初級翻訳・吹雪物語 第5話

吹雪物語

まずそのほかに頼れるものはないではないか。すべてはそれから後のことだ、と。

そんなある日のことだった。二人は横浜の海岸通りを歩いていた。
「死んでしまう」と女が言った。
「いま。一緒に死んでくれなんて、今更いやがらせみたいなことは言わないわ。あなたは幸福に生きなさい。そうなのね。ああ、たまらない未練だわ。ひと思いに。急がずにいられない。未練に殺されてしまうのだもの」

海の方へ振り向いた女の肩を、彼は無心に押さえていた。女はその手を振り切って、彼を睨んだ。怒りのために、牙をむいているように見えた。
「死んでしまえばいいと思っているくせに。関わり合いになるのが恐ろしいのでしょう」
女は泣いた。
「蛇のような手。卑怯な心。誠実は、微塵もないのね」

冷酷という誠実が分からなければ、もう仕方がないだろう。卓一は黙って静かに振り返っていた。すでに彼は歩き出していた。後ろに水音が聞こえるがいい。振り返りもしないだろう。言い訳もしない。俺もとにかく、俺の誠実をやり抜くほかに仕方がないのだ。

女は彼に飛びついていた。彼の胸に顔を押し当てて、泣き濡れた。
「行っちゃ、いや。お願いだから。最後の……。可愛がってくれなくともいいの。どんなに冷たくても、好きなのだわ。もう一生、離さない……」
「昔から、芝居や小説にあることだ。とうに終わっていなければならないことだと思わないかね。同じ悲劇を再び繰り返す愚を、したくないのだ。すでに喜劇の領分だから」
卓一は、もしできるなら、慟哭したくなるのだった。どうして人は、これほどまでに愚かでなければならないのだろう。
自分が何を欲しているのかも分からず、たとえ分かったとしても、それを手に入れることさえできない。
この愚かさゆえに耐えがたい思いを抱え、切なさに胸を締め付けられていたのだ。
目を閉じ、耳をふさいでしまえば、それで事足りてしまうことも、なんだか惨めな気がする。
ただそれだけで心が安らかでいられるということが、かえって切ないのだ。
そこはあまりにも生きやすい場所だ。
だからこそ、まるで死んでいるのと同じだった。
逃げるように女と別れてしまったのは、それから間もないことだった。
この憂鬱を繰り返すこと、そのことほど願わないことはなかった。

新潟港にも四、五千トンの貨物船が埠頭へ横付けされるようになり、赤毛で青い目をした船乗りたちが、この街の暗さを不思議そうに眺めながら古町通りを歩いていたりする。
二人は、古町にある明るい店でひと休みすることにした。
卓一は、明るい店内へ入ることを、少し怖れていたほどだった。
なぜなら、女の足取りや笑顔はかなり活発に見えたものの、その裏で明らかに、かすかな当惑に悩み始めていることが分かっていたからだ。
せっかく咲き始めた夢が、もう早くも萎れようとしている。
そして、そんな明るい店内では、まるで夢がすぐに醒めてしまうような気がしたからだ。

「私、ユーランバに住んでいた嘉村由子という者ですの。あなたが中学校の一、二年生のころ、私まだ小学校の三年生か四年生くらいでしたもの。お忘れでしょうね」
ユーランバ。
それは懐かしい場所だった。
卓一の少年時代が、すべてそこに包まれていた。
嘉村由子。
卓一は思い出した。
記憶の中の彼女は、十歳前後の少女だった。
ユーランバ。
どんな漢字を当てるのだろう。
卓一は、それを知らないまま過ごしてきた。
新潟には、これと似たような曖昧な地名が、他にも二、三あるようだ。
「ダッポン小路」というのがある。
卓一は、少年の頃、その名前の由来をあれこれ空想していた。
昔このあたりに盗賊でも住んでいたのだろう。役人に追われてこの小路を逃げ出したから「脱奔(だっぽん)小路」と呼ぶようになったのだろう、と。
しかし、一般的な言い伝えでは、この小路に沿って流れる堀があり、舟が通るたびに水音が「ダッポン、ダッポン」と聞こえるからだという。
そこから名付けられたらしい。
「ダッポン」という擬音語は、新潟市民の忘れられない、親しみのこもった方言だった。
恐らく、最も素朴な泳ぎ方のひとつだろう。
手で水をかき、足はむやみに水面を上下に打つ。前に進むためというよりは、ただ水を跳ね上げるだけの原始的な泳ぎだ。
新潟では、その水音から「ダッポンコ」と呼んでいる。
もともと、擬音語の豊かな土地だった。

ユーランバは、「遊覧場」と書くのかもしれない。
しかし、卓一が知る頃のその場所は、戸数十四、五戸の極めて小さな住宅地だった。
その南方は異人池。
東は天主教会堂。
北はキナレ亭という廃屋の崖に閉ざされ、西は海へ出るポプラの茂った砂丘だった。
そういえば、異人池もポプラの茂みを映すためにあるような池だったし、天主教会堂もポプラの林の中にあった。
そしてキナレ亭の廃屋も、一面のポプラと雑草の中に隠れていたことが忘れられない。
ユーランバは、ポプラに囲まれた千坪ほどの、極めて小さな住宅地だった。
昔はこのあたり一帯が異人池のほとりの草原で、自然の公園のような姿をしており、市民たちの遊覧場だったのかもしれない。
異人池は、卓一の子供の頃の最も親しい遊び場だった。
卓一は、この一角の砂丘の上に生まれたのである。

「新潟にいらっしゃることを、野々宮さんから伺って知っておりましたの。田巻さん(左門)とご一緒でしたから、分かったのですわ」
(卓一の訝しげな表情に答えて、彼女は言葉を続けた)
「私の住居は、野々宮さんの隣りです。それに、私のお友達は、野々宮さんの愛人なんです」
あの深刻な恋愛の片割れが、彼女の友達だというのだった。

その頃、新潟に「候鳥(こうちょう)」というクラブがあった。
もともとこの市の最高学府は新潟医科大学だった。
したがって、そこの教授たちは、この土地で最も高い知識人と見なされていた。
彼らの生活は、雪国の因循な市民たちを驚かせるのに十分な異国情緒と華やかさがあり、異常な質素さと忍耐ばかりに慣れてきた陰鬱な市民たちには、すぐに別種の優秀な人種を感じさせるほどだった。
候鳥クラブの前身は、こうした教授たちやその夫人、あるいは金回りのいい開業医たちの間で結成された小さな登山クラブだった。
その名称も、「ワンダーフォーゲル」から来たものらしい。
当時『越後新報』の編集長だった野々宮が、彼らの一人に旅行記の執筆を依頼したことから交流が始まり、野々宮もその会員の一人となった。
野々宮は、自惚れや感傷に汚されない叡智と眼の持ち主だった。
汚れを知らない彼の眼が、彼自身を傷つける刃物でもあった。
そして、彼の才能を萎縮させてしまうのだ。
こうした悲劇は、世の中にかなりたくさん見受けられるものだ。
こうして、詩人の魂を持ったひとりのディレッタント(趣味人)が出来上がるのである。野々宮は、旅をすることが好きでした。しかし、彼の旅には精神の放浪ともいえるような、暗く深い孤独がつきまとっていました。一生を旅の切なさに捧げてしまったかのような、そんな弱々しさが彼にはあったのです。おそらく、体の弱さも関係していたのでしょう。

彼は岩山を好まず、高い山にもそれほど興味を持ちませんでした。峠や高原、沼地や渓谷、そして道そのものを愛しました。

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