初級翻訳・塩原多助一代記 第1話

塩原多助一代記

【序詞】

「炭売りの妻は、その顔が黒いからこそ似合っている」――そんな有名な狂歌がありますね。
もちろん、私がこれから書く物語は、そんな素晴らしい秀句(すぐれた詩)ではありません。けれど、黒い着物に鉢巻きを締めた、あの歌舞伎のキャラクター・助六のせりふのように、遠くは八王子の炭焼きから、歯の抜けた炭売りのおじいさん、そして近くは山谷の梅干しを売るおばあさんに至るまで――天保の頃までは、そんな人々の茶飲み話として語り継がれてきました。

この「塩原多助一代記」を、拙い腕前ではありますが、枝炭(炭を細工したもの)に葉を添えるような気持ちで書き上げました。もともとが落語として語られてきたものですから、立派な歴史小説と比べるのはおこがましいものです。いわば「雪と炭俵」のようなもので、言葉は飾ってみても中身は薄いかもしれませんが、いつも応援してくださる皆さんが寄席に詰めかけてくださり、大入り満員になったのは、本当に幸運な「当たり炭」でした。

俵にちなんだ良い評判もいただき、例の若林先生が、火鉢のそばで得意の速記を使い、私の語るままを書き留めてくださいました。書くそばから消えていく消し炭のような速さでしたが、三舎(さんしゃ:三つの小屋)を避けるほどの素晴らしい出来栄えで、あっという間に一冊の冊子になりました。

さて、この物語の第一集・第二集は、土竈(つちがま)で焼いた炭のようにパッとせず、起炭(おこしずみ)のような賑やかな場面もありません。しかし後編は、駱駝(らくだ)炭のように立消えすることなく、塩原多助が忠孝の道を炭荷とともに重んじ、その節義は、まるで固い炭のように揺るぎません。そればかりか、獣炭を作って酒を温めたという、中国の晋の羊祜(ようこ)の故事にならって自分を節約し、費用を抑え、「世の中には寒い思いをしている人が多いのに、自分だけ暖かくしてよいものか」と言った、宋の太祖の広い心を見習って、広く慈善も施しました。

蛍の光のようなわずかな資本から、炭を焼くほどの大竈を築き上げるまでの始末を、どうぞ最後までご覧ください。……と、前書きを書くように頼まれましたが、筆を持つ手も白炭(はくたん:良質な炭)のように緊張してしまいます。焼いていなかった昔の雪の枝炭屋の妻ほど黒くはないけれど、鈍い作意の炭手前で、曲がった飾り炭のような、ただ管を巻くような長々しい序文になってしまいました。輪炭、胴炭、点炭と重ねてお求めいただくように、出版人に代わって、代わり映えのしない序詞をここに書き記します。

三遊亭圓朝記

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【一】

さて、これから申し上げますお話は「塩原多助一代記」と申しまして、本所相生町二丁目で薪炭業を営み、天保の頃まで伝わり、大いに繁盛して、地面を二十四ヶ所も所有するまでになったお方の物語でございます。

その元手は、上州沼田の下新田(しもしんでん)から、わずか六百文の銭を持って出てきたところから始まります。当時の落書きに「本所に過ぎたるものが二つあり 津軽大名 炭屋塩原」と歌われるほどで、十万石の大名様と一緒に例えられるほどになるその起源は、わずかな小銭から積み立てて、五代目まで続きました。

その多助という人は、行いが正しく、孝行者で、とりわけ商売の天才で経済に長けていたことは、立派な学者でもかなわないほどでした。多助は特に学問があったわけではありませんが、実に優れた才覚を備えておりました。今でも浅草の八軒寺町にある東陽寺というお寺の墓場に塩原多助の石碑がございますが、その石碑には実父の塩原角右衛門、養父も塩原角右衛門と、法名が二つ刻まれております。実父も養父も同姓同名でございますので、いろいろと調べてみますと、上州沼田の下新田にまだ縁者が残っておりましたので聞いてみました。

実父の角右衛門は、もともと阿部伊予守様の御家来で、八百石を知行していた方でしたが、何らかの理由で浪人となり、行方知れずになってしまいました。その角右衛門の家に仕えていた岸田右内(うない)という御家来がおりました。その者は若気の至りで、角右衛門の奥様の妹である「おかめ」と密通をして家出をしてしまい、本郷春木町に隠れ住んで、名を「岸田屋宇之助」と改め、旅商いをしておりました。まさに恋は思案の外でございます。

右内は忠義心の厚い者でしたから、旅商いをしながらも「旦那様はいったいどこへ行かれたのか、どうかお目にかかりたい」と、主人のことを片時も忘れたことはありませんでした。ふと、沼田に主人がいることを聞きつけてから、日光の中禅寺の奥へ三里入ったところにある温泉へ、商いをしながら向かいました。当時はまだ山道も開けておらず、湯場も「鶴の湯」と「川原の湯」の二ヶ所しかなく、宿屋もあるような場所でございました。その中に「吉見屋」という宿に泊まりました。道連れは堺屋傳吉といって、岸田屋宇之助とは旅商人仲間でした。二人はとても仲が良かったので、これから沼田へ山を越えて行こうという話になりました。道中で尋ねてみると、その山道はほとんど人が通らず、かなりの難所なので、案内人がいなければ危ないと言われました。そこで、その夜のうちに案内人を頼んでおいたのです。

翌朝になると、
宇之助「傳吉さん、案内人はどうなったかな」
傳吉「今聞いてるところだよ。もしもし、宿の旦那、案内の方は大丈夫でしょうかね」
主人「はいはい、心得ておりますよ。昨夜はわざわざお越しくださり、たくさんのお茶代まで頂いて恐縮です。ぜひ来年もまたお越しくださいね」
傳吉「いやいや、ほんの心ばかりですよ。こちらの宇之助さんが沼田へ行きたいと言っていて、私も煙草を少し仕入れに行こうと思うのですが、道がとても分かりにくいそうなので、昨夜から案内をお願いしていたのですが、見つかりましたか?」
主人「はいはい、案内人はもう頼んでおきましたよ。お弁当も用意してあります」
傳吉「何卒、強そうな人を頼んでおいてくださいよ」
主人「ええ、強いのを頼みましたよ。おい、磯之丞、磯之丞」
傳吉「磯之丞というのが案内人ですか」
主人「左様でございます」
傳吉「弱そうな名前だねえ、なんだか色っぽい名前だなあ」
主人「なにを仰います、とても頑丈な男ですよ」
 そう言っているところへ現れたのは、背丈が五尺七八寸(約175センチほど)もあり、すねには毛が生えていて、まるで熊のような男がのそりと立って現れました。
案内「へい、御案内しやしょう」
傳吉「どうも芝居なら『磯之丞』なんて名前だと、すぐに転ばされるような役どころだが、こいつは強そうだ。それにしてもお前、素足なのかい?」
案内「ええ、素足でがんす」
 脚絆(きゃはん)も巻かず、単衣(ひとえ)に小倉織の帯をちょっぴり結びにしただけで、鉄砲を担いでいます。
傳吉「もしもし、腰にある毛の生えた巾着は何だい?」
案内「これは狐の皮で作ったんでがんす」
傳吉「おい、どうだい。狼は出やしないだろうねえ」
案内「狼は出ねえが、大蛇や猪(いのしし)は出まさあ。まあ出ても、飛道具(鉄砲)を持っているから大丈夫でござりやす。あんた方の荷物を出しなせえ」
 と言って、二人の荷物を連尺(背負子)のようなものに括り付け、その上に鉈(なた)を差し込んで出発しました。

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