初級翻訳・卵塔場の天女 第22話

卵塔場の天女

さすがは由緒ある流儀の御威光ってやつだな」

「そういえば、何がそんなに悔しくって、あのきれいな花瓶を打ち砕いたりなんかにしたんですか?」

「もう見てきたのかい、仕事が早いなあ、まるで天眼通(すべてを見通す目)みたいだ。
……あれはね、何、最初から買い取る時からぶち壊すつもりだったんだよ。
あの花瓶の絵に、秋の草花と一緒に、おいしそうな食べ物が並ぶ夜店の絵が描いてあるのを見て、ついフラフラと欲しくなってしまったんだ。
――川通りの夏の夜店へ遊びにいっては、お店を1軒ずつ指をくわえて、『あれが欲しい、これが欲しい』って、まるで飢えた鬼(餓鬼)みたいにさ。
でも、お金がなくて買えないだろう。
あの出来立てホヤホヤの粟餅(あわもち)だとか、白玉焼きのアンコがはみ出しているところだとか、今思い出してもヨダレが垂れてきそうだ。
昔なんて、お店の小僧さんに『突っ立って見てたって腹の足しにはならないんだよ!』って追い払われたことさえあるんだからな。
あのときの悔しさと、自分のなさけないセコい根性を、まとめて一気に叩き壊してやったのさ。
――昔、一度だけ姉さんと一緒に歩いたとき、何か買って食べさせてやりたいと思ったことがあったっけ。
そのとき、私には一銭のお金があったんだ……。
……ざまあみろ、あの店も今じゃすっかり潰れちゃったけれど、大橋のあの柳の木の脇に、昔は水菓子屋さんがあってね、茹でたエンドウ豆を売っていたんだ」

「ええ、覚えていますよ」

「袋で持っていると、プンと変な匂いがしたっけ。
『蒸し臭いなあ』って言ったら、『よく洗ってから食え』なんて言われてさ。
それがなんだか猛烈にシャクに障って、目の前で豆を地面にぶちまけてやったんだ。
そしたらお前さん、豆を食べたときよりもよっぽどスカッとして嬉しいって言ったっけな」

「ええ、よく覚えていますとも」

「場所が場所だし、あのときの積もり積もった恨みを晴らすために、あの花瓶を一気にぶちまけてやったのさ」

「その通りですよ。
何だって自分の思うようにすればいいんです」

「ありがたい、うむ、そうだなあ、これで分別もつけばお酒の燗もつきそうだが、お墓の前で、しかもこれじゃあ『火燗(ひかん)』だな。
徳利をそのまま灰に突っ込むなんて、まさに三昧燗(ざんまいかん=お墓でやるお燗)だなあ。
この骨壺に入ったお酒の味はどうだろう、まだ全然温まっていないけれど……ああ、うまい」

「あまり強く焚き木を燃やすと、灰が飛び散って中に入っちゃうわよ」

「お前さんは本当に心配性だなあ、お悦さんは。
こんな状況で、灰が飛び込むくらいなんだっていうんだ。
でも、その優しい気持ちはありがたく頂戴しておこう、女の人は本当に優しいな」

お悦は自分の扇子を開いて、骨壺の蓋代わりにパッと被せました。
紺青色の扇面に、きらきらと金色が散りばめられた、苔むした地面の上の火影が揺れる舞扇……。
その極彩色の幻は、あの砕けた花瓶よりもずっと美しく見えました。
内緒でくすぶっていた焚き火の煙は、骨壺の下のほうから左右へと這うように広がり、おそらく硫黄の匂いも混ざっていたのでしょう。
青く底のほうをくぐり抜け、ちらちらと女性の着物の裾をなぶり、赤く立ち上っては、男の黒い小袖の膝を優しく包み込みました。
「ふーっ、いいお酒だね」これで生きていくのも、また一つの人生だ。
車力(荷車を引く仕事)にはなれないし、クズ拾いもできない。――姉さん、死人を焼く火葬場の仕事なら、空き口はあるまいか。ご遺体を火で荼毘に付す仕事さ。
」
「ありますよ。
」
「…………?」
「市営なんてお洒落で贅沢なところは無理だけどね。村のほうへ行くと、谷内(やつ)という場所にある尼寺の尼僧さんと懇意なんだよね。
その谷戸の野墓地での火葬場なら、今からでも世話になれるよ。
――あそこの小屋には爺さんが一人でいるだけだしさ。
兄さんが火箸を差し入れて、私が火吹竹(ひふきだけ)を吹けばいい。
……二人一緒に息を吹きだって、構やしないさ。
」
 そう言いながらふと横を見ると、お悦の美しい髪のほつれが木の葉の上にこぼれ落ち、頬を地面のほうにすり寄せながら、骨壺の下の火を懸命に吹き鳴らしていた。
だが、いつの間にかくるりと裾をまくし上げた長襦袢の裾が、土の上にしずみ、パチパチとはぜる焚き火の炎と一緒にすっかり乱れていた。
(※註。
二人で仲良く火を吹くのは火葬場の仕事をする者の姿であるという俗信がある。
)
「ちっとも構やしないさ、どうせ火葬場なんだからね。
……寝酒くらいなら、いつでも好きなだけ飲ませてあげるよ。
」
「面白い。
いや、こっちは本気だぞ。
――俺なんて、天人になりきるにはまだまだ修行が足りないらしい。
地獄、餓鬼、畜生、三途の川がお似合いだ。
手っ取り早く言うとだな、舞台の上で伯竜の手からあの羽衣を返されたとき、まるで博覧会で売っている美味しい饅頭のような、現実的な欲の香りがしたんだ……地獄だ、餓鬼だ、畜生だ、お悦さん。
」
「ええ、そうよ。もっともっと強くなって、他の誰かが羽衣を奪おうとしたら、今度はめそめそ泣いたりしないで、思いっきり引っぱたかなくっちゃね……」
「俺たちはすっかり、雌雄一対の鬼だな……いいかい?」
「大好きよ、そんなの」
「家はどうする?」
「余計な親戚や血縁なんて、ハサミでチョキっと切り捨ててやるわ」
「世間は?」
「あんな青めりんすの着物なんて、めちゃくちゃに叩き潰してやるのよ」
「――姉さん、その尼さんは本当に顔が広いのか?」
「あの小屋の爺さんとも大の仲良しよ」
「それじゃあ、行こうか」
「行きましょう」
「槙村(まきむら)の奴に気づかれないうちに――なにしろ、今すぐ行くあてなんて、――どこにもないんだからさ」
「あれっ」
「ん?」
「来た、来た、来た、また来たわ! うっとうしい、しつこいってば、まったく、この福助め!」
 お悦が、まるで絡みつくような藪の中を、白い脛をあらわにして裾を激しく払いながら立ち上がり、すがってきたその勢いで、――パッと、彼女の持っていた舞扇に焚き火の炎が燃え移った。すると、真っ暗な裏山からサーッと冷たい木の葉おろしが吹きつけるのと同時に、火をまとったまま、まるで鳥が羽ばたくように扇子が宙へと飛び立った。
「わああっ、火事だわ!」
「飛べ、獅子よ!」
 その掛け声とともに、さすがの鮮やかな身のこなしが見えた。八郎の手は舞扇のあとを追うように動き、地面から六尺(約1.8メートル)ほども身体がふわりと浮き上がったかと思うと、なんとそのまま空中でピタリと静止したのだ。
墓石の台の上に高く堂々と立ち、端然と胸を張っているのだった。
舞扇は激しい炎を全身にまとい、ちょうど真ん中だけが金色に輝く銀杏(いちょう)の葉のように、小さく燃え残っていた。
墓所の広がる真っ暗な夜の闇の中――
「お悦さん……」
「…………」
「……今度は、この本当の『火の羽衣』をまとって踊ろうじゃないか。

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