初級翻訳・日本の伝説 第5話

日本の伝説

十王経はウソの経典でしたが、これに基づいて「地獄の絵解き(絵を見せながらの説明)」をする人たちが全国を旅していて、しかもそれが女性だったということもあり、ほんのわずかな間にあちこちの「おばこ様(姥神様)」が、見るもおそそろしく恐ろしい奪衣婆になってしまいました。
昔は、これよりもずっとやさしい顔をしていたに違いありません。
そうでなければ、わざわざ地獄からやって来て、まだ生きている人間の子供のために、こんなにも親切に心配をしてくれるはずがないからです。
今でも三途の川のおばあさんは、こわい顔をしながらも、実は子供たちのよき友人なのです。
お盆の十六日には、「藪入(やぶい)り」(奉公人が実家に帰れる休みの日)を迎えた少年たちが遊びにやって来ます。
それだけでなく、もっと小さな子供たちのために、お願いされるとお母さんのお乳の心配までしてくれたなどというのは、地獄の仕事とはまったくお門違いの商売に見えますが、それこそがかえって、昔からの姥神様の大切な役目だったのです。

羽後(うご)の金沢(かなざわ)にある専光寺(せんこうじ)のおばあさん像は、お寺の人たちは「三途の川の姥(うば)だ」と言っていますが、お乳の出が少ないお母親がここで願掛けをすると、必ずたくさん出るようになると言われています。
この像は、昔、専光寺の開山である蓮開上人(れんかいしょうじん)の夢に一人の女性が現れて、「私は小野寺(おのでら)の別当林(べっとうばはやし)の洞穴の中に、自分の像と大日如来(だいにちにょらい)の像を彫刻して置いてある。早くそこへ行って連れて帰り、まつるがよい」と教えてくれたのだそうです。
さっそく行ってみると、本当にその通りに二つの像があったので、お寺へ迎えてきたという言い伝えがあります。
雄勝(おがち)の小野寺は、芍薬(しゃくやく)がとても有名な場所で、あの小野小町(おののこまち)をまつったと言われているお寺がありますから、そこから迎えてきた木像なのだとしたら、たとえ小町ほどに美しくはなかったとしても、まさか鬼みたいな恐ろしい顔をしていなかったはずです。
(『秋田県案内』。秋田県仙北郡金沢町荒町)

出羽(でわ)の荘内(しょうない)にある大泉村(おおいずみむら)の天王寺(てんのうじ)の「しょうずかの姥(うば)」も、お乳が出なくて困っている女性がお願いをすればお乳を増やしてくれるといって、たくさんの信者たちが集まっていました。
これも、ものすごく古い時代に作られた木像だそうですから、やっぱり後になってから名前だけが仏教風に改められたものであろうと思います。
(『三郡雑記(さんぐんざっし)』。山形県西田川郡大泉村下清水)

遠州(えんしゅう)の見付(みつけ)の大地蔵堂の中にある奪衣婆の像は、比較的新しいものだろうと思いますが、ここでも子供が無事にすくすくと育つことを祈る人がとても多く、そのお礼として子供の「草履(ぞうり)」をお供えしました。
新しく願掛けをする人は、そこにあった草履を一足だけ借りて帰り、無事にお礼参りをするときにはそれを「二足」にしてお寺に納めることになっていたため、いつも地蔵堂の中は、子供たちの小さな草履でいっぱいだったと言います。
(『見付次第(みつけしだい)』)(静岡県|磐田郡見付町)
それから上州(じょうしゅう)の高崎市には、「大師石(だいしいし)」という一つのふしぎな石があって、その近くには弘法大師(こうぼうたいし)が作ったと言われる石のおばあさん像があり、人々はこれを「しょうずかの婆石(ばばいし)」と呼んでいました。
この石には、せきに悩む人たちがやって来てお願いをすると、ちゃんとご利益(りやく)があったため、お礼として「麦こがし(香ばしく炒った麦の粉)」を持って来てお供えしたということです。
(『高崎志』。群馬県高崎市赤坂町)

越後(えちご)では、長岡(ながおか)の長福寺(ちょうふくじ)というお寺に古い十王堂(じゅうおうどう)があって閻魔様(えんまさま)がまつられていましたが、ここでは米の炒り粉(いりこ)をお供えしてせきの病気がよくなるようにお祈りすると、あっという間にすっかり治るということで、「せきの十王様」といえば知らない人は誰もいなかったそうです。
閻魔様に米の粉を上げるなんてめずらしいお話ですが、もしかすると、もっと昔は「見付(みつけ)」のお地蔵堂にあった草履(ぞうり)のお話と同じように、もともと同居していたおばあさん神様とのお付き合いがそのまま残っていたのかもしれません。
「閻魔さまとお地蔵さまは、同じ一つの神様の、やさしい面とこわい面の表裏一体なのだ」と言う人たちもいます。
もしそれが本当なら、お地蔵さまは子供たちの面倒を見てくれる神様なのですから、わざわざあんなにこわい顔をしたおばあさんにお願いをする必要などないはずです。
けれども、このおばあさん像はもともと私たちの「子安神(こやすがみ=子供や母親を守る神様)」であった上に、お寺や御堂のいつも端のほうにいらして、お参りに来る人たちの目にとまりやすい場所にいたため、子供やそのお母さんたちの願いごとは、やっぱりそのおばあさん神様にとりつぎをお願いするほうが便利だったのだろうと考えられます。
実際、昔から人間の方でも、お地蔵さまや閻魔さまのお祭りに参加する人たちは、ほんの少し前までみんな女性ばかりでした。
それが、子安姥神(こやすうばがみ)が「三途の川の老婆」に姿を変えたあとも、長く人々に大切にされ愛されていた、一つの大きな理由なのだろうと思います。

驚き清水(おどろきしみず)

乳母(うば)が大切な主人の子供をうっかり水の中に落としてしまい、自分も申し訳なさのあまりあとを追って水に身を投げた、という悲しいお話は、「駿河(するが)の姥が池(うばがいけ)」のほかにもいろいろな場所で見かけます。
これだけのお話であれば「本当にあったことなのだろうか」とも思われますが、じつはこれとそっくりな不思議なお話がほかにもたくさんあって、そこからこれが昔からの「伝説」であることがよく分かるのです。
越後の蓮華寺村(れんげじむら)にある「姨が井(おばがい)」という古い井戸もその一つで、そこでも人が井戸の近くにやって来て、大きな声で「おばさーん!」と呼ぶと、たちまち井戸の底からしきりに泡がポコポコと浮き上がってきて、まるでその声に返事をするようだったと言われていました。
あるいは、この話を疑った誰かが、試しに「おにいさん!」と呼んでみたり、あるいは「いもうと!」と呼んでみたりしても、井戸はまるで知らんぷりをして、少しも泡は立たなかったということです。
(『温故之栞十四(おんこしおりじゅうよん)』。新潟県三島郡大津村蓮華寺字仏入)

つまり、たとえ亡くなってからもうずいぶん長い時間がたった後であっても、「おばさんの魂がずっと水の中に留まり続けているのだ」と人々が想像せずにはいられなかったわけです。
同じ国の「曽地峠(そちとうげ)」という場所にも、「おまんが井」という井戸がありました。
こちらも、井戸のそばに立って「おまん! おまん!」と呼ぶと、きっと水の面に小さな波が立ったと言われています。

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