お母さんの教え子の墓まいりなんだから。
いっしょに、きてもいいけど」
なんだか不服そうなおおよしを残して、二人は並んで歩きだした。
「まあ、ノッポになったことミサ子さん。
あんた一番ちっちゃかったでしょう」
「いいえ、コトやんです。
そのつぎがわたしでしたわ。
……先生、コトやんのお墓」
道ばたから二歩三歩はいったところに、そのことえのお墓はあった。
雨風にさらされ、黒くなった小さな板屋根の下には、やはり黒っぽく汚れた小さな位牌が一つ、まるで横になって寝ているように倒れていた。
生前のことえが使っていたのだろうか、浅い茶碗に茶色の水が半分ほど干からびていた。
それになみなみと水を注ぐその傍らで、大石先生は位牌をとって胸に抱いた。
これだけが、かつてのことえの存在を証明するものなのだ。
俗名ことえ 行年二十二歳 ああ、ここにこうして消えた命もある。
医者も薬も、肉親の看取りさえもすっかりあきらめきって、たったひとり物置の隅で、いつの間にか死んでいたということえ。
――もしもわたしが男の子だったら役にたつのにというて、お父さんがくやむんです。
わたしが男の子でなかったから、お母さんは苦労するん……
男に生まれなかったことをまるで自分や母親の責任であるかのように言った六年生のことえの顔が浮かんでくる。
希望どおり彼女が男に生まれていたとしても、今ごろは兵隊墓にいるかもしれないこの若い命を、遠慮もなく奪ったのはだれだ。
また涙である。
「去りなさい。
めずらしげに取り囲まんと」
そう言ったミサ子の叱り声で、子どもたちに見られていることに気がついた。
「ほんとに、いよいよ泣きみそ先生と、思うでしょう」
そう言って笑うと、ミサ子もいっしょに笑いながら、うながすように柄杓を差し出し、
「先生、さ、お水」
いつの間に供えたのか、摘み花のマユミの葉が茶碗に青く盛り上がっていた。
兵隊墓は丘のてっぺんにあった。
日清、日露、日華と順を追って古びた石碑に続いて、新しいのはほとんど白木のまま朽ちたり、倒れているものもあった。
その中で仁太や竹一や正のはまだ新しく並んでいた。
混乱した世相はここにもあらわれて、罪もなく若い生命をうばわれた彼らの墓前に、花を飾るさえ忘れていることがわかった。
花立ての椿はがらがらに枯れて午後の陽をうけている。
きちんと区画した墓地に、墓標だけが並んでいる新しい兵隊墓。
人々の暮らしはそこへ石の墓を作って、せめてものなぐさめとする力も今はなくなっていることを、墓地は語っていた。
それは大石先生の心にも響くことであった。
同じような夫の墓を思いながら、あちこちと春草の萌えだした中からタンポポやスミレを摘んで供えると、二人はだまって墓地を出た。
もう泣いてはいなかったが、後ろからぞろぞろついてくる子どもたちは、相変わらず呼びかけた。
「泣きみそ せんせえ」
すると、打てば響くように、大石先生は振り返りざま答えた。
「はァいィ」
おどろいたのはミサ子だけではなかった。
子どもたちのやんやと笑う声を背に、先生も笑いながら、まだ事情を知らないらしいミサ子に言った。
「どうも、へんなあだ名よ。
こんどは泣きみそ先生らしい」
若葉の匂うような五月はじめのある朝、大石先生は校門をくぐるなり、一年生の西村勝子が待ちかまえていたらしい姿に出会った。
「せんせ、ゆうびん」
ほこらしげに勝子は、一通の手紙をつきだした。
――たまの日曜日、先生も御用の多いこととおさっしいたしますが、どうぞどうぞお出かけくださいませ。
一度御相談してからと思っていますうちに、だんだん麦も色づきだしましたし、麦刈りが近づくにつれ、しだいにむつかしくなりそうでしたので、大いそぎ私たちでとりきめました。
この日ですと、たいていの顔がそろうはずですので、どうぞお出かけくださいますよう……
例の歓迎会の案内である。
ミサ子やマスノの名も書いてあったが、早苗の字なのは、はじめからわかっていた。
読みおわった先生は、勝子にむかって、
「お母さんに、先生が、ハイっていってたといってね。
わかった。
ただね、ハイっていえばいいの」
だが、ひとり自分の机の前に腰かけると、さて困った、とつぶやいた。というのは、ちょうどその日にあたるあさっての日曜日には、少し早いが八津の年忌をしようと、昨夜大吉たちと約束をしたばかりなのであった。
いなりずしでも作ろうというと、
「わあっ!」
と、並木はからだごと歓声をあげ、大吉は大吉で兄らしい思慮をめぐらしていたのである。
「お母さんお母さん。
八津の墓にもいなりずしもってってやろう。
ぼく、明日学校の帰りにK町のやみ市であぶらげ買ってきとく。
お母さんお母さん、あぶらげ何枚たのむん? お母さんお母さん、やみ市でも大豆持っていくん? 何合もっていくん? お母さんお母さん、ぼくたち、今日から瓶で米つこうか――」
こんなときやたらお母さんお母さんとかさねていうのが大吉のくせであった。
よほどうれしかったのだ。
それをのばすといったら、どんなにかがっかりするだろう。
年忌とはいっても、時節がら客をまねいたり、坊さんをよんだりするのではない。
いわば、いつも留守番をしたり、送り迎えをしてくれる二人の息子をなぐさめるための計画であり、久しぶりに月給をもらったひそかな心祝いでもあった。
それを八津に結びつけたのは、八津と同い年の一年生を見るにつけ、八津が思いだされたのでもあったし、ミサ子といっしょに仁太や竹一たちの墓へまいったりしたことからの思いつきでもあったろう。
その日先生は家へ帰ってから、二人の子どもの前で話しだした。
「なあ、君たち、こまったことができたんだけど、あさっての日曜日、お母さん用事ができたの。
八津の年忌、一週間のばそうよ」
「いやっ」
「いやだっ」
二人はま正面から反対した。
「そう。
こまったな。
お母さんの昔の教え子がね、歓迎会をしてくれるというのよ。
歓迎会って、よろこんでむかえてくれる会よ。
それをことわるわけには、いかんだろ」
「いやっ。
やくそくしたもん」
いつも留守番の時間の多い並木はひるまずそういったが、大吉はさすがにだましていた。
しかしその顔には、失望の色がはっきりあらわれていた。
「そうよ。
おまえたちと約束したから、お母さんこまったのよ。
いっしょに考えてよ、並木も大吉も。
お母さん、歓迎会にいかないで、家にいたほうがいい?」
そして、手紙をよんで聞かせた。
二人ともだまりこんで、顔を見あわしていたが、やがて並木は、ぶつぶつとつぶやいた。
「やくそくしたもん。
ぼくらのやくそくのほうが、さきだもん。
民主主義だもん」
民主主義に思わずふきだしたお母さんは、それと同時に一つの考えがうかんだ。
「じゃあね、これはどう。
八津の年忌はのばすのよ。
そして、あさっては本村へピクニックとしようや。
お母さんの会は水月楼よ。
ほら、香川マスノって生徒のやってる料理屋。
そこで、歓迎会がすむまで、おまえたち、本村の八幡さまや観音さんで遊ぶといい。
お弁当は、波止場ででも食べなさいよ。
そうだ、釣竿もってって波止場で釣りしたっておもしろいよ。
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