この「うわおいぐつ」は、何かを一生懸命にやる人のように、一度に一つのことしかできません。詩人になりたいと言えば詩人になり、今度は小鳥になりたいと言えば、本当に小鳥になってしまったのです。とたんに、詩人の心は消え失せてしまいました。
「これは実におもしろいぞ!」
書記は飛びながら、なおも考え続けました。
「わたしは昼間、役所に出勤して、石のように硬い椅子に座り、つまらないと言いながら、法律の書類の山に首を突っ込んでいる。それが夜になると夢を見て、ヒバリになって、フレデリクスベルグ公園の木々の間を飛び回るんだ。こりゃあ、そのまま大衆喜劇のネタになるぞ。」
そこで、ヒバリになった書記は草むらに舞い降りると、あちこちに首を向け、草の茎をくちばしでつつきました。今の自分の体から見ると、草の茎はまるで北アフリカのヤシの木の枝のように大きく見えました。
すると、突然まわりが真っ暗闇になりました。まるで大きな何かが、上から自分にかぶさってきたようです。それは、ニューボーデルから来た船員の子供が、大きな帽子を小鳥の上に投げかけたのでした。やがて下からニョキッと手が伸びてきて、書記(ヒバリ)の背中と翼をギュウギュウとしめつけたので、思わず「ピイピイ!」と鳴きました。そして、びっくりした大きな声で「このわんぱく小僧め、おれは警察のお役人だぞ!」と怒鳴りつけました。
けれども子供には、ただ「ピイピイ」と鳴いているようにしか聞こえません。そこでその男の子は鳥のくちばしを叩くと、つかんだままあちこちを歩き回りました。やがて並木道に出ると、男の子は他の二人の子供に出会いました。世間では「いいところのお坊ちゃん」と呼ばれるような子供たちでしたが、学校では成績が振るわず、下のクラスに入れられているような子たちでした。彼らはシリング銀貨を二、三枚払って、その小鳥を買い取りました。
こうして、ヒバリになった書記は、コペンハーゲンのゴーテルス通りにある家へ連れて行かれることになりました。
「夢だからいいようなものだが」と、書記は言いました。「そうでなければ、本当に怒ってしまうぞ。最初は詩人で、今度はヒバリか。しかも、わたしを小鳥に変えたのは、さっきの詩人としての気質のせいだ。それが子供の手につかまれるなんて、いかにも情けない。この話の結末が一体どうなるのか、見当もつかないよ。」
やがて子供たちは、ヒバリをとても立派な部屋へ連れ込みました。太ったニコニコ顔の奥さまが子供たちを迎えました。どうやらこの子たちのお母さんだったようです。けれども、そのお母さんはヒバリのことを「下等な野育ちの鳥」と呼び、そんなものを家の中に入れることをなかなか許そうとはしませんでした。やっとのことで頼み込んで、今日一日だけなら、ということで許してもらえました。
ひばりは窓のそばにある、空っぽのかごの中に入れられることになりました。
「おうむちゃん、きっと喜んでくれるわね」と、奥さまは言って、上に吊るされたきれいな真鍮(しんちゅう)のかごの中で、お上品ぶってゆらゆら揺れている大きなオウムに微笑みかけました。
「今日はおうむちゃんのお誕生日だものね」と、奥さまは甘やかすように言いました。
「だから、このちっぽけな野育ちの鳥も、お祝いを言いに来たのよ」
オウムはこれに一言も返事をしませんでした。ただお上品ぶってゆらゆらと揺れているだけです。
すると、去年の夏、暖かい南の国の香り高い林の中からここへ連れてこられた、かわいらしいカナリアが、高い声で歌い始めました。
「やかましいわね」と、奥さまは言いました。そして白いハンカチを鳥かごにバサッとかけてしまいました。
「ぴい、ぴい」と、カナリアはため息をつきました。「恐ろしい雪おろしがやってきたぞ」そう言ってため息をつきながら、黙り込んでしまいました。
書記は、いや、奥さまの言うところの「下等な野育ちの鳥」は、カナリアのすぐそばの小さなかごに入れられました。オウムからもそう遠くは離れていません。
このオウムがしゃべれる人間の言葉はたった一つ、「まあ、人になることですよ」というものだけで、それがずいぶんととぼけて聞こえるときがありました。そのほかに発する「ギャアギャア」という鳴き声は、カナリアの歌と同じく、人間が聞いてもさっぱりわけが分かりません。ただ書記だけは、同じ小鳥の仲間になったおかげで、何を言っているのかよく分かりました。
「わたしは緑のシュロの木や、白い花の咲くアンズの木の下を飛んでいたのだ」と、カナリアが歌いました。
「わたしは男のきょうだいや女のきょうだいたちと、きれいな花が咲く上や、鏡のように明るい緑の上を飛んでいたのだ。湖の底には、同じように草や木がゆらゆらと揺れていた。それから、ずいぶんたくさん長いお話をしてくれる、きれいなオウムさんにも会ったよ」
「ありゃ野育ちの鳥だな」と、オウムが答えました。
「あれらは教育がなっていない。まあ、人になることですよ。おまえ、なぜ笑わないんだ? 奥さんやお客さんたちが笑ったら、おまえも笑うんだ。娯楽に趣味を持たないのは欠点ですよ。まあ、人になることですよ」
「おまえさん、覚えているでしょう。花が咲いた木の下に天幕を張って、ダンスをしたかわいらしい娘たちのことを。野に生えた草の中に甘い実がなっていて、冷たい汁が流れていたことを」
「うん、そりゃ覚えている」と、オウムが答えました。
「だが、このお屋敷で、ぼくはもっといい暮らしをしているんだ。ごちそうはあるし、大事に扱われている。これ以上の望みはないのさ。まあ、人になることですよ。きみは詩人の魂とかいうやつを持っているね。ぼくは深い知識ととんちを持っている。きみは天才はあるが、思慮がないんだよ。持って生まれた高調子でトンチンカンなことをやりだすと、すぐ上から風呂敷をかぶせられてしまうのさ。そこはぼくとは違う。どうしてそんな安っぽい真似をするんだ。この大きなくちばしだけでも威厳があるからな。しかもこのくちばしで、とんちをふりまいて人を喜ばせる。まあ、人になることですよ」
「ああ、わが懐かしき、花咲く熱帯の故国よ」とカナリアが歌いました。
「わたしはあのみどりしたたる木立と、鏡のような水に枝が影を映している静かな入江を讃えよう。『砂漠の泉の木』が茂って、そこに美しく輝くきょうだいの鳥たちの喜びを讃えよう」
「さあ、頼むから、もうそんな情けない声を出すのはやめておくれ」と、オウムが言いました。
「何か笑えるようなことを歌っておくれ。笑いはいとも高尚な心のしるしだ。犬や馬が笑えるかね? どうだ。あれらは泣くだけだ。笑いは人にだけ与えられたものだ。ホッホッホ」
こうしてオウムは笑ってみせて、「まあ、人になることですよ」と結びました。
「もし、もし、そこにいる灰色のデンマークの小鳥さん」と、カナリアがひばりに声をかけました。
「きみもやはり囚人になったんだな。なるほど、きみの国の森は寒いだろう。だが、そこにはまだ自由がある。飛び出せ、飛び出すんだ! きみのかごの戸は閉めるのを忘れているぞ。上の窓は開いている。
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