その隙に、利口な大猿の次郎坊は、山野で育ったおかげで夜目も利くのを幸いに、太田原伝三郎をはじめとする四人の武士をめちゃめちゃに引っ掻き回しました。そして、彼らの髷(まげ)の根元に縄を通して柱に縛り付けると、太田原伝三郎の腰から大牢のカギをひったくりました。そのまま元の長押(なげし)へ飛びつくと、欄間をくぐって縁側へ、そして大雨の降る庭へと、見事な跳躍を見せたのです。
「や、おのれ、けしからぬ猿め、放せ!」
「曲者ッ、待て!」
と言ったところで、髷を縛り付けられた四人は、互いに絡まり合って転がり回るだけで、下男が台所から明かりを持ってくるまでは、どうすることもできなかったのです。
◇
嵐の中の脱獄
風と雨が入り乱れる大嵐は、春の夜の江戸の町を、まるで地獄の底へ突き落とすかと思わせるほどでした。
人々は恐れおののいて戸を固く閉ざし、虫のように縮こまっています。灯り一つない八百八町の屋根を突き抜けて、時折むらさき色の稲妻が走ります。
その真っ只中を、「それ行け」「今のうちだ」と、天魔太郎、妹の月子、それに救い出したお千代と虎吉を加えた少年少女四人に、大猿の次郎坊を一匹連れて、嵐の中を泳ぐようにして伝馬町の大牢へとたどり着きました。
「お千代さんのご両親がいらっしゃるのは、どこだろう?」
牢は大きく、囚人も大勢いました。むやみに牢を開けて、凶悪な犯罪者を町に放っては、世の人々に迷惑がかかってしまいます。
ハタと当惑して立ちすくむ天魔太郎の背後から、
「良いことがある。普段は店中から迷惑がられていたけれど、こんな時には何かの合図になるかもしれない。これを吹いてみよう」
小僧の虎吉が腰から抜いたのは、一本の篠笛(しのぶえ)でした。
葛飾で育ち、父親は有名なお神楽師だった虎吉は、小さい頃から神楽笛を吹き慣れており、その腕前は非凡なものでした。父親はこの子の才能を惜しんで泉田筑後に弟子入りさせ、ゆくゆくは立派な棟梁にするつもりでしたが、好きな笛だけは肌身離さず持っており、この嵐の中の大冒険にも、腰に一管の笛だけは忘れていなかったのです。
「それは面白いだろう、やってみるがいい」
天魔太郎が賛成すると、虎吉は雨に濡れた歌口をそのままに、節も面白く神楽笛を吹き鳴らしました。
漆黒の闇、それを縦横に切り裂く稲妻。
雨と風が一緒になって降り、吹き、すさぶ中を、道化た神楽歌の笛の旋律が「ピーヒョロ、ピーヒョロ」と、いとも穏やかに響き渡ります。
牢番たちはその音を知らないわけではありませんが、あまりの猛烈な嵐に恐れをなして外へは顔を出せず、風雨にちぎれる笛の音を、どこか遠くから聞こえてくるものと思い込んで、幸い誰一人としてとがめる者はいませんでした。
「ここよ、ここよ。虎吉ではないか」
ある牢の格子の中から、人を呼ぶ声が聞こえます。
「あ、奥さま!」
虎吉は笛をやめて、牢の格子に飛びつきました。
はためく稲妻の光を待つまでもなく、その優しい声は、間違いなく泉田筑後の妻――お千代の母親である操(みさお)の声でした。
「やはり虎吉、どうしてここへ?」
「待っていてください、すぐにお助けしますから!」「ところで、旦那さまをはじめ、他のお店の人たちはどうしたの?」
「ここは私だけで、番頭さんたちは隣の牢屋にいるはずです」
「じゃあ、旦那さまは?」
「困ったことに、それが分からないのです……たぶん、侍牢(さむらいろう)に入れられているのではないでしょうか」
「ともかく、牢を開けましょう。私は駿河太郎、今は天魔太郎と名乗っています」
天魔太郎はそばに寄ると、奪い取った鍵を使って、思いのほか簡単に格子を開け、操(みさお)を雨風の吹き荒れる外へと連れ出しました。
「お、お母さま!」
「お千代か、おまえまでこんなところに……」
手をとり合って喜ぶ母娘を、月子に見張らせたまま、天魔太郎と虎吉は隣の牢格子を開け、番頭以下、手代、子分衆まで、泉田筑後の屋敷の者を全員救い出しました。
「これだけの人数では、人目に付いてどこへも行けません。嵐がやんだら、すぐに捕まってしまいます」
番頭が助け出されながらも躊躇(ちゅうちょ)するのを、天魔太郎はこう諭しました。
「大勢で動いてはいけない。一人、二人ずつ別々に江戸橋へ向かうのだ。橋の下に船頭の権六が舟を用意して待っている。舟には赤い風呂敷で鉢巻をした提灯(ちょうちん)が掲げられているはずだ。あとは、みんな無事に顔を揃えてから……」
天魔太郎は急ぎ足で説明して奉公人たちを八方に散らし、最後に、お千代とともに母の操も、別の道から江戸橋へと逃がしてやりました。
「さあ、次は侍牢だ!」
天魔太郎と月子と虎吉の三人、そして大猿の次郎坊を従えて、神楽笛の小さな旋律を風雨に紛らせながら吹き続け、大牢から女牢へ、そして侍牢へと探しまわりました。しかし、どこにもその笛の音さえ聞き覚えのある者は見当たらず、むなしく夜は更けていき、焦りばかりが募ります。
とある牢格子の前まで来たときのことでした。
「おい、坊ちゃんたち。さっきからここを三度も回っているようだが、コソコソ話をしている様子じゃ、泉田筑後を探しているんじゃないのか?」
そう呼びかけてくる者がいました。
「誰だ、おまえは?」
牢格子の内と外で、天魔太郎は声を張り上げました。相手の口調があまりに卑しく、ごろつき風なのが、格子越しであっても天魔太郎を警戒させました。
「つまらねえ野郎ですよ。腹を立てて、悪い役人の横っ面をひっぱたいて、こんなところに放り込まれたんだが、酔っぱらってさえいなきゃ、虫一匹殺さない質(たち)でしてね」
「それがどうした?」
「泉田筑後さんのいる場所を知りたきゃ、教えてあげようかと思ってね。なーに、ただそれだけのことですよ」
「泉田筑後氏はどこにいるのだ! さあ、教えてくれ、頼むから!」
天魔太郎と虎吉は、思わず牢格子にしがみつきました。
「ひと口には言えませんよ。さっき隣の牢でやったように、ちょいとこの格子を開けてもらえませんか。心配することはありません。あっしは野州の熊五郎というケチな野郎で、ヘッ、ヘッ」
「だが……」
天魔太郎は躊躇しました。もし相手が極悪な凶賊であれば、外へ逃がした罪は容易ではありません。
「あッ、しまった! 牢破りがバレた!」
そのとき、風雨を突いて慌ただしく板木が鳴り響き、続いてホラ貝の音、半鐘の乱打、わめきたてる人声が聞こえてきました。牢番や同心たちは縄を解き、事態を囚獄与力(しゅごくよりき)の石出帯刀(いしでたてわき)に告げ、たちまち役人や組子たちが繰り出してきました。嵐の夜中にもかかわらず、伝馬町じゅうが大騒動になったのです。
みるみる八方から乱れ襲ってくる人の足音。
「牢破りだ!」
「曲者を召し捕れッ!」
どっと押し寄せる人の洪水。
「早く、早く鍵を!」
今はこれまでと覚悟を決めた天魔太郎は、野州の熊五郎が入っている独房の鍵を開けて嵐の中へ引きずり出し、早くも飛びかかってきた二人三人の組子を投げ飛ばしました。
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