりしたそうです。
それもみんな、はじめから「キツネになんて化かされてたまるか」と用心して、自分の方から逆にキツネをだましてやろうとして、かえって失敗したものばかりでした。
そして一番最後に、またどこかのキツネが三郎のまわりをうろつき始めたときには――私にはちょっとわかりませんが、三郎の話によると、キツネが人をだますときのやり方として、まずある程度の人との距離を保ったまま、ぐるぐると自分の体のまわりを歩き回るのだそうです。
――さすがの三郎もうんざりしてきて、いきなりドサッと田んぼのあぜ道に腰を下ろし、タバコをふかしながら、半分やけくそになって、そのキツネを思いっきり大声で野次ってやったのだそうです。
すると、三、四回ほど稲をガサガサと鳴らしながらまわったあげく、三郎の圧倒的な度胸に恐れをなしたとみえるキツネは、どこかへスタコラと逃げていってしまったそうです。
三郎の考えでは、「この年をきっかけにして、村のまわり一帯からキツネがすっかりいなくなってしまったのだから、きっと別の場所へ引っ越すそのお別れの記念に、さんざん人間を『からかって(あばけて)』行ったんだろう」ということでした。
さて、一人の娘の父親となった彼は、その頃にはもうすっかり、山沢の旦那様に心から惚れ込んでいました。
彼は、その主人が心の中でどんな細かいことを考えているかなんて、知るすべもありません。
ただ、ものすごく頑固なところや、細かいことを気にしない大雑把なところがありながら、自分のことは完全に信用してくれて、遠くへ旅行に出かけるときには財布ごと大きなお金をポンと投げ出して、「おい、三郎、お前にすべて任せたぞ、好きなように使ってくれ」と言ってくれる――その態度が、三郎の心の中に言いようのない大きな感動を与えたのでした。
「お前は本当に偉い奴だ」とか、「見上げた男だな」といったお世辞を、その主人は一度たりとも口にしたことはありません。
ただ、大きな頭をコクッと縦に動かして、「よくやってくれたな」と言ってくれるだけなのですが、その飾り気のない、三郎の純粋な心にスーッと染み込みやすい態度のせいで、彼は自然と「もっと旦那様のために頑張ろう!」と忠誠を誓うようになったのです。
仕事や村のことで何か少しカッカと興奮していると、三郎はのそりのそりと山沢さんの前へ歩み出てきて、こう言うのでした。
「旦那様、また何か腹を立てていなさるでしょう。奥へお行きなさい、奥へお行きなさい」
すると、ふだんは「誰の言うことも絶対に聞かない」あの山沢さんが、不思議と素直に立ち上がり、まるで人の肩なんか簡単に揉み潰してしまいそうな三郎の強靭な手でマッサージをされるうちに、そのままスヤスヤと眠ってしまうのです。
三郎はもちろん、自分の言葉の力が、山沢さんの持つ器の大きさと比べてどれほどのものかなんて、比べることもしませんでした。
自分の力や影響力を過信していたのは明白です。
けれども、いくら彼自身が天狗になって、まわりに無遠慮な態度をとっていたとしても、山沢さんに一言、
「おい三郎、しっかり頼んだぞ」
と言われさえすれば、もう胸の中では「はい」と絶対に服従するしかなかったのでした。
山沢さんが、自分がいかに三郎を信用しているかについて、言葉で一切説明しなかったのと同じように、三郎もまた、自分の胸の中にあるその主人への深い敬愛の気持ちを、ただの一度も言葉にして説明したことはありませんでした。
もう二十年近く前に亡くなったその主人の噂話を、三郎は今でもよく口にします。
「旦那様」という敬称こそ使いますが、その言葉づかいや批評のしかたは、まるで自分の弟やいとこのことでも話しているかのように、自由で、自分の心の向くままのフランクな調子なのです。
悪口を言いながら、ワガママを言いながらも、山沢の旦那様に対しては「自分の命すら惜しくない」ほどの深い愛情を、彼は感じていたのでした。
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