李一はもともと欲しかったこともあり、財布の中から二十銭の銀貨を一枚取り出して、男の手の上に渡しました。
「買ってくれるのかい?」
「二匹だけ売ってください。」
李一は小さなガラスの瓶に二匹の人魚を入れて、すっかり夜になった海岸の町を通り、家へ向かって歩いていく途中でした。すると瓶の中から、か細い声で、
「わたしはこれで海へ戻ることができます。
お礼はきっと今にいたしますからね。」
と声がしましたが、ハッと気がついたときには、もう白い魚は瓶の中にいませんでした。
ただ、海の音がゴーゴーと響いているばかりでした。
李一はその晩、父親からひどく叱られ、なぜ麻糸を買わなかったのかと激しく小言を食らったのでした。
秋の終わり頃になるとイワシ漁が始まり、李一も船に乗って出かけなければならなくなりました。みんなで沖へ漕ぎ出したのですが、イワシというものは海の中で一かたまりになって群れるもので、その勢いよく群れている時は、押し合いへし合いするイワシが水面へピョンピョンと跳ね上がるくらいで、カモメなどがそれを捕まえて食べてしまうほどでした。
しかし、その日はイワシが群れてはいたものの、どうしても船を近づけることのできない場所にいたのです。
同じ海であっても、隣の村の漁船が出ている時は、その境界線より向こうへ行くことはできませんでした。
イワシの大群はちょうど隣の村の漁船に追い詰められていましたが、李一たちの船との境界のところで盛り上がり、じっと動かずに銀色の渦を巻いて群れていたのです。
隣の村の漁船からは、一度に大声を出して何か叫んでいましたが、イワシはそれでも動きませんでした。
こういう時は漁師たちの間にも暗黙のルールがあり、イワシの群れが自分から動くまでじっと待たなければなりません。
東へ動けば李一たちの漁になり、南へずれていけば隣の村の利益になるのでした。
そしてこの大漁がうまく当たれば、一冬のあいだの生活を支える大きなお金が入るのです。
李一の父親は青白い顔をして、じっとイワシの群れを見つめていましたが、
「どうやら南の方へずれていくようだ。
群れが高く盛り上がっているのが南の方へ移動している。」
そう言ってすっかりがっかりした顔をしていました。隣の村の船は、そろそろ網を張るために、船と船の間隔を広げ始めていました。
実際、イワシの大群はまるで煮え立つように、南の方へ少しずつ動いていたのです。
李一は、自分の家の暮らしがとても貧しいこと、たった二十銭の麻糸すらない大切なくらしのことを考えると、今回のイワシ漁を逃してしまえばすぐに冬が来てしまい、今年は収入が全くなくなってしまうことを思い出し、どうにかしてイワシをこちらへ引き寄せる方法はないものかと考えました。しかしそんな人間の都合はお構いなしに、今度は猛烈な勢いで、イワシの大群はギラギラと泡立ちながら南へ、まるで鉛を流し込んだかのようにずんずんと動いていきました。
そのスピードは驚くほどの速さでした。
そのせいで海水が少しずつ動き、李一の船までが引っ張られてしまうほどでした。
隣の村の漁師たちの網はすっかり張られ、イワシたちはもう網の中へとどんどんすべり込んでいったのです。
李一が父親の顔を見ると、それはまるで死人のように真っ青に青ざめていました。
それもそのはずです、今回の漁の船を出すためにも、かなりの借金をしたのですから――。
イワシが隣の村の網にかかったその瞬間、不思議なことに、さっきから沖の方にいたカモメの大群が、一斉にそのイワシの群れへと襲いかかったのです。すると、イワシの群れがぐるっと一回転して渦を巻いたかと思うと、白波を立てて、今度は反対の東の方へと盛り上がるように流れ始めたのです。
そのスピードは、さきほどの二倍の速さでした。
李一たちの船は二手に分かれて、網の準備をしました。
父親はまっ青な顔をして、声を限りに叫び立てました。
「李一、船をできるだけ離すんだ!」
李一の船は大きく分かれて、イワシの後ろへとまわりました。
父親は正面から押し込んでいったのですが、沖のほうの開いたすき間から、イワシがまるで流れ出るように逃げていってしまうのでした。
「早く、早く!」
父親は叫んで、急いで網を引くように李一に怒鳴りましたが、李一は船を思い通りに動かすことができず、ただ焦るばかりでした。
せっかくの大群のイワシは、いまやその開いた沖のほうへとこぼれ落ちていくばかりだったのです。
「こうなってから、何をぐずついているんだ!」
父親はそう言いましたが、李一にはどうすることもできなかったのです。
そのうち、イワシは雪崩(なだれ)を打つように沖へと滑り出してしまいました。
その時、沖の方から何か真っ白なものの群れが押し寄せてきたのです。
それは、白い肌をした、美しい手足を持つ魚でした。
そのおかげで、雪崩を打っていたイワシは再びギラギラと泡立ち、戻り始めたのです。
「早く、早く!」
李一はその時、すっかり網をイワシの群れに巻きつけることに成功したのでした。
それと同時に、白い肌をした魚の群れは、沖の方へと帰っていきました。
李一はどこかで見たことのある魚だと思いましたが、よく分かりませんでした。
父親は、「あんな魚は初めて見た。一体なんていう魚なんだろう。あれが押し寄せてくれなければ、せっかくのイワシも捕まえられなかったぞ」
そう言って大漁を喜び、岸の方角へ向かって船を漕ぎ出したのでした。
これで今年の冬が越せる、と父親は心から安心したのでした。
李一はイワシを網から外しているとき、ふと、二匹の白い肌をした魚が網の目にかかっているのに気がつきました。
白い魚の方からも李一を見つめ返してきましたが、李一は涙を浮かべながら見つめ返すのでした。
いつか町から買ってきて海に逃がした魚だと気づいたのです。
李一は、この魚の群れが今日の漁を助けてくれたのだと思い、その二匹をそっと海の中へ放してやったのでした。
「さようなら、ありがとう!」
李一はそう言いながら手を振りましたが、二匹の白い魚もまた、泳ぎながら沖の方へと去っていきました。
「どうも、あの魚は不思議な魚だなあ」
父親はその後もずっとそう言い続けましたが、李一は黙ってその秘密を誰にも話さないでおいたのでした。
初級翻訳・不思議な魚 第2話
不思議な魚
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