初級翻訳・山彦乙女 第2話

山彦乙女

表向きは普通の農家の地主で、特に立派な苗字もなく、代々の主人は「清左衛門(せいざえもん)」と名乗っていた。
年貢の記録などを見ても、それほど広い土地を持っているわけでもなければ、昔から庄屋や戸長といった村の役職についたことも一度もなかった。
しかし、近隣一帯の人々からは、ものすごく深く尊敬されていた。
「みどう」とはどういう意味なのか、おそらく「御堂」と書くのだろうと推測されたが、その家族の者が前を通りかかると、村人たちは今にも土下座しそうになるほどの勢いで、その敬いぶりは巨摩郡の全体にわたっているほどだった。
甲府城のお役所でも、これまでに何度も調査を行おうとした。
土地の人々の間で特別な強い影響力を持つような者は、当時の政治の仕組み上、そのまま放っておくわけにはいかなかったからだ。
「武田家を再興するぞ」などというばかげた古い言い伝えが、ふとした弾みで、どんな大騒動を引き起こすかわからないからである。
だが、調査は決してうまくいかなかった。
「みどう」の家そのものをいくら調べても、不審な点は何ひとつ見つからないし、村人たちからは、情報を聞き出すことができなかったのだ。
ただ、そのあたりの地域には、二つや三つの奇妙な伝説が残されていた。
たとえば、甲冑(かっちゅう)を着た武者たちの亡霊が、真夜中にぞろぞろと行列をつくるという「甘利谷(あまりだに)」。
甲斐の国じゅうのタヌキたちが、一年に一度だけ集まって会議を開くという「狸の談合場(だんごうば)」。
一度足を踏み入れた者は、二生きて帰ることはできないと言われている「かんば沢」。
そして、近づくだけで人間でも獣でも吸い込んでしまうという「椹ヶ池(さわらがいけ)」。
などなどである。
その数々の伝説のなかでも、「かんば沢」という場所だけは、「みどう」の家となにか深い関係があるらしかった。
何度か行われた調査によって、そのことだけはどうにか推測することができたのである。
そこで、お役人はこれまでに前後五回にわたって、「かんば沢」の内部を調べようと試みた。
実際に、その恐ろしい場所へ足を踏み入れた者が三人いた。
しかし、そのうちの二人はそのまま行方不明になり、残りの一人はギリギリのところで助け出されたものの、まるで知能を失ったようになってしまい、間もなく発狂して亡くなってしまったという。
「その狂って死んでしまったというのは、ちょうど五年ほど前のことなんですよ」
 叔父の兵庫はそう言いながら、ふと、ぎらぎらと光るような鋭い目を輝かせた。
半之助は、このとき聞いた話をすべてその場で完全に覚えたわけではない。
のちに二度目の叔父の話を聞いたり、そのあとで実際に起こったりした出来事が重なり合ううちに、頭の中でひとつのまとまった記憶として完成していったのだ。
しかし、二人が行方不明になり、一人が発狂して死んだという「かんば沢」という名前は、幼い半之助の心に、あまりにも強烈な恐怖と印象を残したのだった。
それから二年目の秋、叔父が公用で江戸へやって来て、今度はひと晩だけ安倍の家に泊まっていった。
そのとき、またしても「かんば沢」の話題が飛び出したのだ。
「ちょっとした、おかしな好奇心が芽生えてしまいましてねえ」
 叔父はさりげなくそう言いながら、どうやら自分から進んで「みどう」の調査を始めてしまったようだった。
何か裏に秘密でもあるのか、どこか言葉を濁すような素振りを見せていたが、話の内容はこの前聞いたときよりもはるかに現実的で、しかも(とりわけ当時の半之助にとっては)かなりゾッとするような気味の悪いものだった。
タヌキの談合場というのは、旧暦の八月十六日から十八日まで、夜の八時から十時にかけて、本当にタヌキたちの囃子(はやし)の音が聞こえてくるのだという。
「その場所は尾草(おぐさ)という集落の裏手にあって、松林に囲まれたかなり広い台地のようなところなんですがね、私はその三晩とも、実際にそこへ行ってみたんです」
 叔父はいつものように笑い顔を浮かべていたが、その笑顔はどこか不自然にこわばって見えた。
「もちろん地元の人間はそんなことはしませんよ。その三日三晩は誰も近づかないし、近づくことは厳重に禁じられているんですがね」
「本当にタヌキがお囃子をしていたの?」
 いてもってもいられなくなった半之助は、たまらずそう尋ねた。
叔父はこくりと頷き、少し間を置いてから話を続けた。
「たしかにね、笛や太鼓の音が聞こえるし、がやがやと何やら大勢の者が話し合っている声も聞こえるんだ。はっきりと聞き取れるわけではなくて、音が大きくなったり小さくなったり、ときには遠くの方でかすれたりするんだけれど、音がしているのは間違いないんです」
 叔父は、その音の正体を確かめようと、そっと近づいてみたのだった。ちょうどお月様が出ている夜だった。まだお月様の位置は低く、光の強さも弱かったけれど、その広場のような場所はかなりはっきりと見渡すことができた。
 しかし、そこには誰もいなかった。
 まわりを取り囲む松林はしんと静まり返って枝ひとつ揺れず、草が一面に生い茂るその台地からは、虫たちの鳴き声があふれるように聞こえているだけだった。
 怪しい影はどこにもなかった。
 それなのに、やっぱりポンポコポンと狸ばやしだけは、そこで確かに聞こえていたのだ。
 兵庫はそう言って、低い声で、その笛や太鼓の音、そしてざわざわと聞こえる大勢の人の声などを真似てみせた。
 叔父はさらに、甲冑(かっちゅう)をまとった武者たちの亡霊も見たという。
 それは四月十一日の真夜中のことだった。甘利谷(あまりだに)の山道を、およそ五十人ほどの行列が通り過ぎていった。
 先頭に立っていたのは、白い大口(おおぐち)の袴をはき、きせなが(着流し)の着物を着て、白い柄の長い槍のような武器(長巻)を持ち、頭には白い法師頭巾(ほうしずきん)をかぶった武者だった。
 あとに続く者たちはみんな鎧兜(よろいかぶと)を着ていたが、鎧の下に着ているものもすべて白く、兜の目の庇(ひさし)からは白い布が垂れ下がって、顔をすっぽりと隠していた。
 暗い夜のことでハッキリとは見えなかったけれど、その亡霊の武者たちは、真っ暗な山道を音もなくやって来て、叔父が隠れていた目の前を通り過ぎ、武田郷のほうへ音もなく去っていったという。
「あの白くて昔風の格好といい、足音も立てずにスーッと声もなく通り過ぎていく様子は、もう亡霊としか言いようが……」
 半之助はその話を聞いて、思わずブルッと身震いをした。
 叔父の話はそれだけではなかった。
 「みどう」のお屋敷は、念入りに改築されているけれど、あれは明らかに戦闘用の小さなお城(館城)の造りである、ということ。
 それから、武田郷という場所には古い八幡宮があって、その裏には古代のお墓(塚)のようなものがあり、いかにも由緒正しそうに見えること。
 地元の人はただの「八幡社」と呼んでいるけれど、実は「武田八幡」といって、武田一族の最初のご先祖様をまつったものらしい、ということ。
 「いもじ谷」という場所には、古い金属のカス(鉱滓)がたくさん転がっていること。

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