初級翻訳・二十四の瞳 第36話

二十四の瞳

いっさいの人間らしさを犠牲にして人びたちは生き、そして死んでいった。
おどろきに見はった目はなかなかに閉じられず、閉じればまなじりを流れてやまぬ涙をかくして、何ものかに追いまわされているような毎日だった。
しかも人間はそのことにさえいつしかなれてしまって、立ちどまり、ふりかえることを忘れ、心の奥までざらざらに荒らされたのだ。
荒れまいとすれば、それは生きることをこばむことにもなった。
そのあわただしさは、戦いの終わった今日からまだ明日へもつづいていることを思わせた。
戦争はけっして終わったとは思えぬことが多かった。
原爆の残虐さが、そのことばとしての意味だけで伝えられてはいたが、まだほんとうの惨状を知らされていなかったあの年の八月十五日、ラジオの放送を聞くために学校へ召集された国民学校五年生の大吉は、敗戦の責任を小さなじぶんの肩にしょわされたように、しょげかえって、うつむきがちに帰ってきた。
あれからたった半年、今目の前に櫓をこぐ可憐な姿は、深い感慨をそそるものがある。
時代に順応する子どもというもの。
半年前の彼のことを、いえば今は恥ずかしがる大吉なのを知っている。
口には出さず、ひとり思いだすだけである。
あの日、しょげている大吉の心を引ったててやるように笑顔で肩をだいてやり、
「なにをしょげてるんだよ。
これからこそ子どもは子どもらしく勉強できるんじゃないか。
さ、ごはんにしよ」
 だが、いつもなら大さわぎの食事を見向きせずに大吉はいったのだ。
「お母さん、戦争、まけたんで。
ラジオ聞かなんだん?」
 彼は声まで悲壮にくもらしていった。
「聞いたよ。
でも、とにかく戦争がすんでよかったじゃないの」
「まけても」
「うん、まけても。
もうこれからは戦死する人はないもの。
生きてる人はもどってくる」
「一億|玉砕でなかった!」
「そう。
なかって、よかったな」
「お母さん、泣かんの、まけても?」
「うん」
「お母さんはうれしいん?」
 なじるようにいった。
「バカいわんと! 大吉はどうなんじゃい。
うちのお父さんは戦死したんじゃないか。
もうもどってこんのよ、大吉」
 そのはげしい声にとびあがり、はじめて気がついたように大吉はまともに母を見つめた。
しかし彼の心の目もそれでさめたわけではなかった。
彼としては、この一大事のときに、なおかつ、ごはんを食べようといった母をなじりたかったのだ。
平和の日を知らぬ大吉、生まれたその夜も防空演習でまっくらだったと聞いている。明かりを消す「燈火管制」のなかで育ち、空襲のサイレンの音を耳にしながら育ち、真夏であっても綿の入った防空頭巾を背負って学校に通っていた大吉には、どうして母親がそこまで戦争を憎むのか、まだ本当のところはよく分かっていなかった。
どこの家でも、誰かが戦争に行っていて、若い男という若い男はほとんどいない村の様子を、彼は当たり前のこととして受け入れていたのだ。
学生たちは軍に動員され、女性や子どもたちも労働奉仕に駆り出される。
どこの神社の境内も、落ち葉一枚残さずきれいに掃き清められていた。
大吉たちは、それが「国民の正しい生活」だと信じ込んでいた。
けれど、山へどんぐりを拾いに行ったり、まずい代用パンを食べてお腹を壊したりしたことだけは、どうしても嫌だった。
小さな大吉の村からも、何人もの少年たちが「少年航空兵」として旅立っていった。
――パイロットになれば、大好きな「ぜんざい」がお腹いっぱい食べられる。
かわいそうに、まだ年端もいかない子どもたちの心を、そんな「お腹いっぱいのぜんざい」というエサで釣り、あえて航空兵を志願するような貧しい家の少年もいたのだ。
しかも、そうやって志願すれば、少年たちは一躍「お国の英雄」扱いされた。
貧なかろうが、そうなかろうが、そういう時流の動きに賛同しない者は「非国民」とみなされる時代だった。親の承諾なしに学徒兵を志願し、しかもそれが一人息子だったりすれば、英雄としての価値はさらに跳ね上がった。
町の中学校では、たくさんの少年志願兵の中に、親に内緒で志願した一人息子が三人もあり、それが学校の誇りとして持て囃される一方で、親たちの心を凍りつかせていた。
その当時、まだ小さかった大吉は、自分の年齢が幼すぎることを悔しがるようにして、こう言ったものだった。
「ああ、早くぼくも中学生になりたいなぁ!」
そして、こんな歌を口ずさんだりしていた。
――七つ、ボタンは、桜にイカーリ……。
人の尊い命を桜の花になぞらえ、国のために散っていくことこそが若者たちの唯一の目的であり、最高の誉れなのだと教え込まれ、それを素直に信じ込まされていた子どもたちだった。
日本中の男の子たちを、少なくともその考え方に染め上げ、信じ込ませようとするような教育が行われていたのだ。
校庭の隅で本を読んで勉強しているはずの「二宮金次郎」の銅像までが、金属供出のせいでどこかへ連れ去られてしまっていた。
何百もの昔から、朝や夕方を知らせ、村の危機を告げてきたお寺の鐘さえも、鐘楼から下ろされて軍の武器へと変えられた。
大吉たちがやたらと悲壮な気分になり、自分の命を惜しまなくなっていったのも、ある意味では仕方のないことだったのかもしれない。
しかし、大吉の母だけは、一度たりともそんな時流に賛成したことはなかった。
「ねえ大吉、お母さんはやっぱり、あなたにはただの普通の人間になってほしいんだよ。
『名誉の戦死』なんて、どこの家だって一人いればもうお腹いっぱいじゃないか。
死んでしまったら、元の子も子もないんだからね。
お母さんがこんなに一生懸命育ててきたのに、大吉はそんなに戦死したいのかい?
お母さんが毎日、泣いてばかりの涙の人生を送ってもいいっていうの?」
母は、まるで熱を出した子供の顔に濡れた手ぬぐいをあてがうかのように、切々とそう言い聞かせた。しかし、当時の子どもたちが受けていた教育の熱は、そんな濡れ手ぬぐいごときでは冷ましようがなかった。
それどころか大吉は、まるで逆に母親を諭すかのように、こんな風に言い返したのだ。
「だったらお母さん、ぼくが死んだら『靖国の母』になれるじゃないか!」
当時の子どもたちは、それこそが天皇に対しては忠義であり、親に対しては最高の親孝行なのだと本気で信じ込んでいたのだ。
これでは、母子の話はまったく噛み合わなかった。
「ああ、神様……この上さらに、このお母さんを『靖国の母』にしたいっていうのかい?
『靖国』に祀られるのは、夫だけで十分すぎるほどじゃないか……!」
だが、そんな母に対して、大吉は心のどこかで密かに恥ずかしささえ感じていた。
軍国少年としての意地や面目があったのだ。
彼は、母親のそういう考え方や言動を、できるだけ周囲に隠そうとした。
大吉にとって、母親の言動はいつもどこか不満で、気に食わなかった。
ずっと前にも、こんなことがあった。
病気療養の休暇で家に帰っていた父親に、再び戦地への乗船命令が下ったときのことだ。大吉が誰よりも先にはしゃぎだし、並木たちと一緒に騒ぎ立てていると、母は眉間(みけん)にぐっとしわを寄せ、低い抑えた声でこう言ったのだ。
「いったいどういう子なのこの子は。

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