情熱で人を魅惑する一面と、理性の冷たさで絶望を突きつける一面。その二つが日常的に交錯するだけで、すでに一種の毒のような作用があるのです。
彼女はどんな現実に対しても、いつも同じような反逆と復讐を企んでいるような雰囲気を漂わせていました。
ましてや、抑制の裏側に隠された奔放で野心的な、秘密と悪徳を愛する異様な情熱。それは、時折ちらりと無言の炎を見せる休火山のようで、どんな現実でも癒やすことのできない、妖しい毒を宿した血の温床を思わせるのです。
一見、とても家庭向きに見える毒蛾。
一見、ひどく主婦向きにできた女性でありながら、どこかスパイのような陰の深い秘密の匂いがする。
雪空の下で育った女性たちは、多かれ少なかれ、このような傾向をまとっているのかもしれません。
卓一が初めて澄江を知った四年前、それは東京でのことですが、当時澄江には別の恋人がいました。
澄江はその男と別れることを焦っていましたが、「もし自分に捨てられたら、あの人は自殺してしまうかもしれない」と言い、哀れみの心から別れられずにいたのです。
卓一との愛情が始まった後も、その状態は続いていました。
「そういう憐れみには、美徳なんてこれっぽっちもないよ。それはむしろ、ひどい悪徳だと思う。問題はもっと本質的なことだからね。憐れみで愛をかけるなんておこがましいけれど、もっと問題なのは、突き詰めれば君は男を憐れんでいるのではなく、自分だけがいい人になろうとしているだけだということだ。それは卑劣な心のカラクリだよ。むしろ冷酷に男を捨ててしまうことの方が、僕は立派な態度だと思う」
当時の卓一は、澄江に対して強い言葉を言えるような立場ではありませんでした。
正当な主張でさえ、少し過激なものは控えていたほどです。
当時の彼の言葉の中で最も激しいものといえば、この時の言葉くらいで、他にはほとんど激しい言葉など思い出せないほどでした。
「だって、私の愛情をただ一つの生きがいにしているのよ。それは結局、自分がいい人になりたいだけなのかもしれないけれど、でも私、かわいそうで言えないわ。あなたのことを知ったら、あの人は死んでしまうもの。あの人にだけは、私たちが付き合っていることを知られたくないの」
澄江の悩みは真剣でした。
だからこそ、卓一は胸を打たれたのです。
この女には、普通とは違う、弱く優しい心があるのかもしれない。
自分だけがいい人に見られたいというような狡猾な憐れみとは違って、本当に男の悲しみを心の底から憐れんでいるように見えたのです。
それほどまでに澄江の悩みは真剣で、顔色は血の気が失せ、切なげでした。
卓一は、それ以上追求することができませんでした。
「これだけは許して。あなたへの私の愛情は純粋で、何のこだわりもないの。私の愛情、わかってくださるでしょう」
澄江はそう言って懇願したのです。
卓一もまた、澄江のその純粋な愛情だけは理解していたのでした。けれど、次第に澄江から心が離れていってしまった理由の一つには、結局そのこともあったらしい。
時折、澄江がひどく不潔なもののように見えてしまうことがあったのだ。
澄江と親しくなるのと全く同時に、卓一は澄江の恋人の存在を知っていた。
二人の愛が始まるよりも前から、卓一は彼女に愛人がいることを知っていたのである。
だから、澄江も隠し通すことはできなかった。
もしも卓一がそのことを知らなかったら、澄江は永遠にその愛人の存在を隠し続けたことだろう。
そして卓一の愛人になりながら、同時にその男に対しても「変わらぬ女神」であり続けようとしたに違いない。
卓一は後になって、そんなふうに思ったものである。
一般的に、犯罪を犯す女性は自分の情熱に負けがちだと言われる。
カッとなって人を殺してしまうような情熱はあっても、その犯行のあとを隠し通すだけの持続力や、冷静に状況を切り分ける力には欠けていて、頭隠して尻隠さずというような失敗をしがちだというのだ。
恋愛の場合にしても、一途な情熱に負けてしまい、「あとは野となれ山となれ」とばかりに新しい愛人の胸に飛び込んでいくものの、古い男を捨てることに対しては、かえって冷酷になりきれない。
いわば澄江は、「女らしい」女ではなかった。
すでに捨てたはずの男に対しても、執拗に「女神」であり続けようとするのである。
そして、あくまでもすべてのつじつまを合わせようと苦心する。
合理的で常識的で、結局その女性としての生活態度は、まるで家庭的な良妻賢母であるかのような外見を装ってしまうのだ。
いわば、聖母のような理想を持ちながら、宿命的に悪徳や姦淫を約束されているような女だと、卓一は思っていた。
四年の月日が流れるうちに、卓一はそんな刻印を澄江のイメージに押していたのである。
――むしろ君は、家庭的な毒蛾だな。
卓一は、しかしそう口に出して言えないこともなかった。
そこには、少しも侮辱するような意味はなかったのだから。
彼女の毒を憎んでいるわけでもなかった。
その毒は、いわゆる世間で忌み嫌われるような毒とは違う。
もっと悲痛で、寂しいものなのだ。
いわば一生の間、どんなに栄光を手にしようと、どんなに富貴に恵まれようと、常に満たされることのない、魔に取り憑かれた夢想家が抱く「夢の悲しさ」からくる毒なのである。
青ざめた魔の皮肉な苦笑に取り憑かれた、貪欲で、それでいて悲痛な夢の数々を見ればいい。
その夢は、それを持つ人自身に、宿命的な孤独を約束させる。
宿命の孤独児は、富貴の中に住み、栄光の中に身を置いていても、常にその現実から裏切られ続けているだけなのだ。
彼らの思いは夢の中をさまよい、そして彼らの現実は常に孤独そのものだった。
夢がたまたま実際の事実として目の前に現れても、それが現実化したときには、すでに夢としての魅力は失われ、結局は現実そのものに裏切られずにはいられないのである。
そして宿命の孤独者たちは、その満たされることのない貪欲な夢の数々のために、どれほど人々を傷つけたとしても、現実の裏切りによって彼ら自身が受けなければならない「宿命の傷」の痛みに比べれば、比較にもならないものかもしれない。
いわば澄江も、ひとりの宿命的な孤独人だと卓一は思った。
卓一が澄江に心を惹かれたのも、孤独という宿命が持つ傷ましさに惹かれたからかもしれない。
そして、澄江が卓一に心を惹かれた最大の魅力も、また同じく孤独児が抱える宿命の傷ましさだったのかもしれないのだ。
卓一もまた、魔に取り憑かれた夢想家の一人であった。
それにしても――と、それでも卓一は考えずにはいられなかった。
「毒蛾の魅力を愛すること」と、「実際に毒蛾の毒に傷つくこと」とは、話がだいぶ違うようだ、と。
毒蛾を愛する精神は、低俗な日常を離れたところにある、かなり高度なものであった。
しかし、日常の平々凡々な精神は、常にそんなふうに高度ではありえないのだ。
そして、日常的で低俗な精神では、毒蛾の毒に傷つくことを楽しむ余裕なんてないだろう。
「私ね。新京へ行って、そこで役人をやっている方と結婚しようと思うのよ。そして気楽に暮らそうと思うの。あなたと結婚すると、とても気楽にはなれないわ。あんまり切迫しすぎるもの。
初級翻訳・吹雪物語 第57話
吹雪物語
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