少しは人の気持ちも分からないなんて、馬かかしら……」
そう言って、大吉の額をツンと指先で強く押した。
その勢いでひょろひょろと倒れかかった大吉は、腹を立てて母につかみかかっていった。
しかし、母の目に大涙がぽろぽろとこぼれ落ちそうになっているのを見ると、さすがに気まずくなってシュンとしてしまった。
父親は笑いながら、そんな大吉をなぐさめた。
「いいんだよ、大吉。
まだ八つや九歳のお前たちまでが一緒になってめそめそしていたら、お父さんだって安心して出発できないじゃないか。
もっと騒げ騒げ!」
だが、そう父親に言われてしまうと、大吉はかえって気恥ずかしくてもう騒ぐことができなくなった。
すると父親は、三人の子どもたちをまとめてぎゅっと抱きしめ、こう言ったのだ。
「みんな、元気で大きくなれよ。
大吉も、並木も、八津も、しっかり大きくなって、おばあさんやお母さんを大切にしてあげるんだぞ。
それまでには、きっと戦争も終わるだろうからさ」
「えっ、戦争が終わるの?
どうして?」
「こんな、病気であちこち痛むような人間まで引っ張り出さなきゃならないようじゃな……」
だが、子どもである大吉たちには、その父親の言葉の意味を理解することはできなかった。
ただ、自分の家でも父親が戦争に行くということだけが、子供心になぜか「肩身が広い」と感じられたのだ。
家族みんなが揃っているという普通の家庭でさえ、子どもに「肩身のせまい思い」をさせてしまうほど、当時の家庭という家庭はすっかり歪められていたのである。
そして、父親の「戦死の公報」が家に届いたのは、サイパン島が陥落する少し前のことだった。
さすがの大吉も、その時ばかりは声をあげて泣いた。腕を胸のほうに曲げ、手首のあたりで涙を拭いている大吉の肩を、お母さんはしっかりと抱きよせるようにして、
「しっかりしようね大吉、ほんとにしっかりしてよ大吉」
と、自分自身にも言い聞かせるように語りかけ、そのあとで、小さな声で、お父さんがどれほど家にいたがっていたかを話して聞かせた。
「行ってしまったら最後、もう二度と帰れないって、お父さんはわかっていたんだよ。
それなのに大吉たちは、あんなにはしゃいで大騒ぎしただろう。
そう思うとかわいそうで、つらくて、お母さんは……」
しかし大吉はその時でさえ、どうしてお母さんはそんな弱音を吐くのだろうと思った。
お父さんは喜んで勇ましく出かけていったのだと言ってもらいたかった。
戦死してしまうのは悲しいけれど、そうだったとしても、お父さんがいない子どもなんて自分だけではないのだからと、大吉はその状況をごく当たり前のこととして受け止めていたのだ。
となり村のある家などでは、四人いた息子が四人とも戦死して、四つの「名誉のしるし」がその家の門にずらりと並んでいた。
大吉たちは、どんなにか尊敬の眼差しでそれを仰ぎ見たことだろう。
それはもはや一種の羨望の的でさえあったのだ。
その「戦死」の二文字が浮かび上がった細長く小さな門標は、やがて大吉の家へも届けられてきた。
小さな二本の釘といっしょに書類袋に入れてあるのを手のひらにあけ、しばらくじっと眺めていたお母さんは、それをそのまま袋に戻し、火鉢の引き出しへとしまった。
「こんなものを門に打ちつけたところで、何の魔女の呪い避けになるっていうんだい。
まったく、馬鹿馬鹿しい」
お母さんは怒ったような顔をして呟くと、しょきしょきと米を搗(つ)きはじめた。
当時の米はビール瓶の中で棒を使って搗くものだった。
病気で寝込んでいるおばあさんのおかゆを作るためであって、大吉たちの口には入らなかった。
防空演習の時に転んだことがきっかけですっかり寝たきりになってしまったおばあさんは、もうとうとう治る見込みもなく、ただ布団に横たわっているだけだった。
転んだのがもとで病気になったのではなく、もともと病気がちだったからこそ転んだのだろう、とお医者さんは言った。
八十歳を過ぎて、髪も髭もまっ白だったとなり村のお医者さんは、もう治る見込みのない病人のところへは、なかなか来てくれなかった。
ほかに頼めるお医者さんもなく、せめて身体にいい美味しいものでも食べさせてやりたいと思ったが、食料はなかなか手に入らなかった。
海辺の村に住んでいるというのに、魚さえ思うように手に入らなかったのだ。
「魚はありませんか」「卵はありませんか」と、たった一匹のメバルや、たった一つの卵のために、三度も五度も頭を下げなければ手に入らなかった。
そのために、お母さんはたった一人であちこちへと駆け回っていたのだった。
そしてある日、あの名誉の門標は、いつの間にか火鉢の引き出しの中から、玄関の鴨居(かもい)の正面へと移されていた。
お母さんの留子(とめこ)に言われて、大吉がそこに金槌で打ちつけたのである。
小さな「名誉の門標」は、しかるべき正しい位置でしっかりと光っていた。
門標の妻であるお母さんは、そこにしばし立ちどまってじっと眺めた。
たった一人の男の命と引き換えに手に入れた、あまりにも小さな「名誉」の板切れを。
その名誉の板は、どこの家の門口をも飾り立て、恥知らずにもどんどん増えていった。
それをもっともほしがっていたのは、はたしてあの幼い子どもたちだったのだろうか。
そうして、ついに日本中が迎えた八月十五日である。
濁流があらゆる田舎の隅々まで一気に押し寄せるような、激しい時代のうねりと混乱の中で、大吉たちの目がようやく覚めかけたとしても、どうしてそれを責めたり笑ったりすることができようか。
子どもたちには、笑われるような理由は毛ほどもなかったのだ。
戦争の残飯のようなものまで必死で漁る人があふれる中へ、生き残った兵士たちが毎日のようにもどってきた。
生き残ってはいても二度と戻れぬ兵士、永久に帰ることのない父親や、夫や、息子や、兄弟たちの、かつて掲げられていた「名誉の門標」は、家々の門から一斉に姿を消し、再び行方不明になってしまった。
まるで、そうやって隠せば戦争の責任からでも逃れられるかのように。
そんなふうに、どの家からも門標が消えていった同じ時期に、大吉は思いがけなくも、妹の八津(やつ)の突然の死を迎えなければならなかった。
おばあさんが亡くなってからちょうど一年目のことだった。
わずか一年そこそこの短い期間のうちに、家族のなかに三つもの死を迎えることになったのだった。
お父さんのように大海の泡(あわ)の中に消えて姿すら見えない死、おばあさんのように病み衰えて枯れ木のように倒れていった生涯、そして、昨日まであんなに元気だったのに一夜のうちに夢のように消えてしまった、あまりにも儚い八津の死。
その中でも、八津の死はみんなをもっとも悲しませた。
原因は急性腸カタルだった。
家族の者に内緒で、八津はまだ青い柿の実を食べてしまったのだった。
あと一月もすればちゃんと熟れるのに、まだ渋くはないだろうと思って、八津はそれを食べてしまったのだ。
ほかの子もいっしょに食べたのに、なぜか八津のだけが命を奪われてしまった。
戦争はすでに終わっているというのに、八津はやっぱり戦争に殺されたのだ――。
初級翻訳・二十四の瞳 第37話
二十四の瞳
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