そんな中、六人がひょっこりと戻ってきたので、基地は大騒ぎになりました。
ところで、今回のドルニエ・ワール機による北極への挑戦について、アムンセン自身は「失敗だった」と謙虚に語っています。
しかし、隊員たちは氷の上で暮らした期間に、海流や天気、氷の動きなどをじっくりと観察し、氷原の状態を詳しく調査するなど、多くの発見をしました。
そして、この経験をもとに、アムンセンは次の北極探検に向けて、より慎重な計画を立て始めたのです。
三 飛行船での再挑戦
犬とソリによる極地の探検は、もう昔のやり方であり、これからは飛行機を使って探検すべきだ、というのが多くの探検家の意見でした。特に、前回のヨーロッパでの大きな戦争の影響を受けて、飛行機の性能が飛躍的に進歩したため、この意見はますます有力なものとなりました。
アムンセンも以前から同じ考えを持っていましたが、実際に北極探検飛行をしてみて、氷原の上で数週間生活した経験から、新しい考えを抱くようになりました。
北極海の氷原はでこぼこがひどく、その割れ目の水面も狭いため、飛行機を安全に着陸させられる場所がありません。そこで今度は、飛行機をあきらめて、飛行船を使ってみようと考えたのです。
そして彼は、世界各国にあるさまざまな飛行船について、その作りや性能を調べ始めました。
当時、イタリアの空軍は「N1号」という飛行船を持っていました。
千九百二十四年に作られたもので、長さは百十メートル、二百五十馬力のエンジンが三つついています。
アムンセンはこれを使わせてもらおうと考え、イタリア政府にかけあってみました。
そして、N1号の設計者であるイタリア空軍のノビレ大佐と直接会うことになり、話はうまくまとまりました。ただ北極を探検するだけでなく、さらにその先の北極点を超えてアラスカまで飛んでみようということになったのです。
こうしてこの飛行は、ノルウェー、アメリカ、イタリアの三つの国が協力して行うことになり、それぞれの国からの公的な資金や寄付金がその費用にあてられました。
この大探検隊の隊長にはアムンセンが就任し、以前一緒に北極飛行に挑んだエルズワースがアメリカ側を代表して副隊長に、飛行船の設計者であるノビレ大佐がイタリア側を代表して機関長となりました。
そして、その飛行船は「ノルゲ号」と名付けられました。
ノルゲ号は、ローマでさまざまな改造を加えられました。
極地を飛ぶという目的のために、主に次の四つの点が考えられました。
一つ目は、不必要な重さを減らして、長く飛び続けられるようにすること。
二つ目は、極寒の気温にも耐えられるようにすること。
三つ目は、ガスの入る風船部分などをより強くすること。
四つ目は、自分たちの力だけで着陸できるようにすることです。
それらの改造が終わると、ノルゲ号はローマからスピッツベルゲンのキングス・ベイまで飛び、千九百二十六年五月七日に到着しました。
乗組員たちも、すでにその地に集合していました。
このとき、キングス・ベイにはアメリカのバード少佐が北極飛行の準備をしており、五月九日に、その飛行機で見事に北極までの往復飛行を成し遂げました。
この成功を見て、ノルゲ号のメンバーたちは「幸先がいい!」と喜びました。
さて、ノルゲ号に乗り込むのは、前述の隊長アムンセン、副隊長エルズワース、機関長ノビレのほか、操縦士四人、機関士五人、無電技師二人、助手一人、新聞記者一人、気象担当一人という、合計十七名の一行です。
国籍でいうと、ノルウェー人が七名、イタリア人が六名、アメリカ人が三名、スウェーデン人が一名です。
それに加えて、ノビレの愛犬が一匹乗り込みます。
これらの隊員以外にも多くの人々がやってきて、出発の準備を整えました。
スピッツベルゲンは、まだ一面の雪と氷に覆われていました。
激しい風が吹き荒れ、気温は氷点下十度まで下がることもあり、大小さまざまな氷の塊がキングス・ベイの湾内に流れ込んできていました。
そんな中でも、技師や職人たちは一生懸命に働き、格納庫につながれているノルゲ号に最後の手入れを施しました。
故障していたエンジンも修理されました。
燃料タンクは三十二個にまで増やされ、六千から七千キロメートルは飛べるようになりました。
荷物もすべて積み込まれました。
主なものは食料品、枕、スキー、銃、ボートなどで、食料品にはチョコレート、果物、ビスケット、ドライミルク、その他の菓子などがあり、一人一日五百グラムを食べたとしても、二ヶ月間は十分にもつ量がありました。
そして船体には、ノルウェーとアメリカとイタリア、三国の国旗がひらめいていました。
五月十日には出発の準備がすべて整いました。
アムンセンの慎重な計画のおかげで、何一つ手落ちの点はありませんでした。
その晩、隊員たちはそれぞれ故郷の家族や友人に、勇ましい門出を記念する手紙を書きました。
北極の空を突き抜け、その大自然の神秘を探しに行こうとする前夜のことです。
翌朝、一行は一つのテーブルを囲んで、朝食をしっかりと食べました。
この食事が、もしかすると地上で食べる最後になるかもしれないと思うと、やはり心の中に不思議な緊張感がこみ上げてきました。
しかし、飛行服に着替えると、自信と勇気だけがわいてきました。
やがて、ノルゲ号が格納庫から引き出されました。
飛行の門出を祝ってくれる多くの人々としっかりと握手を交わし、一同は乗り込みました。
空は青く冷たく晴れ渡り、朝日の光が一面の白雪を照らしています。
風は東南東からのそよ風です。
「引き綱を放て!」
アムンセンの命令が下りました。
そして今、千九百二十六年五月十一日午前八時五十分、ノルゲ号は静かに空へと昇っていきました。四 極地の国旗
このノルゲ号の飛行について、アムンセン自身が日本の新聞に長い記事を寄せています。その記事のなかから、主なところをまとめ、文章を少しやさしくして、実際の様子を伝えることにしましょう。
「さらば、文明よ。しばしの別れ。我らはいま北極を目指して、雄々しい旅にのぼるのだ……。」
隊員たちはみな、この詩のような気持ちを味わいました。地上の人々の姿は見えなくなり、キングス・ベイの町も、白く輝く平野の中の一点にすぎなくなります。氷のように冷たい大空の静けさを破って、ノルゲ号の二つのエンジンが爆音をたて始めました。
「いよいよ北極横断の壮大な計画が始まったのだ。」
思わずそう叫んだ私たちの心には、もう不安の影さえもありませんでした。一同は、はるか下の方に見えるキングス・ベイの真っ白な荒野を振り返って、勇者の心意気を深い呼吸とともに飲み込みました。
私たちは進路をミトラ岬の方へとり、スピッツベルゲンの西海岸に沿って進みました。青空にかかっているごく薄い雲を通してくる日光が、峰に白雪をいただいた山々を輝かせる様子は、実に美しく、また雄大でした。
アムステルダム島を通り過ぎてからは、太陽コンパスを使った観測によって、まっすぐ北極へと向かいました。乗組員はそれぞれ自分の仕事に取りかかっています。大部分の者は小さな船室に入ることになっていたのですが、部屋があまりに狭いため、その中で仕事が満足にできるかどうか心配でした。
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