初級翻訳・亡霊怪猫屋敷 第31話

亡霊怪猫屋敷

腰をかがめたまま、二歩三歩とそのあたりを歩き回っているのです。
「おや、旦那さま!こりゃあおかしゅうございますぞ! 血がたれております! おやっ、ここにも血が流れているぞ。
ワァーッ! こりゃあ大変だ! お屋敷の方までずっと血が続いておりますぞ! いったい誰かが、この道を引きずられていったようなんですが……!」
「人を斬れば血が出るのはあたりまえじゃ! 血ぐらいでそんなに大騒ぎするなら、人間をやめてしまえ!」
大げさに騒ぎ立てるな、このバカ者め! と言わんばかりに、将監は不機嫌そうな仏頂面で吐き捨てましたが、その直後、再び、
「ワァーッ!」
と佐平治は震え声を張り上げました。
道端から何かをひろい上げたようです。
「だ……旦那さま! た、大変でございます! こ、これは新之丞(しんのじょう)さまのご印籠ではございませんでしょうか!」
「な、なに、新之丞の印籠だと? どれ、どれ、見せい!」
さすがの将監の声も上ずりました。
しかし、その瞬間、
「おっ、たしかに新之丞の印籠じゃ! 佐平治、もっと近くで灯りを見せい! おや、血がついとるぞ」
「旦那さま、旦那さま!」
今度は権六が大声をあげました。
「こ、ここに刀が落ちております!
これは若さまの脇差(わきざし)ではござりませぬか?」
「おっ、これも新之丞の脇差じゃ! あ、これは大変だ、血がついとる!」
それを聞いた瞬間、将監の顔色がサーッと変わりました。
「佐平治、仲八……あとにつづけ!」
将監の言葉の最後はわななき、その瞬間、将監は両方の刀をわしづかみにすると、自分の家に向かってまるで宙を飛ぶように駆け出していきました。
血はぽたぽたと途切れなく垂れ続けているのでしょうが、あたりは真っ暗な夜なので、もう何も見えません。
ごつごつした石段を一気に駆け上がり、いよいよ表玄関へ向かう砂利道に差し掛かった時、将監はベっとりとした何かに足をすべらせ、思わずもう一度足を止めました。
「佐平治、佐平治! あかりを照らせ! これは血ではないのか!」
「おう、旦那さま、大変な量の血でございます! おや、若さまの袴(はかま)の紐がここに切れて落ちております……!
これは旦那さま、ただごとではございませんぞ!」
佐平治が提灯の光のなかで震え声をあげたのも無理はありません。今、佐平治が指し示したその場所では、想像を絶するようなすさまじい戦いが繰り広げられたに違いなかったのです。そのあたり一面にはドロドロとした血たまりができていて、その中からさっき佐平治がひろいあげたのは、新之丞のはかまのひもだったのです。
しかも、すぐ目の前であるこの玄関の前で、これほどものすごい戦いがおこなわれていたとも知らないで、玄関の戸にはしっかりとカンヌキがかけられ、お屋敷の中はまるで寝静まったようにシーンと静まりかえり、物音ひとつ聞こえてきません。
「いったいどうなっているんだ! 旦那さまがお帰りだというのに、みんなはいったい何をしているんだ!」
さすがの佐平治も舌うちをしました。
「お藤どん、お里どん! おーいお藤どん、お里どん! おいお藤どん……お里どん……どうしたんだよ! みんな、何をしてるんだァ! おーい、旦那さまがお帰りだというのに、おーい!」
ドンドンと壊れてしまいそうなほど激しく戸をたたいた佐平治は、またもや何に驚いたのか?
「ヒャアッ!」とすごい悲鳴をあげて、その場でピョンと飛びあがりました。
ゆらゆらと提灯の火がゆらめいて、足もとをパッと照らした瞬間、
「わ、おうっ!」
ふ再び、ものすごい叫び声をあげました。
「だ……だ……旦那さま、若さまがここに倒れていらっしゃいます。
あ、いけません! こんなに血まみれになって……!」
「なにっ、新之丞が? は、早くしろ佐平治! あ、早く灯りを見せるんだ!」
地団駄(じだんだ)をふ踏んで怒っている将監に対し、返事どころか、またもや佐平治が絶叫をあげました。
「うおーっ……旦那さま……わ、若さまが曲者に食い殺されて……ウワーッ、お顔が半分ありません……!」
「な、な、何をやっておるのだ佐平治! 早く抱き起こさんか……し、新之丞! 新之丞! しっかりしろ!」
しかもこの時、仲八か権六かが、玄関の戸が開かないことにイライラして、裏口のほうへまわったのでしょう。
「だ、だ、旦那さま……台所の大戸に大きな穴が開けられておりますぞ……わあっ、曲者がお屋敷の中を荒らしまわっておりますぞォ!」
続いて、馬小屋にとびこんだ仲八の絶叫が響きました。
「旦那さま、女房が食い殺されておりますだァ!」
「早く手燭(てしょく)の火をつけい! 玄関の戸を蹴り破って、灯りをつけろ! なんということだ新之丞、武士の息子ともあろうものが、曲者ふぜいに負けるとは! これくらいの傷に……し、新之丞……新之丞……!」
真っ暗な玄関の闇の中で、我が子のものと思われる死骸を抱きしめながら、左近将監は地団駄を踏んで怒鳴りつけていました。そのうちに、やっと裏口から入りこんだ定吉や権六が、ろうそくの火を灯し変えたとみえて、雨戸のすき間からぼーっと光がさしてきました。
続いてガラガラと玄関の戸が両方に開き、パッと光がもれてきたその瞬間、左近将監がそこに見たものは——!
曲者は、食い殺した死骸をこの玄関へ立てかけておいたのでしょう。
玄関の敷台にもたれかかるようにして、大の字になって足をふんばっている新之丞の姿でした!
佐平治が言ったとおり、顔の半分は食いちぎられ、のどをえぐられ、それでもまだ気がすまないのか、右肩を食い破られ、左手首を食い切られ、全身が真っ赤な血に染まっていました。その残された顔半分の目で、無念そうに「クワーッ!」と大きく見開いたその姿は、あまりに残酷で、あまりに凄惨(せいさん)でした。さすがの左近将監も、思わず顔をそむけずにはいられませんでした。
しかも、顔をそむけた左近将監の前に、ころがるようにしてとびこんできたのは、いまお屋敷の中に灯りをつけ終えた権六でした。
「たいへんです、たいへんです、旦那さま、旦那さま!……お屋敷の中はまるで血の海でございます。
お藤どんもお里どんも、みんないなくなって食い殺されて……とても見ていられません!」
「なに、お藤もお里も食い殺されているだと? おのれ、ケダモノめ! よくもよくも、この左近将監の裏をかきやがって……!」
怒りのあまり、無我夢中でタタタタタと土足のまま踏みこんだ表書院……。
いつぞや小金吾を斬り殺したあの表座敷から、中廊下へと移ろうという敷居のきわには、おそらく手燭を持って歩いている後ろから飛びかかられたとみえて、血の海のなかに、肩を食い破られ、右腕を食い切られた奥女中のお藤が、伸ばした左手に火の消えた手燭をしっかりと握りしめたまま、うつぶせになって倒れていました。
「ウウム……!」
と歯をかみならしつつ、そのお藤の死体を横目に見ながら走りこんでいった、納戸と台所の脇——。
そこもまた血の海と化しており、真正面から飛びかかられたとみえて、顔の半分をガブリと食いちぎられ、目も鼻も口もなく、むき出しの残酷な白骨をさらしたお里が、のけぞったまま納戸の板戸にもたれかかっていました。

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