初級翻訳・塩原多助一代記 第5話

塩原多助一代記

山また山の数坂峠です。大木が茂り、大泉・小泉という掘割の岩間には「浮島の観音」があり、赤松が四、五本、川辺に枝を垂らしています。そこには塚があり、翁(芭蕉)が詠んだ「夏来ても只一つ葉の一つかな」という碑が立っています。この掘割から堅科川(かたしながわ)という利根川の上流へ向けて、水が岩に当たってドッポンドッポンと激しく落ちていきます。その水面に夕日が映り、刀の光がキラリと反射します。右内は焦るあまり「さあ、さあ!」と責め立て、下では角右衛門が「人殺し! 人殺し!」と叫び続けているのでした。その時、向こうの山を通りかかったのは塩原角右衛門でした。先ほど右内と別れてから家に帰り、ただぼんやりとしていましたが、「猟にでもいらしたらよろしいでしょう」という女房の勧めに、鉄砲を担いで山へ向かいました。子鹿を見失って帰る途中、向こうの岸で「盗賊だ、盗賊だ」という声が聞こえます。雑木林が茂っていて下は薄暗く、はっきりとは見えませんが、旅人が山賊に出くわしたに違いないから助けてやろうと、片膝をついて手持ちの鉄砲に弾を込め、引き金に手をかけました。角右衛門は、そこにいるのが自分の家来である忠臣・岸田右内だとは知らず、その胸元へ狙いを定めました。これからどうなるのか、続きをお話しします。

二

引き続き『塩原多助一代記』、多助が八歳の頃のお話です。
岸田右内は、すべては忠義のためとはいえ、心得違いをして、見ず知らずの百姓が五十両の金を懐に入れているのを知り、無心を言いかけました。百姓は驚いて争いになり、右内は倒れた百姓の上に乗っかって、「主君のためには命など惜しくない」と、脅して金を奪おうとしています。
下では百姓が「人殺し! 人殺し!」と叫んでいますが、往来の稀な山村です。場所は名高い上野国東口の追貝村。時期は寛延元年八月二日。山曇りの予報通り、今まで晴れていたのが急に暗くなり、霧が顔にかかってきました。ただでさえ暗い上に、向こうの山では塩原角右衛門が山賊を撃ち留めて旅人を助けようと、相手が家来とも知らずに鉄砲の狙いを定め、「ガチリッ」と引き金を引く拍子に、「ドーン」と山々にこだまが響きました。無残や、右内は乳の上を撃ち抜かれて一度は倒れましたが、片手で刀を、もう片方の手で草を掴んで立ち上がり、足を爪立てて身を震わせ、「ウーン」と唸りながら、口から血を吐き出しました。その血が百姓の顔にかかったため、百姓は自分が撃たれたのかと思い、「人殺し! 人殺し!」と震えながら叫んでいるところへ、塩原角右衛門が丸太橋を渡って「トットットッ」と駆けつけてきました。

角右衛門「おい、旅人さん、お怪我はありませんか!」
百姓「はい、怪我をしたかもしれません。真っ赤な血が出てきやした」
角右衛門「それは私が先ほど、あそこにいる賊を撃ち留めたので、その血があなたにかかったのでしょう。それとも、少しは斬られましたかな?」
百姓「へえ、道理で痛くも何ともねえはずだ。助かったのかな、ありがとうございやす」
血だらけになった百姓が仰向けに見上げると、鹿の皮を腰に巻き、山猫の皮を前掛けにして、野草で編んだ笠を背負い、八百目の鉄砲を提げた男が立っていました。
角右衛門「まあ、怪我がなくてよかったな」
百姓「猟師さんでございますか。あわやこの男に殺されるところを助けていただきやした。私の懐に金があるのを知って後をつけてきて、奪おうとするもんですから、名主のところへ連れて行こうと思っていたところで、もう少しで殺されるところでした」
角右衛門「いやはや、悪い奴でございますな」
そう言いながら賊の顔を見ると、なんと右内ではありませんか。角右衛門は驚いて叫びました。
「右内! 右内! なんと心得違いなことをしたんだ、右内!」
その呼ぶ声が忠義の心に通じたのか、右内はゆっくりと細い目を開けて、目の前に主人の顔を見ました。
右内「旦那様……旦那様……!」
右内はそう言いながら、塩原の手にすがりました。
角右衛門「なぜこんな心得違いをしたのだ! お前も元は侍ではないか。いかに落ちぶれて、食うや食わずの身となったとしても、なぜそんなさもしい了簡を起こしたんだ! 『喉が渇いても盗泉の水は飲まず』という言葉を知らぬわけではあるまい。どういう訳で人の物を奪う気になった。お前とは知らずに、この角右衛門が旅人を助けようとして撃ち留めてしまったのだ。許してくれ!」
そう言うと、右内は「ハッ、ハッ」と息を吐き、何か言いたいようですが、外へ出る息ばかりで、ようやく微かな声を出しました。
右内「旦那様……八年ぶりにお目にかかりましたが、このような見る影もない姿で……。奥様からも『五十両をなんとかしてくれ』と、家来の私に手をついて頼まれ……。この旅人が金を所持しているのを見て、あなたを世に出して差し上げたい一心で、心得違いをいたしました。あなたのお手にかかって死ぬのは本望でございます。長年お仕えしながら、御恩をいただいた御主人の妹を連れ出して逃げるような心得違いをしたこの右内ゆえ、天罰、主君の罰が下って当然でございます。江戸に残した女房のおかめと、まだ幼い娘がこの事を聞いたらどんなに嘆くことか。ですが、決して盗賊をして殺されたのではない、旦那様を江戸へお連れしたいという思いで、このようなことをしたと、旦那様から伝えてやってくださいませ……。ああ、もう目が見えません……これでお別れです」
そう言いながらバタリと倒れたので、塩原も思わず声を上げて泣きました。
角右衛門「ああ、不憫なことをした。家族が聞いたらさぞ嘆くことだろう。許してくれ」
そう嘆く声を百姓が聞いていて、ポロポロと泣き出しました。角右衛門は言いました。「とんでもないことになってしまった。ああ、最初から金を貸してやればよかった。道理で『主人のために金が必要なんだ』と言っていたわけだ。主人である私も、彼も、印鑑を押して証文を書くからと名前まで明かしてくれたのに、よもや嘘だろうと思って貸さなかったばかりに……」

右内はかすかな声で答えます。「はい。全く、私のせいでこのようなことになり、家来が、手前を世に出したい一心でこんな真似をいたしました。どうか許してやってください」

角右衛門は涙ながらに言います。「許すなんてそんな……私が鉄砲を撃たなければ、あなたが殺されるところだったんだ。あんなに忠義な家来を、自分の手で撃ち殺してしまうなんて、これほど悲しいことはない」

右内は最後の力を振り絞り、こう頼みました。「あなたも不憫だと思ってくださるなら……この亡骸を、私一人で持ち帰ることはできませんが、ここに細い縄があります。これで縛り上げて、鉄砲の銃身に括り付け、片方を一緒に担いではくれませんか」

角右衛門は「ああ、担ぎましょうとも」と答え、二人で泣きながら亡骸を担ぎ、小川のほとりまで帰ってきました。

家では、妻のお清が角右衛門の帰りが遅いことを心配して待っていました。そこへ二人が戻ってきました。

右内が「今帰ったよ」と声をかけると、お清は「お父様がお帰りだわ。あらあら、あなたお一人では大変だから、お手伝いの方がいらしたのですね。猪でも仕留めましたか?」と尋ねます。

右内は重い口を開きました。

コメント

タイトルとURLをコピーしました