初級翻訳・日本の伝説 第13話

日本の伝説

また、大工さんや木挽(こびき)さんといった、山の木に関係するお仕事の人たちが、今でも「御太子様(おたいしさま)」と言って拝んでいるものについても、仏教に詳しい人たちは「聖徳太子にちがいない」と決めてかかっていますが、最初はやっぱり、ただの「神様の御子」だったのかも知れません。
古い日本のお大きなお社でも、こういう若々しくて尊い神様をあちこちにまつっているものがありました。
そして、いつでもそのご親戚のご婦人が、必ずそのお傍に付き添っておられるのです。

そう考えてみますと、十一月二十三日の晩のお大師講に出てくるおばあさんも、後世には「貧しくいやしい家の人間だ」と言われるようになりましたが、昔はこれも「神様の御母(おんのはは)」、あるいは「おばさま」というような、とにかく普通の村の人たちよりも、その「だいし」にとってもっと親しい間柄の方だったのではないかとわたしは思うのです。
それくらいの変化は、伝説の世界では珍しいことではありません。それどころか、多くのお社やお堂には、「脇侍(わきじ)」といって、おばあさんの木の像が置かれていたり、「関の姥様(せきのおばさま)」のお話にもあるように、子供(児)と大人(姥)の霊を一緒に、井戸の上や池の岸にまつっているという伝説も、決して少なくないのです。
わたしは、子供たちの守り神としておばあさんの神様を拝むようになった本当の原因も、この「だいし」という存在が、もともとは「子供の神様(児の神)」のことだったのだとすれば、すごくよく納得がいくと考えています。
おばあさんは、もともと神様の御子を大切に育ててくれたからこそ、人間たちからも深い信頼を得ることができたのだろうと思うのです。

これに関連して、少し新しい伝説が二つ三つあります。
紀州の岩出(いわで)にある疱瘡神社(ほうそうじんじゃ=天然痘の神様をまつる神社)は、昔は大西という古いお家が管理していて、神社のお札などもそこから配られていました。
その大西家が板に書いて残していた由緒書きには、こんなお話が書かれていました。
ある年の十一月二十三日の晩に、白髪のおばあさんが一人でやって来て、「一晩だけでも泊めてほしい」と言いました。
家がとても貧しくて、何もごちそうを出すものがないと伝えると、「食事の用意なんていらない。ただ泊めてくれさえすればいいのです」と言って、夜通し囲炉裏(いろり)の火の側に座っていました。
そして、夜が明ける頃に清水を汲んでもらい、それを沸かして静かに飲んでから、「さあ、出かけよう」と大西家のご主人に向かってこう言いました。
「わたしは、このお家の先祖ととても深い縁のある者です。今またこうして、親切に泊めてもらったことは本当にありがたいと思う。そのお礼として、これから先ずっと、大西の子孫だと名乗る者たちは、疱瘡(天然痘)にかかっても軽く済み、長生きできるように守ってあげよう」と言い残して帰っていきました。
そのおばあさんの後ろ姿を見送っていくと、ちょうど今のお社(神社)があるところまで来たときに、急に「愛染明王(あいぜんみょうおう)」の姿にパッと変わり、そのまま行方がわからなくなってしまった、と書かれているのです。

天然痘という病気が流行るようになる前は、この病気は本当に子どもたちにとって一番恐ろしい大敵でした。
だからこそ人々は、特に疱瘡の神様をおそれ敬っていたのですが、このお話に出てくるおばあさんは、実はその神様だったらしいのです。
愛染明王はもともとは「愛(男女の愛欲)」の神様だったそうですが、「愛」という言葉の響きから、日本では特に「子どもたちが無事に健康で過ごせること」を祈る神様として大切にされてきました。
そのため、本来の愛染明王のお姿は若々しく、決してただのおばあさんのような姿に化けてやって来るような神様ではなかったはずなのです。
それなのに、大西家の先祖の人は、おばあさんの姿と愛染明王の姿を重ね合わせて、幻のように目撃したのでした。
それはきっと、昔から「おばあさんの神様のうしろには、必ず子供の神様がいる」ということを、あらかじめ知っていたからにほかならないと、わたしは思うのです(『紀伊続風土記』)。(和歌山県那賀郡岩出町備前)
 伊勢の丹生村(にうむら)は昔から鉛(なまり)が取れることで有名で、そこにはとてもよく知られた温泉があります。
 近頃ではいろいろな病気の人がお風呂に入りにやって来るようになりましたが、昔はただ、この地方の女性たちが子どもを産む前後にやって来て、みそぎをして赤ちゃんの無事を祈る場所でした。そのため、この泉の名前を「子安の井(こやすのい)」と呼び、やはり弘法大師(こうぼうだいし)の祈祷(きとう)によって水が湧き出たという伝説が語り継がれていました。
 しかし戦国時代になると、この土地が荒れ果ててしまい、井戸も半分ほど土に埋まってしまいました。そして、そのような古い言い伝えを忘れてしまう人が多くなり、近所の農民たちの中には、その水を普通の飲み水として使う者も出てきました。すると、そういった家ではなぜか病人が続出し、中には一族が絶えてしまった家さえあったのです。そのため、村人たちは驚き、神様におみくじを引いて神様のお考えを尋ねました。
 実際には、水の中に鉛の成分が含まれていて、それが原因で飲む人の体を害していたのかもしれませんが、昔の人はそんなこととは露知らず、別の理由だと考えていたのでした。
 おみくじの結果には、「子安の井戸は、子どもを産む前後の女性のために、子育てを助け守ろうという深いお心持が込められている特別な井戸なのだから、早く泥をすくってきれいにしなさい」と出ました。それからは、「やっぱりこの水は普段使いのために勝手にくんできたりしてはいけない、おそろしい祟りを受ける井戸なのだ」ということで、ふたたび大切に扱われるようになったということです。
(『丹洞夜話』。
三重県多気郡丹生村)
 「子安の池」という名前の場所は、なんと東京の近くにもあって、ここにも「杖立て清水(つえたてしみず)」とそっくりな伝説がありました。
 板橋(いたばし)の町の北西にある、下新倉(しもしんくら)の妙典寺(みょうてんじ)というお寺の脇にあったのがその池です。昔、日蓮上人(にちれんしょう。にん)がこのあたりを行脚(あんぎゃ)していた頃、墨田五郎時光(すみだごろうときみつ)という大名の奥さんが、お産の重さにとても苦しんでいました。
 そこで日蓮が安産祈願をし、一本の楊枝(ようじ=歯磨き用の木の枝)を使ってお祈りをすると、なんとその場所から素晴らしい清水が勢いよく湧き出してきたのです。
 その水をくんできて口をすすがせ、お札を飲ませたところ、立派な男の子が無事に生まれました。池のそばにある古い柳の木は、日蓮上人が地面に突き刺した楊枝が、そのまま芽を出して大きく育ったものなのだとも語り伝えられていました。
(『新篇武蔵風土記稿』。
埼玉県北足立郡白子町下新倉)
 伝説というものは、子安の池の岸に生える柳の木のように、ぐんぐんと大きく成長していきました。

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