あたしはこの伏岩(ふしいわ)といっしょに死んで、恐ろしい亡霊になって、徳川の天下を呪い殺してやるんだから!」
「そんなこと言わないで、お姉さま!」
二人はその場所までやって来ていた。
松明を手にした姉の袖にしがみつき(姉妹はまだ天女のような羽衣の衣装を着たままであった)、花世が泣きながら必死にすがりつく姿が、半之助のすぐ目の前、手を伸ばせば届きそうなところに、はっきりと見えていた。「お父さまやわたくしが付いていますわ、いくらだって手の尽しようがありますわ、死ぬなんて仰しゃらないで、お願いよお姉さま、どうぞいちど帰って」
「いいえいや、いやです、放してお呉れ、さもないとあなたもいっしょに死んでよ」
「お姉さま」
「楔の岩を抜けば、この洞窟はいっぺんに崩れる、それでなにもかもきれいになるのよ、あなたは帰って、此処から先へついて来ると、あなたもいっしょに死んでよ」
「待って頂戴、待って」
姉は崩れた岩の山へ登って来た。
彼女の持っている松火が、ぱちぱちとはぜ、その火粉が、半之助の躯にふりかかった。
彼女の荒い呼吸が聞え、香の匂いが半之助の鼻を掩った。
それほど近かった。
姉に突き放された花世は、悲鳴のように、姉を呼びながら、岩の砕片の山を、這い登って来た。
「待って、お姉さま」
姉の身ごなしは、憑きものでもしたように、早かった。
「お帰り、乙女」
彼女は奥へ走り去りながら、こう叫んだ。
「早く、早く、もう此処は……」
花世は泣きながら、ようやく崩れた岩の上へ登った。
それを半之助が、横から、すばやく抱き止めた。
それは殆んど反射的な動作であった。
花世は恐怖の叫びをあげ、手と足でもがいた。
半之助は黙って、しかしけんめいに、彼女の抵抗を抑え、なかば夢中で、がらがらと崩れる、岩の砕片の山を、穴の上のほうへと登りだした。
そのとき洞窟の崩壊が始まった。
崩壊がどういうふうに始まったか、あとで考えてもまるでわからない。
それは、初め重くるしい音響と、洞窟ぜんたいの震動で始まり、次いで、奥のほうから、すさまじい風と、岩屑と、土煙がおそいかかった。
岩の崩れる音と、地盤を揺りたてる震動の恐ろしさは、形容しようのないものであった。
轟々たる音響と、激しい地揺れにうちのめされ、花世をかたく抱いたまま、半之助は、意識を失ったもののように、穴の中途で身を縮めていた。
彼は自分たちも死ぬだろう、と思った。
恐怖のためにわれを忘れたのであろう、非常な力でしがみついてくる花世の、おののき震える、柔らかな躯を、両腕でひっしと抱き緊めながら、――これで叔父の死躰も、ゆくべきところへゆく、ということを思った。
倒林
一
「あれがゆうべの大崩壊のあとですね」
青山主馬は、大きなつつじの木に捉まって、覗きこむように、山腹の斜面を見た。
「なるほど凄い、ひと尾根すっかり崩れていますよ、洞窟などは跡かたもなくけしとんだでしょうな、あとを追って入らなくていいことをしました」
村田平四郎は黙って、主馬とは反対に、うしろのほうを見ていた。
そこは甘利山の頂上の近くで、まわりは柔らかい若草と、つつじの木が密生し、どちらを向いても、遠くうちひらけた展望がある。
主馬の立っているところからは、八ヶ岳、茅ヶ岳などが見え、すぐ下には、かんば沢の、(それはすっかり崩壊して、砂礫と土のむきだしになった、むざんなさまを呈していたが)急勾配の谷間があり、眼をあげると、大きく裾を張った茅ヶ岳や、八ヶ岳が眺められる。
平四郎の位置からは、右に櫛形山、正面に富士山が見える。
すぐ下は杉と椹の大きな林で、それはそのまま、右がわの谷のほうまで、深い森になって続いているが、その樹海の向うに、椹ヶ池の静かな水面が、見える。
平四郎はその池と、池のまわりを囲んでいる、林のあたりを、(なにやら訝しげに)さっきからじっと、見まもっていた。
「おかしい、どうもへんだ」
彼は口のなかで呟いた。
主馬はまるで気がつかない、しきりに手まねをしながら、
「私はよく危険の前兆を感じるんです、ああ今日はなにか悪いことが起こるな」こう自分の感想を述べていた、「または道を歩いていて、なにか不幸な出来ごとにあいそうな気がする、じつにはっきりと、それこそどきりとするくらいにです、しかしなにごとも起こりません、どんな危険も、どんな不幸な出来ごとも、要するになにごとも起こらないんです、つまり、私がなにか危険の前兆を感じたときは、まったく安全なんだ、という証明になるわけです」
平四郎はなお池を眺め、池をとり巻いている林をみまもり、そして、いかにも納得がいかぬという表情で、ふと、首をかしげたりした。
「ところがです、ゆうべ、といってももう三時ちかかったでしょうが、あの姉妹が洞窟へ逃げ込んだときですね、ちょうど私ひとりだったが、追い込もうとして、はっと立ち停りました、危険の前兆です、こいつは危ない、と思ったんです、……なにか云いましたか」
平四郎は黙って歩きだした。「こいつは危ない、そう思ったんです。それで追いかけるのをやめて、仲間を集めに戻ったんですが、そうしたらあの大崩壊でしょう……。山がまるごとぜんぶ崩れたようなすさまじさで、いや本当に、あのときばかりは私も、自分の“予感”に対する見方が変わりましたね。これは控えめに見積もっても、金二十枚くらいの価値はあるってものです……どこへ行くんですか」
「ちょっと、あの……」
平四郎は池の方へ手を振りながら、坂道をおりていった。
彼らは昨日の夜中、武田八幡の境内で、みどう一族を包囲して捕らえていた。
(清左衛門をはじめ、多くの者は抵抗しなかったが)菱屋庄兵衛は斬り死にし、十数名の者が山へと逃げ込んだため、地元の案内人を頼りにして、退路を断ち、追い込みをかけているところだった。
池から二十間(約36メートル)ほど近づいたところで、平四郎が手で主馬を制した。
「――なんです?」
主馬が目を向けた。
「いや、このくらいで……」
平四郎は言葉を濁し、それからふわっと手まねをした。
これ以上近づく必要はない、という意味らしい。
さっき山を登ってきたとき、地元の人間が、池のそばへ寄ってはいけない、うっかりすると池に飲み込まれてしまうぞと、何度も強く注意していた。
だから用心しているのだろうと、主馬は肩をすくめた。
「くだらない伝説ですよ。江戸の本所にある“おいてけ堀”のたぐいで、どこにだってそういう根拠のない話はあるものです。だって――」
「――おかしい」
平四郎は首をかしげた。
もちろん主馬の言うことなど聞いてはいない。
じっと目を凝らして池を見つめ、池の西と南を囲んでいる林を眺めていた。
右には甘利山のゆるやかな山腹が広がり、後ろには茅戸山(かやとやま)がある。
ひとことで言うと、山の尾根と尾根に囲まれた湖沼であり、オオバコに似た幅広い葉の草や、イヌタデ、イグサに似た草などが生い茂る水ぎわの線は、入り組んで曲がりくねっていた。対岸の林の木影を映す水は、あふれんばかりにたっぷりとした水量だったが、どこか不透明に濁っていた。
向こうの林はスギやサワラで、幹の太さはどれも直径二尺(約60センチ)ほどもありそうだ。
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