初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第5話

亡霊怪猫屋敷

「あなた! また、あのこわいお婆さんがやってきたのよ。
ゆうべの、あのお婆さんが……そして、五郎丸が、血を吐いて死んでいるのよ!」
「五郎丸がだって? ど、どこで死んでいるんだ?」
「裏の出口の下の……茶畑の中で……血まみれになって死んでるんです!」
看護婦が、あとから震えながらそう口を挟んだのでした。「……さっき、あのこわいお婆さんがきたとき、またゆうべのように、気がちがったかと思うほどほえてましたけど、それからおもとさんがご飯をやろうとして、いくらよんでもこないもんですから……さがしにいきましたら、茶畑のなかで……」
「ようし……いってみてこよう! 吉蔵、おまえすまんが、懐中電灯をもって、ついてきてくれないか!」
博士は庭をよこぎって、むかしの厩のくずれた小屋跡から、野草におおわれたほそい小道のうねうねとした石垣にそってすすみ、茶畑のなかへはいっていきました。
五郎丸の死骸は、その茶畑のなかほどの、お地蔵さまの立っているすぐ横手によこたわっているのです。
「うむ……ひどい死にかたをしている……」
さすがの博士も、その五郎丸の屍体を見ると、顔をそむけずにはいられませんでした。
「五郎丸! てめえのようなつよい悧巧な犬がよ……どうしてこんな殺されかたをしたんだ」
と、鍬をかついでついてきた吉蔵も、声をのんでしまいました。
よほどひどい格闘をしたのでしょうか? あたりは土や草がふみにじられて、五郎丸はむごたらしいすがたで死んでいるのです。
死因はふかい爪傷で、下腹部をひきさかれ、内臓までも露出しているのです。
五郎丸は、日本犬中でももっとも強いといわれる土佐の二歳の雄犬です。
めったおこらぬかわりに、いったんおこったがさいご、強盗の二人や三人は、わけなくかみふせてしまうほどの猛犬なのです。
その五郎丸に、これだけ爪をたてて殺してしまうあいてといえば、まずシシかトラかヒョウのような猛獣のほかはありません。
しかしそんな兇暴な猛獣が、こんなところにいるわけはないでしょう。
すると、いったいこれは、何者の仕業なのでしょうか?
じっと考えこんでいる博士のひとみに、闇のなかにもひときわしるく、わが家の山茶花屋敷とおぼしき家の棟が、ぬっとそばだって、何かあやしきものののろいか怨みでも、そのうえにかけられているような、不吉な感じがしてなりませんでした。
そしてそのとき、博士の困惑をいっそう増させようとしてか、頭上の雑木林の梢がザワザワと風にゆらめいて、てっぺんから、ホウ、ホウ! と陰気なフクロウのなき声がきこえてきました。

深夜の足音

「ふしぎだな! あの猛犬の五郎丸が、どうしてあんな殺されたかたをしたのだろう?」
とその夜博士は、とけない疑問に胸をつかれて、床についてからも、なかなか眠れませんでした。
やがて夜も一時、二時ごろ、ようやく一日の疲れがでたのでしょう、トロトロとしましたが、それもつかの間、だれかに烈しくゆすぶられて、博士はパッととびおきました。
手さぐりで、枕もとのスタンドへ手をのばそうとしたとたん、やわらかな手が、しっかりと博士の手をおさえました。
「つ、つけないで……あかりをつけてはいけません」
と、まっくらななかで、夫人の声が、博士にすがらんばかりに、おののいているのです。
「ど、どうした? なぜあかりをつけちゃいけないんだ?」
「あなた……さっきから、だれか、家のまわりを歩いているのよ……ほら! きこえるでしょう? あら、だんだんまたこっちのほうへくるわ……あなた、どうしたらいいでしょう?」
「なあに大丈夫だよ、近所の野良犬かもしれんよ!」
が、それは決して、犬の足音ではないのです。
耳をすませると、夫人のいうとおり、たしかに露にぬれた落葉をふんで、ザクリザクリと足音をしのばせて、家のまわりを歩いているではありませんか。
しかも、その足音がときどきとだえるのは、雨戸のふしあなから家のなかをのぞきこんでいるけはいです。
そればかりか、ときどき、雨戸に手をかけてみるらしく、ガタガタと風もないのに戸のきしむ音がして、……また、ザクリザクリとあつい落葉をふんで、歩きだしているようすが、ありありとうかがわれます。
「あなた……だれか、家をねらってるのよ……ど、どうしましょうか? 金ダライでもたたいて、さわぎましょうか? それとも吉蔵を起してくださる……?」
「ま、ちょっと待ってごらん! へたに騒ぎだすと、にげてしまうから、……うむ! たしかに人だ! ……」
博士は手ばやく帯をしめなおして、暗いなかにたちあがりました。
トロトロしていたので、たしかな時間はわかりませんが、おそらくは草木も眠るといわれる、丑満時だったでしょう。
この真夜中に、人の家の庭にしのびこんで、部屋のまわりをうろつくとは、もうふつうではありません。
遺恨のあるものか、強盗か、いずれはそんなたぐいだったでしょう。
さすがの博士も気味が悪くて、なんともいえぬ緊張をおぼえました。
「ようし! 頼子、おまえここにじっとしておいで、……ちょっといってみてくる」
「あぶないわ。あなた、やめてよ! 相手がどんな人間だか、わかりませんもの……それよりおねがいですから、早く吉蔵たちを起してちょうだいよ……」
「いいや、大丈夫だ。
どんな人間か、ちょっとみてくるだけだ。
そのようすでは、すぐみんなを起す……」
 すばやく寝室をでると、博士は、長い廊下のほうへはいかず、寝室をでたすぐ右側のかどにあるふだんはつかったこともない、しめきって、ふとい心張棒をかった、重い杉の板戸のまえに立ちました。
この板戸をあけると、そこが裏庭のまんなかで、表庭からきた池の水ぎわになっているのです。
むかし、御城代さまのころには、ここが非常のときのぬけ口になっていたのかもしれません。
その板戸をあける、博士ははだしのまま、しめった土の上へおり立ちました。
おりるとき、心張棒を木剣のかわりに、しっかりとにぎりしめていました。
まっくらな空……そして銀砂子をまいたように、無数の星がまたたいているあたりを見まわしながら、博士はすばやく、庭の人のせたけよりも高いつつじの根元に身をひそめました。
ここならば曲者の目にもふれず、まんいち曲者がちかよってきたら、星あかりにすかして、その正体が見やぶれると思ったからなのです。
……と、ふたたびザクリザクリと、落葉をふむ音が、しのびやかにきこえてきました。
「くるな!」
 博士が棒をにぎりなおして、息をのむまもなく、夜目にもしるく白いきものをきたものが、ソロリソロリとちかづいてくるのです。
暗くて、定かにはわかりませんが、どうやらときどきあゆみをとめて、雨によりそっているのは、どこかにしのびこむ隙がないかとさがしている模様です。
やがて曲者は、博士のしゃがんでいる池のむこうがわを、いま博士がでてきた非常口のほうへと、ちかづいていくようです。
必死にみはっている博士の目に……いいえ、目というよりも、その心の感じに、いま曲者が非常口の戸に、手をかけているようにみえました。
「しまった?」
 と、おもわず博士は胸をとどろかせました。

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